16:新人二人(2)
安心して、一気に気が抜けてしまったのだろう。
「でも、結局後は本人の意思次第だけど……やってみる?」
今度は真琴が翠子に向かって訊く。
旧知の仲である冬真・華・恭平とは状況が違うのだから、流石の真琴もあまり強引に勧誘は出来なかったのだ。
「……済みません。そもそもJP'sの活動自体、具体的な内容を伺っておりません」
すると、たどたどしい口調で答える翠子。
彼女の表情は依然として長い髪で見えないままだ。
一体どういった心境なのだろう?
「はぁ、やっぱそうなるのね……。まぁ良いわ、私が説明したげる。まずJP'sって言うのは――」
額に掌をあてがった真琴は盛大に溜息を吐きつつ、翠子の隣に腰を降ろして説明を始めた。
今から自分が身を置くかもしれない活動の内容だ。
――しっかりと聞かなければ!
そう考えた翠子は小さな体を真琴に正対に向けて、彼女の話に真剣に耳を傾ける。
存外、元来から翠子自身が、生真面目なのだろう。
いいや、きっとそれだけではない。
人を惹き付け、心の底から納得や説得させる真琴の話術――やはり師である名護譲りなのだろうか?
既に内容を知っている華達も、いつの間にか真琴の言葉に聞き入っていた。
一通り話を聞き終えた翠子は出された茶を一口すすり、むぅと小さな唸り声を上げて考え始める。
こういった特殊な環境での「自身の命にも関わる活動」に参加するなど、そうそうに即答出来る筈も無かった。
常に危険と隣り合わせの活動で、人種や性別・年齢や職種など関係無く民を守る。
そもそもメリットなど在りはしない活動に参加するなど――誰もが皆口を揃えて「断る」に決まっているのだ。
――だったら何故……?
翠子の脳裏に一つの疑問が浮かび上がる。
「一つ、質問があります」
長考の末に口を開いた翠子の視線は、真琴のみではなくJP'sメンバー全員に向けられていた。
「皆さんがJP'sに入った理由を知りたいです」
「JP'sに入った理由か。私の場合は……参考にはならないかも知れないけど。妹への贖罪、かな」
翠子から最初に訊かれた真琴は、わざと悪戯っぽく笑って見せた。
けれど、彼女の目は笑ってはいない。きっとそれが真琴の本心なのだろう。
横目で見ていた冬真はそう感じていた。
――にしても……ここでもやはり妹、か。
冬真は小さく呟いた。
小さい頃に真琴と遊んだ記憶はあるのだが、その妹とは全く面識がなかったからだ。
会わない訳が無い、筈なのに――これは一体どういう事なのだろうか?
そもそも彼女の云う贖罪とは?
大方、魔の領域ノートに書かれていた事に関わっているのだろうが……。
「贖罪?」
恭平が首を傾げて訊き返す。
「うん……六年前、私の妹は幻影に連れ去られたの。その時は足が竦んでしまって、結局私は何も出来なかった。だから私は、妹を奪った幻影を絶対に斃すって決めたってワケ。まぁ最初の動機は確かに「復習」だったかな。でも実際の所、今では幻影から市民を守る事が重要だと思っているわ。ちょっと照れ臭いけど、妹みたいな犠牲者をこれ以上出さない為にも、ね! それがきっと妹への罪滅ぼしになると信じているから」
初めて聞いた、真琴の職への熱意。
その場に居た誰もが心を打たれてしまった。
「真琴さん、妹さんって小さい頃もこの町に居たんでしたっけ? 私達会った事無いですよね?」
そんな折、華が素朴な疑問を真琴に投げる。
「んー、まぁね。私とは正反対の性格だったから、家に居る事の方が多かったから会わなかったのかなぁ。それに、身内同然のご近所さんに紹介なんてしないでしょ?」
「それだけじゃ説明が着かないだろ。親戚の集まる盆と正月ですら、俺は会った事が無いぞ?」
真琴の発言に意見を唱える冬真。
一度も会った事がない、とは流石に偶然が重なっただけとは言い切れ無いのだ。
「あの子だけは――家族の中でも特別だったからね。人一倍、『幻影』に敏感だった。物心ついた時から幻影を扱えたのよ。当然、親も……私も信じなかった。目にする事の出来ない存在をそう簡単に認める事など出来なかったの。親も見かねていた。小さい頃に何度も病院に連れていかれたけれど、結局異常なしの診断しか返って来なかったから。皆もたまにあるでしょ? ふと自分の幻影と会話していたら独り言だと周りの人に勘違いされた、とか」
「あ……そう言えば」
真琴の言葉に各々が気付く。
確かに二カ月程前から――幻影の存在を知ってからと言うものの、周囲の空気が若干変わった気がしていた。
「ね? つまりはそういう事。だからかなぁ、似た者同士が集まるこの活動は、翠子ちゃんにも居心地は良いと思うよ? 勿論これだけ人数が集まってくれば、担当を分担する事も可能だし」
若干無理矢理感はあるが、真琴は翠子をそことなく勧誘する。
翠子が、JP'sに入った方が良いのにはもう一つ理由があった。
それは、彼女が犯罪に走る事を事前に食い止める事にある。
似た境遇の同年代が周りに居る事こそ、簡易ながらに最大の抑止力。
だから、強引な手段は使えないにしても、真琴は何としても翠子を加入させたかったのだ。
「むぅ……、――」
すると再び暫く考え込む翠子。
彼女的にはどう断ろうと考えていただけに、まんまと真琴の言動に揺さぶりを掛けられたみたいだ。
「――分かりました。警視庁にこうして居る事自体、まだ信じられないですけれど、少しだけなら……」
結果、翠子はぼそりと承諾する。
快く引き受けたわけではないが、興味が全くないと言う訳でも無いらしい。
先程の真琴のJP'sの説明にもあったのだが、一般市民が幻影を扱う事は犯罪とされてしまう。
存外、翠子は│幻影を気に入っている。公的に使用の許可が下りるのであれば、悪い条件ではない。
「それでもいいよ。まずは体験就職って事で」
目を細めてほほ笑む真琴の表情を見て、翠子は少しの安堵感を覚えた。
自分の選択は間違ってはいなかった、と。
――ただ、他のJP'sメンバーは内心『あっ、堕ちた』と思ってしまう。
今までの真琴の行動を見れば、絶対裏があるに違いないのだ。
それを裏付けるように、事前に準備していたエントリーシートを翠子に差し出しては、懇切丁寧に説明をし出した。
――あぁ、ご愁傷様。
そう思う反面、華達は嬉しくも、頼もしくも思っている。
メンバーが増える事に加え、今までに居ない、超遠距離担当が出来たのだから。
「んじゃ、先帰るぞ」
真琴と翠子が机に向かい、微妙な空気が流れた為に、他のメンバーは各々に帰り支度を始める。
一足先に帰ろうとするのは冬真。
「お疲れー! あ、味噌汁の火ぃ入れとって!」
「へーい」
そんな冬真に真琴が日常的な会話を投げ掛けた所で、場の空気が和んだ事は言うまでもない――。
ほんの数日前では例の少年と言っていた筈、にも関わらずだ。
一般論で言えばタナトスが犯人である方が、オカルト系の取材陣に対してはウケが良いのだろう。
昨今、今回の様な事件は様々なメディアを通して情報が拡散されやすい。
そんな現代事情を逆手にとって、更なる怪奇現象が起これば、世論の関心度が上がる。
これはオカルト研究者陣にとっても科学者陣にとっても都合が良いのだ。
また可能性は低いが、怪奇現象がオカルトだけの所為ではないと、訂正する為にタナトス本人が名乗り出ればそれも良し。
いや、きっとそちらの方が目的なのだろう。
そもそも冬真にとっては、そのどちらであろうと、不愉快極まりなかった。
あぁ、胸糞悪い――。
「おいっすー! 冬真、学校遅れるよー!」
と、玄関先から華の声が聞こえる。
ふと時計を見れば、時計は八時を指しているではないか。
テレビの不快な討論に耳を傾けていたからか、どうやら時間が早く経ったみたいだ。
「あぁ、今いく」
はっとした冬真は自室に一旦戻って支度を済ませ、急いで玄関へと向かった。