09:黒猫の悲鳴(3)
悲痛な心の叫びが、痛みが、奥底から押し寄せてきているのだろうか。
翠子の語調が徐々に強くなってきているのが、三人にも十分に伝わっていた。
「あはは、笑っちゃいますよね? でも、私には……それが堪らなく辛くて、溜らなく心が痛くて――髪を伸ばしました。めいいっぱい、伸ばしました。誰にも、この顔を見られないように……。もう誰からも、不細工なんて言われないように……」
いくら小学校二年生だとしても、好意のある人間に「生理的に無理」などと非情な言葉で返されれば、精神的なダメージは計り知れない。
ここは素直に、ご愁傷様と言うべきか――当たって砕けるどころか、粉微塵レベルである。
そんな衝撃的な告白劇が、第一回目であると、翠子は伝えたかったのだろうか。
目を丸めて驚く華を他所に、翠子は静かに話を続ける。
「でもその人、高校が同じだったみたいで……。先のトラウマもあり、意識的に避けてはいたンですけど、先々週の月曜日、偶然にも会ってしまったんです」
話を続ける翠子の声は、微かに震えていた。
嫌な過去を言葉として吐き出す度に――きっと少しずつ、彼女の心が磨り潰されていくのだろう。
「顔は髪で分からない筈……にも係わらず、私だと分かった途端、その人は何て言ったと思います? 「ドン引きするくらいキモいのな。鏡見た方が良いぞ、どブス」って――」
そこまで言うと、翠子は限界であったのか、丸机の天端に顔を埋めた。
頼んでもいなければ、望んでもいない二回目の失恋。
一度は思いを馳せた男子からの久しい言葉が「どブス」など……思春期真っ只中の女子からすれば、想像を絶するショックであったに違いない。
その証拠に大きな嗚咽を零し、泣きじゃくる彼女の――哀愁漂う背中を恭平と華は見た。
――よく……勇気を出して、ここまで話してくれた。
華と恭平は翠子に対して感慨深く、そして友人として嬉しく感じていた。
ところが一人違う反応を示すのは、言わずもがな冬真である。
そもそも、久しぶりに会った級友が|「現状のみすぼらしい翠子」《コレ》では、振ッた人の気持ちも解らなくはない。
とは言え、当時の小学校二年生から比べると、当然ながらに歳も経験も語彙も増えているのだから……結局のところ、男子生徒本人の言い方に難ありってトコロだろう。
そもそも口にしてはいけない言葉と、良い言葉くらい選択が出来る知性はある筈なのに。
それとも男子生徒は翠子の顔が、それだけ「本当に酷かった」と、そう言いたいのだろうか?
これは……――原因究明の為にも、確かめる必要がありそうだ。
「なァ、お前の顔見せてくれ」
「ちょっ、いきなり何言っちょっと、冬真!」
華が慌てて冬真の口を塞ごうとするのだが、冬真はその手を払い退け、翠子を真っ直ぐに見据える。
「嫌ッ」
「へぇ、即答ね。誰にも見せられない程の醜い顔って、自覚してンだ?」
「そんな言い方酷――」
食って掛かる華の非難の声を、冬真は語気を強めて遮った。
「あァ、酷い。それも解っている。解っていて聞いている。なァ、ここに居る華も恭平も、少なくともお前を信頼しようとしている。じゃなきゃこんな危険な組織――JP’sになんて誘わねぇよ。仮に冗談なら尚更だ」
泣きじゃくっていた翠子はゆっくりと顔を上げ、怪訝な視線を冬真へと送る。
冬真の言動の伴わない行為の意図が、全くもって掴めていなかったからだ。
「貴方はいったい、何が言いたいんです?」
嘗ての冬真にとってはこの上なく癪であるのだが、数カ月間の寝食を「相棒のアリアンロッド」と共にしてきた今ならば分かる。
共に過ごした時間全てを綴る事など出来ない程に、様々な赤裸々な出来事が次々と起きた。
その中でも互いに少しずつ受け止め、受け入れられる事を増やしてきた。
その事を翠子にも伝えなければならない――今後、幻影と共に生きる上で、そして“仲間”と共に生きる上で最も重要な事なのだから。
「批判的な態度の輩は必ずいるし、逆に寄ってくる奴もいる。みんな人間だかンな。もちろん恭平達は寄ってくる奴だ。だから……俺達の前くらい肩肘張るなよ。わざわざ素顔を隠す必要も無い、だろ?」
華と恭平は冬真の発言に一瞬呆気に取られたのだが、すぐに彼の意見に力強く賛同した。
呆気に取られたのは翠子も同様であるが、戸惑いの色の方がどうやら濃いらしい。
「えっ!? で、でも……私――」
言葉を詰まらせる翠子は猫背の体を更に丸め込む。
それと同時に、彼女の警戒心が再び騒ぎ始めた。
柄にもない言葉を口にした冬真にとって、彼女の反応は正に公開処刑そのものだ。
これではただ単に気障な言葉を口にした勘違い野郎と変わらないでは無いか。
そこは躊躇わずに、心に響いて欲しかったと願う冬真である。
どうやら冬真には、荒療治の道しか残されてはいないらしい。
かくなる上は強硬手段を用いて――翠子の性格を強引にでも上方修正するのみ!
「華、ハサミあるか?」
「へ? なるけど、なんで?」
「いーから、早く」
困惑しながらも華は、登校鞄からハサミを取り出す。
それを受け取ると冬真は席を立ち、翠子の隣にすっと移動した。
「なぁ、翠子」
「なんです――ッ!?」
翠子が振り向いた、その一瞬を冬真は見逃さない。
鎖骨辺りまで伸びたぼさぼさの前髪を、せめて鼻頭が見えるくらいの長さまで切りそろえる腹積もりだった。