11:謎の転校生(1)
◇ 06月27日(水) ◇
その翌日の事だ。
いつも通りの時間帯に登校する冬真は、玄関先が騒がしい事に気が付く。
どうやら(彼にとっては)名も知らぬ女生徒数名が、噂話に花を咲かせているらしい。
しかも教職員が殆ど出勤していない事を良い事に、潜めた声ではなく比較的大きな声である。
そのお陰で断片的ではあるが彼女達の会話を拾う事に、冬真が一々立ち止まる必要もなかった。
上履きに履き替えつつ彼女達の会話を聞く所に依ると、何やら「今日から転入生が来る」らしい。
今の季節に転入など、親の事情か何かだろうか?
でもまァ、彼女達の会話情報が本当だとしたら転入先は一年一組――それは恭平と翠子のクラスでもある。
つまり冬真には関係のない話というワケだ。
一年生フロアである三階を目指す折に聞こえる会話は、いずれも「転入生」という単語が含まれている。
教室に近付く程に会話の内容は鮮明になり、同時に冬真にとっては騒々しくもあった。
「朝っぱらから、うるせぇな」
そう一人でぼやきながらも自分の教室へと足を踏み入れれば、中は面白い程にもぬけの殻である。
各々の机の上に登校鞄が乱雑に置いてあるというコトは、クラス全員が未登校という訳では無いのだろう。
対照的に隣の教室からは、騒々しい声々が廊下まで響いていた。
会話の内容と現状を察するに、どうやら原因は言わずもがな転入生にあるらしい。
冬真は一人っきりの教室で、登校鞄から教材を引出しに移し替えながらふと思い起こしていた。
それは昨日、冬真が無理矢理に前髪をばっさりと切り落とした天音翠子の事だ。
自分でも中々に思い切った事をしたと、一晩経った今では反省している。
けれど不思議と、後悔はしていなかった。
彼女が素顔を晒して堂々と生きる上で絶対に必要な事――自分に自信を持てるよう、冬真は背を押してあげただけなのだから。
ただ冬真としては、やはり“かなり”強引なやり口ではある事も理解しているから――。
「一応、謝っとくか……?」
少し気が引けてきた冬真は、重い腰を上げて一組の教室へと向かった。
しかし、教室入口の余りの人集りを前に、冬真は立ち往生を食らってしまう。
見た事も無い生徒が混じっている所を鑑みると、他のクラスの生徒は元より二年生、三年生までもが押し寄せているではないか。
転入生も登校初日に災難だな、などと思いつつ無理矢理に教室へと身体を捻じ込ませる冬真。
――ええい、鬱陶しい!
そもそも冬真の目的は転入生ではなく、天音翠子なのだ。
恭平の情報によると彼女の自席は教室後方との事で、面倒な事に偶然にも転入生の席に近い。
人集りの中心に垣間見えた転入生は、身なり服装から判断して女性だ。
その彼女は、困ったように顔を俯かせて無言に徹している。
いきなり、知らない人が大勢で押し寄せるんだ――身体が委縮しても仕方が無い、か。
そんな彼女を横目に、冬真は華と恭平を探す。
きっと二人は翠子を連れて、その場から避難しているだろうと冬真は踏んでいたからだ。
しかし、いくら探しても三人は見つからなかった。
「――ッ!?」
冬真が、ふと視線を逸らした先――人集りの中に華と恭平の姿を発見する。
「お前ら、何してんの?」
「あ、冬真! 見てみて! みーちゃん!」
冬真の声に気付いた華は呑気に手を振り、彼に合図を送った。
それに釣られてか、周囲の名も知らぬ生徒らの視線が冬真へと集中する。
お前、また余計な事を……。
「あ? みーちゃんって(誰)?」
「あはは、みーちゃんはみーちゃんだよ」
華はそう言って明るくはにかみ、その「みーちゃん」なる人物を嬉しそうに指さした。
転入生であろう、その小柄な少女を。
「ンな猫みたいな渾名付けんなよ。ぐらしかろ――って」
ようやく、しっかりと転入生を視界に捉えた冬真は、その容姿に絶句せざるを得なかった。
転入生の少女も冬真の存在に気付いたらしく、俯いた姿勢から視線を僅かに上げ、困惑した様に眉間に皺を寄せる。
「そいつ、もしかして……」
膝まで伸びた黒髪は黄色いスカーフで纏められ、長めの両側の触覚は白い帯でバツが三つ続くような独創的に結ってある。
冬真が一番気にしていた前髪は、昨日切ったぱっつん髪をアレンジして整えられていた。
その髪の下からは、大きめで二重の下三白眼がジロリと冬真の姿を捉えている。
ふっくらとした色白の小顔と薄い唇が、髪や制服の黒と絶妙なコントラストを放っていた。
そして驚くべき事に、ニキビや吹き出物その他諸々が全て無かった事になっているではないか。
唯一変わっていない所を指摘するならば猫背だろう。
どうやら体の姿勢を矯正するのは、そう易々と出来るものではないらしい。
尤も、本人の意思に依る所が一番大きいのだが……。
「うん、翠子ちゃん! どォ? 可愛いでしょー?」
当の本人である翠子を差し置いて、まるで華は自分の事のようにはしゃいでいた。
「別に……」
昨日の出来事――華の鉄拳制裁――もあった所為か、下手な意見は出し辛い。
口には出さずとも率直な意見であれば「翠子を振った男子生徒の言う“不細工やキモい、ブス”などとは、大きくかけ離れた顔立ちをしている」と思う。
唐変木の代名詞である冬真でも、それくらいは理解できていた。
「うわ、冷たいなァ。あのねぇ、女の子は素直に「可愛いよ」って言われた方が嬉しいのっ!」
その華の一言で、周囲の視線が一斉に冬真へと向けられる。
一度彼女が、周囲の友人共に「ねー?」と訊けば、その友人共もとい取巻きは「ねー!」と口を揃える始末。
異論は認めないとでも言いた気な空気に、冬真の口元は徐々に引き攣り始めていた。
それもそうだ。
これだけの人間の視線を一度に集める事は、彼にとってあまり好ましくない状況なのだから。
その上、性別も年齢も関係無く――冬真は完全にアウェイである。
「取り付く島もない」とは、正に今の状況を言うのだろう。全く、これは何の罰ゲームだろうか?
「……言わなきゃ、ダメなのか?」
「ダーメッ! 早くぅ!」
「言―え! 言―え!」
華に感化されたように、周囲の生徒も彼女に続いて興が乗ってきたらしい。
悪ノリの余波は次第に大きくなっていくばかりだ。
「……なんだ、これ。言えるか――……って、あ」
小恥ずかしい言葉を強制的に口にしなければならない、もどかしい状況の中、冬真にとっては救済の福音が鳴った。
一限目の予鈴である。