04:不和(1)
◇ ◇ ◇
頭上の案内標識を頼りに再び院内ロビーへと戻ると、先程の看護師と鉢合わせしてしまう。
最初に冬真を追いかけて来た担当医の女性だ。
「あら、冬真君。もう話は済んだの?」
「ゲッ」
「そんな邪見にしなくても良いじゃない。てか、身構えないで! ……それより、退院おめでとうっ!」
「あ?」
先程の件もあり無意識下で身構える冬真に対し、看護師は「どーどー」と宥すかす。
そんな彼女に冬真は、疑問の視線を向けた。
「そんな不思議そうな目で見ないでよ、もう! 私だって退院の見送りはするよ?」
「見送り、ね。別に要らない。それより早く仕事に戻ったら? 安達さん」
「むー、生意気なンだから! って、なんで名前知ってンの!?」
頬を膨らませて怒っていた女性看護師もとい安達は、目を丸くして驚いた。
そんな彼女の胸を指さす冬真。
彼の指に釣られ、安達は自身の胸元に視線を落とす。
すると、左胸には毎日身に着ける名札が下がっていた。
それも斜めに傾き、フックが緩んでいるのかぷらぷらと小さく揺れている。
「……あ」
「仕事の前に早く直した方が良いンじゃない、それ? みどんなかぞー」
視線を外した隙に、既に冬真は玄関の自動ドアを潜ろうとしていた。
周囲には再び患者が増えてきたのか、とても走って冬真をとっ捕まえられる状況では無い。
「ほんっと、生意気~ッ!」
故に今から追いかけても追いつけないと判った安達は、その場で地団駄を踏むのであった――。
◇ ◇ ◇
場所は移り、守浜高等学校第一学年二組教室内――。
「へぇ、珍しいね! 敷宮君が、授業中ずっと起きていたなんて!」
そう言って冬真に声を掛けるのは、彼の後ろで悠々と授業を受けていた学級委員長殿もとい桐谷祐紀である。
冬真が振り向くと、祐紀は二ヒヒと悪戯な笑みを浮かべていた。
たった今、終業の鐘が漸く一日の授業の終わりを告げたのに……コレだ。
普段は見る事が出来ない現象に興味津々なのか、うんざりする程に爛々とした輝きを見せる祐紀の視線が、冬真の側頭部を一心に突き刺している。
あからさまに驚かれると調子狂うんだが……。
そんな彼女に対して心底鬱陶しそうな表情を浮かべる冬真は、彼女を視界の端に捉えつつ内心ぼやく。
「別に? 大した事じゃない」
「いやいや、大した事よ! 午後に退院した後、身支度を済ませて登校するなんて……家に帰る途中、電柱で頭打った? そんでもって、そのまま溝にでも落ちた?」
毅然とした態度で返答する冬真に対して、祐紀が即座に物申す。
但し、最初でこそ真っ当な事を言っているが、後半の彼女の会話はドス黒い内容に変貌していた。
――この女、中々の毒舌である。
度々その片鱗――変なノリとか、下ネタ大好きとか――は見かけた事があるが……今日の会話は特に酷い。
そもそも、冬真自体も学校には行きたくなかったのだ。
けれど退院後に帰宅した途端、見計らった様に真琴から電話があった。
内容はこうだ。
「担当医から今日退院した事を聞いた。だから午後からでも良いから学校に行きなさい。さもなくば、あの写真をバラす」と。
冬真がすかさず「あの写真とはなんだ?」と問い詰めると、携帯電話のSNSでとある写真が送られて来た。
いつの間に撮られたのかは、全くもって理解不能だが……それは四月の始めに愛染華の実家である銭湯にて、彼女と裸で鉢合わせした瞬間を激写されたものであった。
それも両者共々、下半身がモロ見えの”ミラクルショット”である。
その上、時間差で「唐変木のアンタには鼻血ものでしょ?」と短文が送られて来た。
勿論鼻血など出なかったのだが、ぐうの音も出ないとは正にこの事である。
こんな仕様も無い泥沼の戦い――ほぼ一方的だ――が、冬真の登校に隠されていたなど知る由も無い祐紀は、文字通り言いたい放題だった。
周囲にまだ人が残っている現状では、冬真は迂闊に反撃も出来ない。
仮に反撃してしまっては、無駄に脚色された伝説と言う名の「心無い噂」が増えるだけだ。
「お前、馬鹿にし過ぎだろ」
「いえいえ、事実を言って差し上げたまでよ! おほほ」
「……、……」
「あ、はは。ごめんごめん、冗談だって! ちょっと凹んだ? でも、心配したのは本当だよ? 近頃このド田舎も物騒でね、ニュースで噂のタナトス? だっけ? それの目撃情報があったンだー。ホント、神出鬼没だよねぇ。やっぱUMAの類かな?」
興が乗ってきたのか、饒舌になった祐紀はケラケラと笑いながら、とんでもない事をさらりと口にする。
――タナトスがこの町で見かけられた?
しかもそれは、最近の話だって?
俄かには信じられないが、彼女の口調から推測するに本当の話なのだろう。
「タナトス? 近頃っていつ?」
「ちょ、怖いって、その顔。それこそ犯罪者の顔だよ? それも性犯罪者の――」
「ふざけないで答えろ! いつだ?」
祐紀は自分が何を言ったのか、ソレが何を意味するのか、どうやら状況を呑み込めていないらしい。
未だにおどけた表情を浮かべる祐紀の両肩を掴み、冬真は真剣な眼差しを彼女に突き立てた。