01:トクベツな依頼(1)
◇ ◇ ◇
「こぉらぁあッ! 待ちなさァいッ!!」
白いナース服に身を包んだ数名の女性看護師が、豪快な足音を立てながら廊下を疾走する。
正確に言えば、とある人物を追い回していた。
院長命令による「正式な業務」という事もあり、通常業務と同程度に彼女達は必至である。
何がなんでも捕まえなければと、どの看護師の動作を一つ取っても躍起になっている事が容易に窺えた。
「……待てと言われて待つ馬鹿がどこにいるよ」
どういった理由があろうと、追い回される身にもなって欲しいものだ。
理由も分からぬままに追い回される羽目になった少年――敷宮冬真はぼそりと正論を零しながら、出口を目指して廊下を全力で駆け抜ける。
そもそも彼の体は既に完治したのだ。
入院費用は給与からの天引きだから心配するな、という皮肉の篭った通達も従姉弟である坂本真琴から受けており、不当に追い回される今の状態が冬真にはどうにも解せないでいた。
何故この様な状況になったのか。
時は数十分前に遡る――。
◇ ◇ ◇
それは複合幻影の鎮静化及び、被害に遭った幻影達の救出劇から約三週間が経った平日の事だ。
鹿児島県守浜市では最大の医療機関である市民病院。その一般病棟の六階にある、とある一室に冬真は入院していた。
病室に搬送されてから一度も目を開ける事も無く、ついには匙を投げた医師の間で植物人間の烙印が押されようとしていた矢先――冬真は漸く意識を取り戻す。
目を開いて直ぐに視界に飛び込んできたのは、見知らぬ真っ白な天井。
視線を左右に走らせると、パステルカラーのカーテンで間仕切ってある空間に一人横たわっているという構図だ。
冬真としては、これだけの視覚情報があれば自分の置かれている状況は十分に判るが、ダメ押しで医療用アルコールの独特な臭いが鼻腔をツンと突く。
「……、……」
目覚めたばかりで、まだまだ本調子では無い彼にとって、この臭いは幾分刺激が強いらしい。
むっとして表情を崩すと、鼻に衣服の袖を当てて呼吸を始めた。
とは言え久方ぶりに熟睡出来た気がするのもまた事実だ。
さてと、今は何時だろうか?
この熟睡度から推測するに、丸一日は睡眠に当てる事が出来た気がする。
頭が未だにぼぅとする中、携帯電話を開いて待ち受け画面の日付を見た。
◇ 06月26日(火) 11:08 ◇
「ン? 壊れてン……のか?」
一度視線を外しては袖で目を擦り、冬真は画面をもう一度見た。
「あっ、やーっと目が覚めましたね! もう、心配したんですよ! 三週間も意識不明なんて!」
小型の据置きテレビに映る自身の幻影・アリアンロッドが柔和な笑みを浮かべてそう言う。
そう。
現在は、あの事件から三週間も経っていた。
携帯電話の日付と、彼女の言う事を鵜呑みにすれば、つまりは……そういう事らしい。
「へぇ、取り敢えずまぁ、さっさと退院だな」
三週間も寝ていた事は確かに驚くべき所ではあるが、我ながらに相当な時間を寝貯める事が出来た事は有意義ではある。
冬真は前腕に繋がっている点滴の管を引き抜いてベッドから抜け出した。
「主のそういった変な所でのプラス思考は……中々に興味深いのぅ」
アリアンロッドの隣で腕を組みながら静観していた冬真の二人目の幻影・ノートは、クスリと笑みを浮かべた後に指を差して彼の視線を誘導させる。
その指先は備え付けの小さなタンスであった。
示されるがままに戸を引くと、冬真の着替えが数着用意されているではないか。
きっとこれは真琴が準備してくれていたのだろう。
数日前に着信していた彼女からの電子メールの文面からも、それは容易に推測出来た。
「入院費用は給与からの天引き、ねぇ。ったく、段取りが良いと言うか、容赦無ぇと言うか……」
そう、ぼやきながらも冬真は真琴に感謝していた。
彼女自身も仕事がある為に、そう易々と仕事を抜けて迎えに行く事は出来ない。
――故の処置なのだろう。
折角準備してくれていた私服に袖を通し、手早く私物を纏めた冬真はカーテンを開けて廊下へと繰り出した。
「あ、そう言えば華さん達が殆ど毎日、お見舞いに来てくれていましたよ!」
「あいつら……また余計な事を。まァ、礼は学校で言えば良いか」
携帯電話で現在地を確認した冬真は、携帯電話をポケットに滑り込ませて歩き出した。
さっき調べた位置情報から現在地は市民病院だと言う事も、病室番号から推測してここが六階である事も確定している。
だったら後は廊下上部の案内板に従ってエレベーターを探し、一階の受付に一言話を通してから帰宅するだけだ。
「え、ちょっ! 敷宮さん!? どこに行くつもりですか!?」
「……ン?」
廊下に出て私服で案内板を探していたからだろうか、背後から狼狽した女性の声が掛かる。
ふと声の方へと振り向けば、慌てた様子の若い看護師がやや急ぎ足でこちらに向かってきていた。
何か悪い事をしたのだろうか?
と自問自答をしようとも、先程目を覚ましたばかりの自分に何か悪さが出来る筈も無い。
けれど彼女は明らかに焦った表情を浮かべていた。
何か捕まったらいけない気がすると直感した冬真は、素早く踵を返して彼女とは逆方向へと進むことにする。
冬真が名指しされるのは担当の看護師だったからだろうか?
一瞬そんな考えが過ぎったのだが、ふと後ろを振り向くと追ってくる看護師が二人に増えていた。
それも鬼気とした表情で、だ。
「っ!? 何で?」
しかも冬真とそれを追う看護師の行動が明らかに不審であった為、周囲の患者や医師達からの視線は実に冷ややかなモノである。
神聖かつ静寂な院内で陸上競技の競歩染みた事を行うなど、場違いも甚だしい限りだ。
彼女達も自覚しているのか、空調が効いているにも関わらず額には脂汗を滲ませていた。
どうやら向こうも本気の様だ。
そうして、現在に至る――。