02:トクベツな依頼(2)
◇ ◇ ◇
「こぉらぁあッ! 待ちなさァいッ!!」
冬真を追いかける女性看護師はいつの間にか四人に増え、この際形振りなど構っていられないらしく、豪快な足音を立てながら廊下を疾走していた。
「……待てと言われて待つ馬鹿がどこにいるよ」
ーーこりゃあ、エレベータは諦めて階段を使うしかないな。
この様子だと待ち伏せされる危険性がある。
複数の階段を組み合わせて必死で逃げ切り、やっとの思いでエントランスへと辿り着く冬真。
――まったく、病み上がりでこれ程身体を動かす患者がどこにいるよ。
数回の深呼吸で高まった脈を落ち着かせた冬真は、素早く周囲を見渡した。
昼前とあってか患者の数は比較的少ない様に思える。
――これなら走っても誰にも迷惑は掛からなそうだな。
冬真は迷わず出入口へと駆け出した。
「松山先生ッ! その子を押さえて! 例の子供だからッ!」
けれど、またしても背後から看護師達の声が飛ぶ。
昼飯を買いに行った帰りだろうか、冬真の眼前に居た若い男性医師に助けを乞いた。
「へ? あ、ホントだ!」
あまりにも唐突過ぎる救援の声に松山と呼ばれる医師は戸惑い気味ではあるものの、対処の行動に移すのは早かった。
まるでサッカーのゴールキーパの様に両手を広げ、両足に力を篭めて構える。
「頼む、止まってくれッ!!」
「ンだ? 加勢するぞ、松山!」
「悪ガキがァ、病院で騒ぐんじゃない!」
結局、松山医師とは別の医師も数人加わる事により、冬真の小さな逃走劇は呆気無く幕を閉じる事になった。
それからと言うものの、特に暴行や説教を受ける訳でも無く、冬真は逃走防止の為に二人の男性医師に両脇を抱えられる。
本人が気付いているかは分からないが、身長の低い冬真はさながら囚われた宇宙人の様な状態であった。
◇ ◇ ◇
「ここに入ってくれ」
一般病棟の区画から大幅に外れた廊下を進み、とある部屋に入るよう、付き添いの医師達から指示を受ける。
第三診察室――それは見るからに物々しく、いかにも「関係者以外は立入禁止である」と謳っている様な区画の一室だ。
天井の照明は最小限の光度に抑えられており、清掃はしっかりと成されてはいるものの、場の雰囲気だけならば小綺麗な廃墟と称しても何ら違和感は無い。
至って普通……である筈の市民病院に、この様な薄気味悪い場所があるなど――冬真には、どうにも医師・職員達の言動を含めて病院全体が胡散臭く思えてならなかった。
こんな事になるくらいなら、多少疲れようとも鏡世界を経由して看護師に見つかる前にさっさと帰れば良かったのだ。
『転生事故の一つである「分離」の影響は鏡世界への滞在時間に比例する。つまりは鏡世界に身を置く時間が長ければ長い程に、体への負担は大きくなるのじゃ』
病室を離れる際、ノートが話した言葉を鵜呑みにした過去の自分を思い返しては、全力でブッ飛ばしたくなる。
確かに、ノートの説明は十分に理解出来るものであるし、彼女が冬真の身体を気遣おうとした結果である事も理解しているつもりだった。
けれども現に結果として厄介事に巻き込まれている冬真からしてみれば、過程がどうであれ「理屈ではない」のだ。
後悔に苛まれる冬真は溜息を吐きつつ、諦めの意味合いを込めて肩を大きく竦める。
そしてゆっくりと戸を押し開けて、室内へと足を踏み入れた。
九畳間程の診察室は一般のそれと同様の配置ではあるものの、極端に少ない照明により、異様な雰囲気を漂わせている。
「驚かせて悪いね。まぁ、適当に掛けなさい」
薄暗い診察室のドクターデスクにて、足を組んで待ち構える初老の男性医師は静かにそう言った。
冬真は促されるままに、すぐ傍にある低床の診察ベッドに腰を掛け、呼び止めた本人であろう男性医師を視界の端に捉える。
「それで、俺に何の用? 芥川副院長」
名札に記載された名前を強調し、冬真は眼前の男性に問う。
副院長ともあろう人物が、一介の高校生である冬真に何の用があるというのだろうか。
芥川は顎を浅く引き、冬真の瞳をじっと見据えながらに答える。
「どうやら君は既に誤解している様だから先に説明しておこう。これから君に伝える事は他言厳禁の重要な話だ。だから患者数の少ない感染症病棟に移動して貰った。――あの複合幻影は君が斃したのか?」
「なんでアンタが(その事を知っている)?」
「知っているさ。僕も協力者だから。あぁ、やはり君があの……。とにかく……残念だった」
酷く辛い思いをしたのだろう彼は、低く重い抑揚の無い声をしている。
そしてハリを失った浅黒い肌と目の下の大きなクマは、彼の悲壮感を更に強調させるものとなった。
「ア? 何言って――」
「――君が助けてくれた命は……つい先日、潰えたよ」
芥川副院長の唐突な話の切り出しに戸惑いを抱く冬真は、その話の内容に言葉を詰まらせる。
どうやら彼の言う「他言厳禁の重要な話」とは、幻影を剥ぎ取られた被害者達の死を指していたのだろう。
しかしながら冬真からしてみれば、何の接点も無い被害者達だ。
彼女らに対して気の毒に思う面は有るにしても、だからと言って深く傷心に浸るような間柄でもない。