17:新人二人(3)
◇ ◇ ◇
タナトスの話題は、既に町中で埋め尽くされていた。
――あぁ、やっぱりそうなるよな。
視線を落とした冬真は乾いた笑いを零す。
そもそも守浜市自体が小さい町だ。
噂など――ましてや、テレビや新聞、ネット上に拡散された情報を得るのは年齢を問わない。
誰でも知る事が出来るのだ。
ただ、膨大な量の情報を誰でも知る事が出来るが故に、根も葉もないコトを言いふらす輩も多い。
つまりソレ自体が――少なくともこの町の大半が「どれが正しい情報なのか判っていない事」を示唆していた。
学校へ着いても、このどうしようもない状況はあまり変わらない。
玄関から自席に着くまで、話題が途切れる事は無かった。
あちらこちらから聞こえる噂と情報が交錯する中、うんざりした冬真は机の天端に顔を埋める。
「しょうもないな……」
事実を知っている冬真としては――と言うよりも本人であるのだが――ほとほと呆れていた。
十数分後に担任の男性教諭が、ショートホームルームの為に教室に入ってくる。
「ほらー、席に着けー! ホームルーム始めるぞー」
一年二組の担任がやや大きめの声でそういうのだが、それでも尚クラス全体は愚か、隣クラスの雑談でさえも聞こえていた。
とは言え、冬真のクラスの担任は「静寂の待ち人」ではない。
「……、……ったく」
こういった状況には毎年慣れてはいるのだが、いかんせん教諭も人間なのだ。
何事にも程度と節度はある、というコトを教える事もまた教諭の役目か――。
バシッ!
担任は出欠簿を大きく振りかぶり、勢いを付けて叩きつけた。
その瞬間、クラス中の空気がピリッと張りつめた気がする。
冬真の記憶では、前回も似たような事があったとは思うが――教諭の間で流行っているのだろうか?
正直どうでも良いなと感じながらも、つい冬真は思ってしまった。
「――静かんせぇッ!」
一瞬にして静まり返った教室の中、担任は何事も無かったかのように点呼を取り、連絡事項を話し出した。
「連絡事項が何点かあるから、関係ある奴はメモしろ。まず一点目。昨夜、商店街の脇道で通り魔が逮捕された、という情報を今朝、県警から通達が来た。発見当初、犯人は傷だらけだったという事もあり、別の事件性が増した」
そこで一旦、言葉を区切った担任は気怠そうに後頭部をひと掻きすると、ため息を一つ。
ここまで指導する必要はあるのだろうか?
高校一年生ともなれば、そこそこイイ年齢なのだ。
義務教育は終えている筈なのに、逐一こんなくだらない事に釘を刺す必要もないのになァ。
そうは思いつつも、担任は再び口を開く。
「まぁ、夜遊びはするな! 夜遅い時間帯のバイトもするな、って事だ! 俺個人としては、別に今言った事を守らなくても良いが――痛い思いをするのはお前達だ。もうガキじゃないんだから、自分で判断しろ。いいな? で、二点目は今日の三限目の数学が英会話に変わった。移動教室だから間違えるなよ。で、三点目は――」
続けて四、五点の連絡事項を伝えた担任は教室を出て行った。
始業にはまだ数分の余裕があった為か、華が冬真の席へと近づいて来る。
「あのさ。昨日、冬真が恭平に連絡してくれたとでしょ? ありがと。ホンッッット、助かったよ」
そして天端に両手をつき、華は身を乗り出すように礼を言った。
昨夜は相当怖い思いをしたのだろうが……礼を言う相手は俺じゃない、恭平だ。
「……俺は何もしていない。恭平が勝手に動いたんだろ? 第一、通り魔に向かって行くなんて、馬鹿のする事だ。ったく、危なっかしい」
頬杖をついて話を聞いていた冬真は、視線を窓の外へと向けながら言う。
正直に言って、冬真は二人の行動に呆れていた。
そもそも、根本的な考え方がおかしいのだ。
JP'sという組織に入った事がそもそもの発端。
一般の人と違う事――もっと言えば、一般のそれとは別の角度からの人助けが出来る。そんな「特別」な状況だからこそ、上層部からの命令でもない、自分達の意志で「何か」を成し得たい――達成感や優越感に浸りたい衝動。
その延長線上にあるのが、今回の騒動でもある。
そもそもが、不要な危険を冒す必要など、どこにもないのに。
華と恭平には、その意識がまだ足りていないらしい。
「はーな! ちょっとその話、詳しく聞かせてくれない?」
そんな様子を見ていた祐紀が、じっと据わった目付きで冬真と華を交互に見つめながら言った。
どうやら冬真と華の会話の一部を聞かれていたらしい。
とは言え二人の会話は意味深な会話であった事に変わりない為、回避する事は出来そうもなかった。
「え……あ、はは。じゃあ昼休みにでも良か?」
「良かよー! そいと冬真君、君も参加だよ?」
祐紀にそう言うと、冬真に視線を向けながら華は自席に戻って行く。
対する祐紀は「昼休みは期待している」とでも言いた気の満面の笑みで応えた。
華が居なくなった今、祐紀の話の矛先は当然、近場の冬真に向けられる。
「あ? 華との話だろ? 俺、関係無ぇし」
「何言っちょっと? 冬真君も話に絡んでいるのは明白じゃらい。てか、|わいどん(貴方達)くっ付かんと?」
「? くっ付くって?」
あっけらかんとした態度で言い切る祐紀の肝が恐ろしい。その意味は分かってはいるものの、冬真は「なぜ自分に?」と疑問だけが残る。
「じゃっで、付き合わんと? って事。少なくとん華は冬真君の事好きじゃっど? 前に、諦めるって言っちょったけど、諦め切れてないね、あれは絶対」
「別にお前には――」
「うん、勿論関係ないよ? でもあたしは華を応援したい! つまりはそういうコト!」
そう言いかけた冬真だったが、祐紀に阻まれた。
「勝手にしろ。どうせ一方通行で終わる」
冬真自身、華を嫌っていると言いたいわけではない。
但し、恋愛感情については皆無であった。それもそうだ。
幼少からの付き合いとは言え、五歳から十五歳の約十年間のブランクがある。
寧ろ、接していない期間の方が圧倒的に長いのだ。そう考えると大して特別に華の事を深く知っている訳でも無く、彼女に対して女性的な魅力を見出せていない所が、恋愛感情皆無の理由の裏付けになるに違いない。
「はぁ? あんだけ近くにいて恋愛感情持たないって、キミは聖人にでもなったつもり?」
「いンや、そんな大袈裟な。まぁ(聖人ではなく人間)だからこそ、俺にも好き嫌いはある、って事だ」
そこまで言うと、祐紀をじっと見つめて目で訴える冬真。
いい加減、面倒になって来た彼が「もう(この話を終わらせても)良いか?」と祐紀へ伝える為に。
「……わかった。続きは昼休みね!」
そう言った祐紀はウインクをした。
うん、全然わかってないな、こいつ……。