16:劣悪な指導(3)
冬真には森山に返事をする気力も無ければ、掛けてやる言葉も見つからなかった。
それに仮に今、何か発言をしてしまっては、無理矢理にでも揚げ足を取って理不尽な罰則を追加するに違いない。
――つくづく思う。ホント、どうしようもない大人だな。
「なんだ、返事が聞こえないぞ? もっと課題の量を増やして欲しいのか?」
酷く心の歪んだ意地の悪い表情を浮かべ、悪魔を体現したかの様な森山は言う。
どうやらこの男は冬真の返答内容に関わらず、彼の些細な言動にさえ罪をこじつける腹積もりらしかった。
今の冷静ではない森山に何かをしようものなら最悪の場合は、冬真の退学さえも可能性としては有り得る事態である。
だから言い返したくとも言い返せない現状では、歯痒い気持ちばかりが増していく……。
――チッ、俺は一体いつまでこんな状況を続ければならない? 単に気に入らないのなら、そう言えよ!
言葉には出さずとも、冬真は内心で憤慨していた。
ただの子供を相手に、森山は回りくど過ぎるのだ。
とは言え、ここで彼に返答してしまっては、今まで耐えてきた冬真の努力が水の泡となってしまう。
その事を懸念した冬真は、どれだけ森山が語調を強めようとも、あくまで自分からは嗾けないように専念した。
しかし悠長にしていられない事もまた事実である。
森山の方もそろそろ限界の様だ。
茹で蛸のように顔を真っ赤に染め上げ、肩をわなわなと震わせていたのだから。
「最後の情けだ。へ・ん・じ、はどうした?」
「……、ッ……」
冬真から暴行を仕掛けるように仕向ける為、森山は語調をやや強めて挑発した。
森山の腹立たしい口調には、流石の冬真も表情を崩してしまう。
何の不利益も無ければ、一発――いや、五発ほどの鉄拳制裁を今頃はお見舞いしているトコロだ。
「よーしよし! だったら私にも考えがある」
森山はゆらりと冬真に近づくと、握り潰す勢いで彼の胸倉を掴んだ。
「ッ……何を?」
鷲掴みにした冬真の胸倉を強引に引き寄せ、顔を近づけると脅すように森山は言う。
高濃度のニコチンを含んだ吐息が直接鼻に掛かる度、あまりの不快感を覚えた冬真は露骨に険しい表情を浮かべた。
喫煙経験の無い冬真からしてみれば、それは一種の拷問でしかない。
そもそも喫煙愛好家である事を知らなかった冬真にとっては、不意打ちのボディブローを受けたような衝撃と苦痛なのだ。
声に出してはいけないと頭では分かっているものの、あまりの煙たさに口からは微かな悲鳴が零れてしまう。
「お前みたいなクソガキは、いずれ世間の恥晒しになりかねんからなァ。そうならんように、私が早々に始末を着けてやろうじゃないか……」
――始末だって? 森山、とうとう頭が逝っちまったのか? ……逝っちまったんだろうな、可哀想に。
次に聞こえたのは森山の自信に満ち溢れた、殺人宣言だ。
絶対に足の着かない方法で、確実に息の根を止める算段でもついたのだろうか?
「始末? 俺が何をした?」
「貴様、どの口がほざくッ! 眼つきが悪いわ! 口調が荒いわ! 授業態度は悪いわ! 私に従わないわ……挙げてもキリが無い程だと言うのにッ!」
森山はそこまで言うと、胸倉を掴んだ状態の冬真を強く突き飛ばす。
体感にして一瞬の浮遊感の後、冬真の背中には鈍痛が走った!
「ッ!? うっ!?」
突き飛ばされた先には古びた資料棚――その角で背中を強く打ち付けたからだ。
当たり所が最悪であった為、怯んだ冬真はずり落ちてその場に座り込んでしまう。
バサバサバサバサ……
更に運にも見放されたようで、分厚い資料が冬真の頭上を目掛けて大量に降ってきた。
これには堪らず、彼は頭頂部を守ろうと両手で防ぐ。
――イッてぇな!
「……アァァアアくそッ! うッッぜェんだよッ!!」
積もりに積もった冬真の不満は、遂にオーバフローしてしまった。
溜めに溜めた鬱憤を一気に発散するかのように、辺りに散らばった書物諸共課題のプリント群を蹴り飛ばす。
プリントは紙吹雪の様に宙に舞い上がり、左右に揺れながらゆるりと落ちてきた。
「ふ、ははっ……いいぞ! それが貴様の本性か? これでこちらも正当な理由が出来た。まァ、元より理由が無くても私は貴様を殺すつもりだったがな。何せ私は、人間を秘密裏に殺せる力を得たのだから……」
「それって、どういう事だ?」
「フッ、これから死ぬ貴様が聞いても無意味だろウ?」
森山はそう言うと、上着の内ポケットから半透明のUSBフラッシュメモリーの様なモノを取り出した。
よく目を凝らして観察してみれば、その一端にはボタンが付いている。
言わずもがな、混鏡世界を人為的に発生させる為の装置である幻核だろう。
――なるほど。人間を秘密裏に殺す力の種がまさか幻核だったとはね。
幻核が視界に入った瞬間、森山の言動とその根拠に納得すると同時に、冬真は微かに口角を吊上げた。
森山の言う通りで混鏡世界ならば、そこで何をしようとも一般人には知る術がないのだから。
それは当然ながら、冬真にも同じ事が言える訳で――彼は心の中で、最初で最後の感謝を森山に告げた。