10:黒猫(3)
どうやら華の居場所は混鏡世界の展開範囲内らしく、鏡世界を経由してピンポイントで彼女の居場所に行く事は出来ないのだ。
というのも、混鏡世界は別名として異界化があるが、性質として鏡世界と現実世界とも隔離された空間である。
だから、どちらかの世界から地続きで行く事は出来ても、経由して入る事は稀人でさえも出来ない、と言うワケだ。
その上、今回の混鏡世界の範囲は異常に大きかった。
混鏡の境界までは瞬間的に移動する事が出来るのだが、そこから先は走るしかないのだ。
そこで麒麟から話があったのが、シンティラについてだった。
取り敢えず恭平は、現時点で自分が知っている事だけでも話す事にする。
「ああ、あれは瞬間移動じゃなくて……殆ど音速の速度で走ったんだ」
「? 音速!?」
華は更に目を輝かせて驚いた。
「そっ! 麒麟が教えてくれた新しい幻装・シンティラを使ってな!」
「へぇー、良かなぁ! 便利そうやらい!」
恭平の足先から頭頂部、更には突剣状態の麒麟をまじまじと見つめながら華が言う。
まぁ確かに華の言う通り、便利な能力だと恭平自身もそう思った。
それと同時に、彼の頭にも別の考えが浮かんだ。
小説やテレビ・ゲームなどには、特異な能力が付き纏うし、それには制限や代償がある。
きっと、この幻装にも当然あるのだろう、と。
「けど、制限つきだぜ? 麒麟が傍にいる鏡世界か混鏡世界に居る時で、一日十秒以内のみ使用可能らしい」
口を尖らせながらぼやく恭平は、あからさまに不服そうだ。
一日の内に十秒はかなり少ないと思う。
まぁ、そもそも活用しない状況である方が、正直なところ一番なのだが。
「それもちゃんと考えているんでしょ? 麒麟ちゃんは」
「ンん、まぁそうなんだろうけど――」
華にそう言われてしまったが、言い淀む恭平はやはり納得はいかないらしい。
そんな表情をしている。
「今、鏡世界について話していましたか……?」
ぼそぼそとした口調の声が、不意に背後から聞こえた。
声の主はおそらく、黒猫もとい犯人の女生徒だろう。
とは言え、今はそんな事はどうでも良かった。
何故、彼女が混鏡世界の存在を知っているのか、と言う事だ。
「ああ、そう言ったけど?」
「なら、貴方達も稀人……って事ですか?」
黒猫は小さな声で現実を確かめるように訊いてきた。
もしかして、とは考えていた恭平だったが、どうやらやはり彼女も稀人らしい。
だとしたら、益々見逃せなくなる。
JP'sに加入する時に真琴に言われた一言――幻影犯罪者を捕まえる事も仕事である、と言う事が脳裏を過ぎったのだ。
同じ学校の女生徒を警察に突き出す事は、恭平も華もどこかしら気が引ける。
とは言え、明らかに犯罪者である少女をみすみす見逃す事は、犯罪助長とも取れてしまう。
結局ここは、仕事と割り切るしかない。
二人はそう判断した。
「もちろん。それに俺達は、お前みたいな犯罪者を取り締まる側の人間だ」
「は、犯罪者? わたし、そんな……」
「つうわけで、一緒に来てくれるよな?」
恭平は彼女が逃げないように肩を抱える。
その瞬間、彼女が小刻みに震えているのが分かった。
そして彼女の小声で呟く言葉が、途切れ途切れに聞き取れる。
「新手の通り魔から、私、貴女を助けた、のに……」
「え、今なんて?」
すると今度は、恭平は出来るだけ穏やかな口調で問う。
黒猫は今にも泣きだしそうな片言の愚図ついた声で喋り出した。
「私が貴女を助けたんです。通り魔から」
「? えと、ぇぇええええッ! 通り魔!?」
彼女の言った事の意味を、華が脳内で?み砕くには数秒を要する事になる。
隣で聞いていた恭平も目を見開いて驚いていた。
それと同時に、二人は身の毛もよだつ寒気も感じる。
世間とは余りにも狭いものだとは……。
まさか、こんな身近に不審者――それも最近話題の通り魔――に襲われるなんて、今の今まで思いもしなかった。
「ニュースで話題。新手の通り魔、今……南下中」
「マジか、知らんかったゼ」
恭平にとって、勿論華にとってもその情報は初耳である。
そもそもが窃盗や強盗、ましてや殺人などの大きな事件はこの辺では起こった事が無い。
最初から「そのような不祥事」は起こらないと言う固定概念が、この町には古くから根付いていたのだろう。
故に二人は――いや、町民全員を対象として――完全に他人事だって思っていた訳だ。
「そ、それより新手の通り魔って?」
強張った表情のまま、華はおずおずと少女に訊ねる。
「聞きたい、ですか?」
そう訊いた少女に、華は静かに顎を引いた。
相対する少女は「……そう」と儚げに短い返答の後、たどたどしい口調で質問の答えを紡いだ。
野暮ったい不揃いの前髪で、至って表情は見えないが――おそらく無表情なのだろう。
闇夜に紛れるかのような抑揚の無い声調が、それを物語っていた。
恭平は少女から一通りの経緯を聞いたが、あまりにも聞き取り辛かった為に、自身の理解も含めて脳内で整理する。