10:黒猫の悲鳴(4)
けれどその直前で彼女に気付かれてしまう。
首を大きく振りかぶって緊急回避を図る翠子を逃がさまいと、冬真は彼女の前髪にハサミを滑り込ませた。
目と口を大きく開き驚嘆の表情を浮かべる華と、彼の唐突な行為に呆気に取られる恭平を横目にしながら――冬真は強い心を持って強行する。
否、凶行する。
ジョッッキンッ!
「――へぁあ!?!?!?」
冬真は滑り込ませたハサミで、彼女の前髪をばっさりと切り落とした。
翠子の苦し紛れの抵抗により、彼女の前髪が予定よりも相当に短くなってしまったが……最早後の祭りだ。
瞼の上で真一文字に斬り揃った前髪と、だらりと垂れ下がった長く真っ直ぐな黒髪は、呪われた日本人形を彷彿とさせる。
「……、……」
「……、……」
「……、……」
地下特有の冷たい空気が足元に流れ込んでは、気まずい沈黙に拍車を掛けた。
華と恭平の目が、冬真の持つハサミと「日本人形」を忙しなく行き来する。
「き……キャァアアァァアアああアアぁアアアッ!!」
数秒が流れただろうか……翠子の一時停止した思考が再び時を刻み始めたかと思えば、大音量の金切り声が無機質な地下室に反響した。
「のぅあ!?」
「うげぇ!?」
翠子は「大人しい女子だ」という先入観に駆られていた男子としては、全く予想だにしていなかった声圧に思わず耳を塞ぐ。
「ちょっと冬真! 何やっちょっとよッ!」
「あ? ……うぶぅっ!?」
華に肩を掴まれて後ろに振り向いた冬真の視界は、既に真っ暗だった。
翠子の叫びで我に返った華が脱兎の如く、冬真の顔面に鉄拳制裁をめり込ませていたのだから。
あまりの衝撃に冬真は数センチほど吹き飛ばされ、仰向けに倒れ込んだ。
「ったく、乙女の髪は命よりも大事! そいぐらいも分からんとね?」
床に倒れ込んだ冬真に向かって、華はトドメを刺すように言う。
トドメの言葉を一身に受けた冬真は、ゆっくりと上体を起こして華を恨めしそうに睨み付けた。
「こうでもせんと……あいつ、ずっと自分の殻に籠ったきりだろ?」
めり込んで潰れた鼻を指で摘まんでは元に戻しながら華の方へと視線を向けると、むっとした表情で口を真一文字に結んでいる。
どうやら冬真の荒療治が、余程気に入らなかったらしい。
「だからってこんなコトが許されるワケ――って、アレ?」
ふと翠子に視線を移した華は心を奪われた様に、思わず口をぽかんと開ける。
かつてはその長い髪で拝む事の出来なかった部分――翠子にとっては恥部とも言える、額から下に目元、鼻筋、唇――が露呈しているではないか。
一切の手入れを拒み続けて来たのだろう顔は、多数のニキビや吹き出物によって浸食され、未成年の柔肌にも関わらず表面が荒れ果てていた。
「このニキビ顔は……酷いな」
「うん。確かにニキビ凄い――……って、そうじゃないでしょ!?」
「あ? どゆコトだ?」
「まだ確証が持てないの! と、とにかく男子は帰って!」
華がそれ以上に理由を話す事は無く、男子二人は華に背中を押されて出口まで突っ返されてしまう。
「おい、華! 一体なんなんだよ!」
「いーから、いーからっ! じゃ、明日学校でね!」
最後に華からそう言われると、部屋の扉に鍵を掛けられて完全に締め切られてしまった。
「ちぇっ、冬真がいけねーんだぞ!?」
隣りの恭平がそう言って、冬真の脇腹を軽く小突く。
取り残された男子二人は仕方なく、納得のいかないままに帰路に着くのだった――。