13:謎の転校生(3)
廊下に立ってからと言うものの、あっという間に時間は過ぎるように思える。
立ったまま寝るというスキルを得てはいないものの、嫌な顔を見ずに済むのは気分が良い。
実に気分が良い。
いつしか、普段から凝り固まった彼の表情筋さえも和らいでいくようだ。
「冬真ぁ? そんなに嬉しいんです?」
廊下の窓から聞き慣れた声――アリアンロッドがニヤケながら冬真に訊いてくる。
頬を紅潮させているところを見れば、いつもの変な解釈をした末の妄想を抱いているに違いない。
「ン? まぁな」
「あァん、もう! 私と二人っきりのシチュエーションがそんなに嬉しいなんて!」
「はぁ……別に……」
やはり、いつもの妄想の暴走か。
冬真は深々と溜息を吐き出し、いつもとは違う出で立ちのアリアンロッドに視線を向ける。
「んで、その髪はなんのつもりだ?」
「目の付け所がGoodです! 勿論イメージチェンジですよ? 略してイメ――」
「一々略さないで良いから。あと無駄にグッドの発音良いなオイ。てか、なんでまたツインテール?」
「そりゃあ、翠子さんに感化されて……?」
自慢の銀髪をさらさらと指の隙間から零すように梳かした彼女は、頼んでもいないのにクルリとその場で一回転して見せた。
そうしてアリアンロッドは、両側のテールを握り締めながら冬真に近付く。
普段から幼い容姿ながらも、いつになくコケティッシュな表情を浮かべては冬真の反応を窺っている様だ。
「いやいや、アイツそんな髪型じゃねーし」
「それは冬真の知らない物語があるって事ですよ。だってほら、私昨日の夜出かけましたでしょ?」
「あン? あー……そーいや、出てったな。てっきりもう帰って来ないのかと――」
昨夜の事を思い返しながら、冬真は納得した様に感嘆の声を零す。
冗談ともとれない台詞を“素”でさらりと言った冬真に、アリアンロッドは次第に瞳を潤ませた。
「さらっとひどい事言いますね! しどい! しどい! しどいぃぃいッ!」
「――って、冗談だ。泣くな、面倒くさい」
廊下で意味不明な単語――本人曰く「信じられないくらい酷い」が転じ、酷いの最上級表現らしい――を連呼しながら泣かれては、他の稀人に気付かれてしまう。
面倒事を引き寄せる前に、すぐさま窓に手を突っ込んでは彼女の口元を掌を宛がって塞いだ。
まだ納得していないとでも言いた気のアリアンロッドは、やや不貞腐れたような表情で続きを零す。
「むぅ、実は夏希さんの家に行っていたのです。華さん、翠子さんと一緒に」
「? それとこれとどう関係が?」
「もう、鈍感さんですね! 女子が集まったら、ほら、えーっと、あれですよ! あれ!」
「……、……女子会?」
「そうそう、それそれ! で、皆で一生懸命考えたんです。翠子さん大変身計画を! お肌とお洋服の担当は華さんで、メイクと髪型の担当は夏希さんでした! もう凄かったんですからね! 華さんもとい朱雀さんの熱線ニキビ除去作業! 今思い返しても……やり応えのある作業でしたね! どんどんニキビが焼き切れていくンです。あと夏希さんのお肌ケア講義! そりゃもう、嬉々として話されていましたよ! いつの間にか眼鏡も取り出して、びしばしと教育する様は正に女教師ですね!」
嬉々として話すのはアリアンロッドも同じである。
本当にこの女、よく喋る。
まるでマシンガンの様に次々と出てくる言葉に翻弄されながらも、冬真は冷静な返しを放った。
「んで、お前は?」
「やだなぁ、冬真! 実体の無い私に何か出来るとでも?」
「だったらその饒舌はなんだ? やけに上機嫌じゃないか」
「えへぇ、分かっちゃいます? 分かっちゃいます?? 実は翠子さんのお肌ケアが終わってから、皆で“ぱりこれ”というモノをやっていました! お洋服を着替えては、皆の前でお披露目するんです。まぁ、華さんと翠子さんは夏希さんのお洋服を借りていたんですけどね! 私は鏡世界のツテで色んな服を調達できるので、着替えて登場する度に拍手喝采の嵐ッ! 中でもメイド服とナース服は好評でしたね。髪型はこの「ついんてーる」が一番人気でした。ンで、それを繰り返す内に、いつの間にか私の独壇場になっていたのです!」
得意気な笑みを浮かべるアリアンロッドは今、最高潮に鼻高々なのだろう。
勿体ぶってこそいるものの、内心ではどうしようもなく誰かに伝えたかったのだ。
ようやく念願叶い、冬真に伝える事が出来た。
嬉しい事を他人と共有する――それがとてつもなく嬉しかったに違いない。
「ふぅん? ま、女子の輪が出来て良かったな」
冬真はそう言うと、アリアンロッドの頭に手を乗せて頬を少し緩ませた。
暖かく大きな手に安堵したのか彼女も高いテンションを落ち着かせ、至って真面目な表情へと切り替える。
「――はい。冬真が私の存在に気付いてくれる以前は、ずっと独りだったので……」
「独り、か。その感覚も随分昔のように思える」
「ふふっ、そうですね。この三カ月弱は本当に濃いモノとなりましたから。そう悪いモノでもないでしょう? 友達や仲間という関係性も」
「まァ、まだ慣れた訳でもねーけど。悪くは、ない」
アリアンロッドの自然体な柔和な笑みにつられ、冬真も表情を崩す。
普段から喜怒哀楽の「怒」しか感情を汲み取れない表情をしているだけに、それはぎこちないモノではあるのだが、紛れもない彼の素直な笑顔であった。
切れ長の目が一本線になった事――ただそれだけの変化――で仏頂面から一変し、ただの優男へと変貌を遂げる。
表情の使い分けこそ不器用であるものの、元の素体自体は存外悪くないらしい。
そんな冬真の笑顔も、彼の者によって脆くも崩される――。
「――そうか。廊下に立っているのはそんなに悪くないか?」
「!?」
言わずもがな、倫理担当教諭の森山だ。
冬真がアリアンロッドと話し込んでいる間に、どうやら授業は終わりを告げていたらしい。
その森山は廊下に立つ冬真に、囁く様に続ける。
「今日の授業が終わり次第、生活指導室に来るように。良いな?」
最悪だ――。