43:複合幻影VSタナトス(15)
冬真は歯を食いしばって足を踏込み、渾身の力で下段から上段に向かって直線的に振り抜く。
「二十……九ッ!」
通常は相手の足元を強打し、完全に振り抜く事によって態勢を確実に崩す技――二十九の段・雲斬だ。
構えるまでに時間が掛かる為、他の技との連携なら使い勝手も悪くないのだが、単発での使用は実戦向きではない技の一つである。
黒く巨大な軌跡が二本、向かってくる複合幻影の拳を接触すれすれですり抜け、冬真はそのまま右肩の接合媒体に標的を絞った。
唸りを上げて振り上げられた黒の一閃は、接合媒体に触れ――表皮に食い込み――細胞組織を断ち斬り――それらが刹那の勢いで突き進んで行く。
もう一閃が追従するかの様に肉の間を滑らせて傷を拡げれば、巨大噴水の大喝采が沸いた。
そして切断面から溢れ出る赤黒い血は、生臭い不気味な雨となって辺り一帯に降り注ぐ。
「ぐぎゃァ……やめ……ァアア……いた……アアッ!」
それと同時に、鼓膜が破れんばかりの咆哮も周囲に響き渡った。
一度区切った言葉の続きを、ノートは静かに紡ぐ。
「――それは、操者とその幻影以外は刃が視えない事。相対する者にしてみれば、正に脅威でしかない。間合いを取る事は極めて困難じゃな」
そう言うと彼女は「ア奴の様にな」と付け足して、自慢気に鼻を鳴らした。
『し……アガァアア! グウゥ……い』
一方の複合幻影は左右に首を大きく振り回し、切断部を握り潰す勢いで抑えて激痛と格闘している。
この様子から、どれだけ図体は大きかろうと複合幻影にも痛覚がある事が判った。
一体どうすればこんな大きい幻影を造り上げられるのだろうか――。
「? ゲッ!?」
何度も聞こえる複合幻影の雄叫び・悲鳴・咆哮――そのどれにも当てはまるような『声』にようやく慣れてきた折、脅威なそれは平然と降って来る。
発見するや否や、あまり意味を持たない行為――冬真は両腕で頭を保護する態勢を取った。
ズウゥン!
直後、複合幻影の肩から完全に切り離された右腕が、轟音と共に地に墜落する。
運良く少し離れた場所に着地してくれたから良かったものの、一歩間違えれば大惨事――冬真は元より一般人も怪我では済まなかっただろう。
ドクドクと脈を小刻みに打ちながら切断面から流血するそれは、徐々に小さくなった。
何事かと思った冬真が暫く観察していると、右腕は際限なく小さくなっていくばかり。
果ては掌台の大きさに収まったかと思えば、形状が変異して男性型の天使が現れるときた。
特に背から生えた羽なんかは、誰であっても天使を想起しやすいだろう――モロに童話そのままの彼である。
であるのだが、実状は元気がまるで無く、疲れ切った様にぐったりと地に横たわっていた。
「あン? なんで腕が人に……?」
「フむ、すぐに推測出来そうなものじゃがな……。この図体の大きい幻影は複合幻影と呼ばれていたのじゃな?」
そう言う黒杖もといノートは冬真の反応を待つ。
話を促さなければノートは続きを話さない事を悟った彼は、渋々と話を催促した。
「であれば読んで字の如く――複数の幻影を繋ぎ合わせて造ったのじゃろうて。この漢――天使・エンジェルは、先の事件で剥ぎ取られた幻影の一つと言う事じゃろう?」
彼女の言い分も分かるが、いくら男と言えど天使なのだから、「漢」という漢字で表現したらまずいんじゃないか?
と言う反応は心の内に秘めて置き、冬真はその先の気になった事をノートに問う。
「いや、それは分かる……俺が解せんのは「どうして切り離した瞬間、元の姿に戻るのか」って話だ。どう見たって、特殊な加工をして腕や足とかの各部位として成り立っていたんだろう? だったらそう簡単に元には戻らねぇし、戻れねぇンじゃねーの?」
「フむ、それは一理有るの。だがしかし今は悠長に構えて、その幻影の手当てをしている場合でも無かろうて。一気にケリをつけてしまえッ!」
「……そりゃそうだ」
御後宜しく手早く話を纏めて、ノートは戦闘へと冬真を導いた。
総じてノート自身も原因を分かっていないのだろう、と冬真は推測する。
まぁ事の全貌は、首謀者の首根っこを引っ捕らえて、洗い浚い吐かせれば良いとして――彼女の言う通り、とにかく今は複合幻影に集中しなければ!
先の幻術・蒼月大氷河により大ダメージを受けて怯んでいる今が、またとない好機なのだから。
冬真は踝から下を取り巻くフリンファクシを確認して、再び夜空へと駆け出した。
次の狙い目は、既に細胞組織的に瀕死の左股関節である。
冬真は絶対の自信を持ち、空中を猛進する。
今の夜刃穏杖であるならば、両腕の接合媒体よりも二・三倍は太い両足の媒体をも十分に斬り裂けるだろう。
そうすれば残りの媒体は右股関節と左肩・首の三カ所だけであり、片足・片腕の状態でバランスを保てる筈もない。
――きっと複合幻影は倒れる。いや、倒してやるさ。
そう意気込んで、冬真は複合幻影へと深く踏み込む。
「……へっ」
構える動作に入る前、冬真の口から微かな笑みが零れた。
たった一度の経験――見事、二本の杖を一遍に扱って魅せた事――で、どうやら扱う上でのコツと快感の味をしめたらしい。
両の腕に握り締める杖達を、それぞれを腹部辺りで交差する様に構えて突進すると――タイミングを見計らい、腕を素早く振り抜く!
――ザシュッ
それは一瞬の出来事。金属同士の歯切れの良い音と共に、複合幻影の肉を断ち斬った。
「……五十二の段」
駆ける速度を落とさずに相手の間合いに詰め寄り、すり抜け様に強打する奥義【五十二の段・円駆】が炸裂する。
それも杖を二本扱う時点で、祖父に教わった通りの型に嵌まった技ではない。
言わば冬真のオリジナルである。
銀杖と黒杖――それぞれが対象を薙ぐようにして振るう為、鋏にも用いられているとある物理作用が働いたのだ。
剪断力――偏に説明すれば「モノを容易く斬る力」である。
杖達を完全に振り抜き、複合幻影をすり抜けて背後を取った所で冬真は振り向いた。
まるでスローモーションが掛かった様にゆっくりと上体がズレ、複合幻影は悲鳴にならない悲鳴を上げながら地に堕ちていく。
「ほぅ、見事な斬れ味じゃの」
「凄いです、冬真! 両足の接合媒体がすっぱりと一撃で斬れちゃいましたね!」
その様を見た隣の杖達は、嬉々とした声でやいのやいの騒ぎ立てている。
彼女達と対照的な冬真は切れ目を更に細め、堕ちていく複合幻影の上体を――尤言えば表情を――睨みつける様な表情で観察していた。
複合幻影の眼は充血し過ぎていて、ペンキの入ったバケツをひっくり返したように鞏膜は真っ赤に染まっている。
※白目の部位の膜のこと。