34:複合幻影VSタナトス(6)
高いテンションに着いていく事の出来ない冬真は頭を抱えてしまう。
「それじゃ、よろしく頼むよ。もうそろそろ、多重混鏡世界の発生が検索に引っかかったし、気を付けてね!」
「多重混鏡世界? なんだそりゃ?」
「あれ? 聞いた事無い? 混鏡世界の発生中に、追加で混鏡化が発生する事で派生する異界の事だよ。自然に発生した混鏡世界だろうが、幻核で人工的に発生した混鏡世界だろうが関係ない。通常の混鏡世界よりも、更には鏡世界と同等以上に体への負担は大きくなる……嫌な場所さ」
先程の気楽な口調とは打って変わり、落ち着いた声調と憂いた表情で話す壇。
きっと過去に何かあったのだろうが、今はそれどころではない。
それよりも多重混鏡世界――確かに数回だが、混鏡世界から帰還した時に身体が妙にしんどい事があった。
いや、この場合は「遭った事がある」が正解か。
あんなもの、最早天災レベルだ。
「キャァアアッ!」
突如として複数の甲高い悲鳴が、夜の街に響き渡る。
冬真の視線の先には、数名の男女が震えながら身を寄せ合っているではないか。
もしかしなくても、これは――拳を天高く振り上げている複合幻影が一般人を狙っている!
「話し込んでいる場合じゃねぇ――っ!」
手早くフードを目深に被り直し、冬真は狭い路地から大通りに向けて飛び出す。
四の五の言っている暇は無い。
今はとにかく、全力で複合幻影の攻撃から一般人を守らなければ。
「おォぉあぁアあアアっ!」
雄叫びを上げながら複合幻影が、一心に拳を振り下ろす。
拳の速度は遅いが、力(F)は加速度(a)と質量(m)の乗法(F=m*a)で表されるから――あの膨大な質量の衝突は計り知れない破壊力を秘めている事になる。
先の足による踏み付け攻撃の時と同じく、複合幻影の攻撃は半端な対処では到底太刀打ちできない。
おそらく、冬真も薄々気付いているのだろう。
常に全力で動かなければすぐにあの世行き確定だという事に。
全力を出したところで、全員を無傷で助けられる保証はどこにも無いと言う事に。
それでも両の足を肩幅程に開いて踏ん張り、両手で握り締めた銀杖を突き上げる。
「っらぁああアアッ!」
全身が強張っている為か、自然と声に覇気が篭る。
間もなくして視界が遮られる――唸りを上げて迫る拳が地面へと叩き付けられたのだ。
ビキビキと迷走しながら放射線状に亀裂が奔る。
「オ゛ッ! オ゛ッ! オ゛ッ!」
けれど、先程と同じように複合幻影が素早く拳を引いた。
そして弱々しい声を上げながら、複合幻影は自身の手を見つめている。
複合幻影の中指に血の氷柱が伸びていた。
幻装・蒼氷燕架により難を凌ぐ事が出来、安堵の息が口から零れる。
それも束の間――男性のやや大きめな声が響いた。
「知佳! しっかりしろ、知佳!」
冬真が後ろを振り向くと、一人の女性が下半身を抑えて倒れているではないか。
どうやら女性に意識はあるみたいだが、生気がまるで無く、ぐったりと横たわっている。
冬真が防衛出来る範囲から、知佳と呼ばれる女性の下半身がはみ出してしまったのは明らかだった。
その隣では片膝をつき、何度も女性の名を叫ぶ男性の必死な姿。
彼氏か旦那なのだろうと容易に窺える。
「くそ……くっそぉっ!」
悔しさに顔を歪ませる男は声を荒げ、当たり様の無い苛立ちを拳に込めて地面に打ち付けた。
じんわりと血が滲んでくるが、差して気にする様子は無く、ふと周囲を見渡すと――目が合った。
フードを目深に被っている冬真にとって、正確には一方的に視線が合ってしまった様なものだが。
それでも冬真はハッとする。
苛立ちの炎の矛先は確実に自分に向いているのではないか、と。
「……えの……だ」
男性の口元が微かに動くのを冬真は見逃さない。
ただ小声だった為に、完全に聞き取る事は出来なかった。
いつの間にかその場に居た男女五名から、敵意剥き出しの視線を集めている事に気付く。
とは言え今回の相手は一般人だから、危害を加える訳にはいかなかった。
どれだけ睨まれようと蔑まれようとも、冬真は最善を尽くしたのだ。
感謝をされども非難を受ける道理は無い――筈なのだが、どうやら平和ボケした一般人にはそんな事は関係ないらしい。
自ら死地でのうのうと見物していた事は棚に上げ、助けきれなかったら怒りを爆発させて八つ当たりという愚行――余りにも虫が良過ぎる考え方だ。
「――えの……お前のせいだァッ!!」
その場から男性がゆらりと立ち上がり、大声で叫びながら冬真に殴り掛かって来た!
「っと……危な」
予め身構えていた冬真は、男性が殴る動きに入った瞬間、素早くバックステップを踏んで冷静に対処する。
こと戦いに関しては素人の一般人の右ストレートなど、ここ数カ月様々な実戦を積んだ冬真を捉えられる筈も無かった。
無駄に体力を消耗するよりも、この場は引いた方が良い、か。
冬真はそう考えて、一般人から複合幻影を引き剥がそうと駆け出した。