40:複合幻影VSタナトス(12)
体中から突出している大小様々な棘は無論、手の甲にも生えている。
どうやら複合幻影は、その棘で小さな人間である冬真を狙っているらしかった。
迫る拳の棘はギラリと怪しい光を放つ。攻撃する瞬間に硬質化するとでも言うのだろうか?
棘で体を貫かれて死ぬ――なんて惨たらしい死に方は御免だ。
「っと――って、あン?」
冬真はそう思い、複合幻影の拳が最接近した瞬間を狙って、バックステップを数回踏む。
地上で戦う時と同じく、複合幻影の攻撃を紙一重で躱す事が出来るくらいの距離感覚で、だ。
大きく回避する事は、微量ながら反撃への時間を浪費すると共に体力が削られてしまう。
だから今回もギリギリで複合幻影の攻撃を躱そうとしていたのだが、如何せん可笑しな状況となった。
らしくもなく、冬真は明らかに過剰な回避をしていたからである。
距離にして、複合幻影の拳から数メートルは離れていた。
混鏡世界による身体能力の向上だけでは説明がつかない――きっと、こいつが原因なのだろう。
冬真は足元で揺らめく馬の蹄を見つめた。
このフリンファクシという生き物が、幻影に対してどういった位置付けなのかは分からないが、少なくともコイツの能力は未知数だ。
勿論、新しい幻影であるノートについても同じ事が言えるワケだが。
とにかく、機動力が計り知れなく高い事は重々理解出来た。
あとは煮るも焼くも、どうコントロールするかは冬真次第だ。
「グガァァアアアッ!」
空を掠め取った拳に納得がいかないのか、もう片方の腕を撓らせて複合幻影が追撃を放ってきた。
拳だけでは当たらないと分かり、水平チョップによる範囲攻撃を繰り出してきたのだ。
向こうも馬鹿では無い――戦い方を学習して考え、対応策を講じるだけの知能があるらしい。
とは言え、それに気前良く当たってやる気は勿論ない。
横薙ぎの攻撃ならば、上に跳躍すれば簡単に避けられるのだ。
「効かねぇな――って……ッ!?」
冬真はその場から垂直飛びで躱そうとする。
実際にはしっかりと躱せたのだが、如何せん想像以上に高く飛んでしまい、複合幻影の頭上を裕に超えてしまった。
ただの垂直飛びで百メートルは軽く上昇しただろうか。
フリンファクシの力に依る所は大きいが、ここまで脚力が強化されてしまった事は流石の冬真も想定外だった。
恐る恐る眼下を見下ろせば、まるで街はジオラマのよう。
但し、実際の意味合いとは異なり、こちらは実物大――と言うよりも正真正銘、実物なのだが。
「たか……」
それは余りにも高すぎる位置である。
加えて夜風が四方から吹きつけてくる為、身体のバランスを取る事は極めて難しいのだ。
有り難い事に複合幻影は、冬真の姿を探す為に視線を地上へと向けていた。
流石の奴も人間が宙に浮くとは――ましてや自分の頭上に陣取っているなどと考えてはいないらしい。
ふらふらと上体を前後させながらバランスを保ちつつ、冬真は気持ちを落ち着かせる事に専念する。
「えへへ、もしかして……怖いんです?」
「あ? 何が怖いって……?」
冬真の心情を見透かしたアリアンロッドは、笑いを堪え(るつもりだが、全く堪えられていない)ながらに言った。
「ですからぁ、高い所が!」
「別に怖くなんか――」
既に隠すつもりも無いのだろう、この娘は。
小刻みに銀杖が震え始めたのが、何よりの証拠だ。
確かに彼女の言う通り、冬真は大の高所恐怖症である。
但し図星であるからこそアリアンロッドに対して頭にきた冬真は、即座に否定しようと口を開くも――。
「なんと、主は高所が怖いとな? まっこと仕様もない漢じゃな。ちゃんと付いておるのかえ?」
今度はノートが茶化しに入る始末だ。
一体全体、俺の幻影達(の頭の中)はどうなっているのだろう。
そう激しく思えてならない冬真であった。
「た……グォォオオッ……て――」
再び複合幻影が大きな呻き声を上げる。
ふと冬真が眼下に視線を向けると、複合幻影と目が合った。
向こうも獲物である冬真達を漸く見つけられたのか、嬉々としてニターっとした気色の悪い笑みを浮かべている。
けれども目が合った瞬間に複合幻影は笑うのを止め、頬まで裂けた大きな口をめいいっぱい広げた。
コォォオオオッ
口を窄ませて空気を吸う時の音――あれに似た大きな音と、複合幻影周辺の気流の変化が、冬真に異変を気付かせる事になる。
「吸っている、のか?」
複合幻影が口を広げた直後、奴は周囲の空気を激しく吸い込み始めたのだ。
けれど正直に言えば、空気を吸っているかどうかは定かではない。
では一体、奴は何を吸い込んでいるのか?
大きく広げられた口――その喉の奥では、白く光る玉が見えた。
加速度的な勢いで膨張する光の玉は、何かしらのエネルギーなのだろう。
その“何かしら”は分からないが、雰囲気的に極めて危険な物としか言いようがない。
数十秒と経たずにそれは、口いっぱいに溜まってしまった。
溢れ出る白く発行するエネルギーは、複合幻影の口元で多量の燐光となって浮遊している。
光の集束が収束したのだろう、複合幻影は一旦口を閉じた。
こりゃ、もの凄く――。
「イヤな予感しかしない」
ぽつりと零す冬真の頬を、冷や汗がつぅと垂れる。
「ゥゥ……ガァアアァァアアアッ!!」
「ッッ!!!!」
複合幻影はカッと目を見開き、めいいっぱい開いた口から光の塊を吐き出した。