05:不和(2)
徐々に彼女の顔からは笑顔が消え、代わりに冷汗が滲み出ては滴り落ちる。
口元もやや引き攣り、表情が硬くなっていくのは目に見えて判る程だ。
「えと……最新の目撃情報だったら、ほんの二・三日前、かな」
「二・三日前……?」
タナトス本人である冬真が病院で目を覚ましてから、まだ数時間しか経っていない。
それにも係わらず、二・三日前にはタナトスの目撃情報があった、だと?
仮説はいくつか挙げる事が出来るが、周囲の反応を見る限りでは祐紀が嘘を吐いている訳では無いようだ。
直感ではあるが、詰まる所「偽物が目撃された」線が濃厚だろう。
「う、うん。だってその時、私も学校帰りに見たから間違いないよ。黒いロングコートを羽織って、フードを目深に被ったヒト……みたいな生き物を」
おどろおどろしい口調で祐紀は話を続ける。彼女の話を聞けば聞く程に、タナトスとしての冬真の容姿や特徴に附随する点が幾つも挙げられた。
寧ろここまで完全にコピーされてしまっては薄気味悪ささえ感じてしまう。
世の中には、とんでもないストーカー野郎が居たものだ。
「へぇ……ヒトみたいな生き物、ね」
とはいえ姿形がヒトだとしても、それが人かどうかも断定できない……確証の持てない生物である事に違いはない。
ニュースも曖昧な報道しか出来なかったのだろう。
「なんか含んだような言い方するね、君。……もしかして、もう会っちゃった?」
「別に。関係ねぇだろ」
第一、冬真がタナトス本人なのだ。
会えるワケが無いし、裏を返せば既に会っている事になる。
これ以上、余計な事を一般人である祐紀に悟られるワケにはいかない冬真は、慎重に言葉を選んだ。
けれど、選んだ末の祐紀を突き放すような言葉は、彼女の感情を徐々に昂らせる事になる。
「おいおい、関係無いって……。あ、そう言えば、華達と色々調べまわる活動しているんだって? もし奴を調べるんだったら、気を付け――」
「言われなくてもそうする。もう話は終わりだ」
「なん、それ……。人が折角心配しているっていうとに――」
とうとう、祐紀の堪忍袋の緒が音を立てて切れてしまった。
既に祐紀は、目の前の冬真に掴み掛からんとしている。
「おいーっす! 冬真、そろそろ行こうぜ――って、何この空気? どしたん?」
そこへ空気読み人知らずの幸村恭平が、最悪のタイミングで意気揚々と手を上げながら教室へと入って来た。
入ってから異変に気付いたのか、恭平が周囲を見渡すと、冬真が女生徒に襲われかけているではないか。
――冬真に限って、そんな「羨まけしからん」事はあり得ない!
恭平はそう意気込み、登校鞄を肩に担ぎながら冬真の元へと近づいてよく見ると――。
「……あぁー」
全然そういう浮ついたシチュエーションでは無かったと、漸く今の状況を朧気に理解したらしい。
少なくとも冬真が女生徒もとい祐紀に(性的に)襲われているなど夢のまた夢だ。
決して羨ましい状況ではなく、けしからん状況でもないと分かると、恭平は安心した様にほっと一息を吐いた。
「さぁな。気にするな。行くぞ」
「あん? お、おう……」
たった今迎えに来たのにもう行くのか、と少し残念そうに恭平は眉を顰める。
JP'sに用が無い時は部活動で忙しく、あまり他のクラスの教室に出入りしない為、恭平にとっては冬真のクラスが新鮮に感じていたのだ。
とそこへ、冬真の後を寂しそうに追う恭平の肩を、目を吊り上げて怒る祐紀が捕まえる。
「はぁあ!? さぁな、じゃないし! あーもう! ちょっと聞いてよ、恭平君!!」
「ひっ……ど、どしたん、祐紀ちゃん?」
一瞬なにが起こったのかは分からなかったのだが、振り向いて彼女の表情を見た瞬間、思わず恭平は上擦った声を上げた。
一方の祐紀は、最後の手段だと言わんばかりに恭平の両肩を掴むと、これまでの経緯を掻い摘んで話し始める。
勿論、祐紀視点で話は進んで行く為、どうしても状況判断の基準は祐紀に軍配が上がり易かった。
「関係ないって、そりゃないぜ! 祐紀ちゃんはお前の事が心配で言ってくれたんだろ? 人には言って良い事と悪い事がある。俺ァ、誤った方が良いと思うぜ?」
コトのあらましを聞き終えた恭平は、あろう事かいとも簡単に寝返ったらしい。
腰に手を当ててどうにも偉そうな彼は、祐紀を庇護し始めた。
「謝る気はない。関係ないから関係ないと言ったんだ」
「お前のそう言うトコ、ほんっっとーに、頑固だよな!」
「頑固で悪かったな。意志の弱い人間よりマシだろ」
普段は口数の少ない冬真も、この時ばかりは違った。
同年代の男子である恭平の煽りを受け――売り言葉に買い言葉なのだろう――冬真の反論にもいつしかヒートアップしていく。
一触即発の危うい状況を前にして、先程の祐紀の威勢はどこへやら。
彼女の目は次第にオロオロと冬真と恭平を行き来し始めた。
「一度決めた事は絶対に曲げようとしないって……俺ァ、お前のそういう所が昔っから――」
「はいはい、ストーップッッ!!」
その可愛気のある声と共に、二人の側頭部には激しい衝撃が走る。
酷く鈍い短い音が二つ、雑多な声が犇めく教室内に響き渡り、しんとする静寂を呼び戻した。
周囲の反応の原因は、正確には音だけではない。
普段は大人しい彼女が、自分よりも身長の高い男子二人の蟀谷に鉄拳を叩き込んだばかりなのだから。