04:特務の代償(3)
つまり、義手の存在意義など、元より有りはしないのだ。
「理由、ですか。んー、言われてみれば、確かに。そこまで深く考えたこともありませんでした」
冬真がそう聞くと、対するアリアンロッドはあっけらかんとした表情でクスッと短く笑った。
「お前自身の腕の事だろ?」
呆れ気味に冬真が切り返すと、損傷の少ない右腕で彼女の義手に触れてみた。
ひんやりと冷たく、まるで金属のように光沢がある。
しかし、まるで筋肉のように滑らかな動きをするそれは、明らかに金属のように剛度の高い材料ではないだろう。
この世の存在ではないのだから、きっと未知の素材で出来ているに違いない。
冬真はそう結論付けた。
「なるほど、冬真は――」
その様子を見ていたアリアンロッドは小さく呟くと、袖をもっと上までたくし上げた。
まるで「私の身体にやっと興味を持ってくれましたね」と目で訴えかけているようにさえ感じる。
――またいつもの暴走か……。
冬真はそんな彼女からの熱い眼差しを完全に無視していた。
気にせずに腕へと視線を向けると義手は肩まで延びていて、不思議な事に接合部が皮膚と完全に同化していた。
肩から生えていると表現しても、あながち間違いではない気がする。
「転生した時からずっとですから、詳しくは分からないんです。痛いってワケでもないですしね」
「へぇ? 転生した時から、か」
という事は、元から本来の腕が無かったという事だ。
彼女が転生する前に何かあったのだろうか?
「えぇ、それにしても久しぶりですね。冬真が私に興味を示すのって」
「そか? 興味って程じゃねぇよ」
冬真は口ではそう言いつつも、正直気になる存在だという自覚もある。
人間と表裏一体の存在――ファントム。今更ながらに、謎が多いな。
冬真は大きく息を吐き出した。
「あ、ツンデレだぁ。やっぱり冬真は可愛いです」
今のどこにツンデレ要素があったのだろうか?
言うが早いか彼女は仄かに頬を赤らめると、冬真の額を人差し指で軽く小突いた。
「お前どこでそんな単語……ッ!?」
瞬きをした次の瞬間には、唇を突き出すアリアンロッドの顔が冬真の眼前に迫っていた。
慌てて首を傾けて緊急回避を図り、追撃として彼女の額にデコピンを食らわせた。
乾いた音が、彼女の脳内に何も入っていない事をそことなく知らせる。
「あうぅ……痛いです、冬真」
「痛くしたんだ、当たり前。気を抜けば、ここぞとばかりに大胆に攻めてきやがって」
ジト目でアリアンロッドを睨み付けてはいるものの、弾いた時の良い音と赤い楕円形の跡が出来た事に、内心満足していたりもする。
彼女は額を両手で必死に押さえながら、華奢な体を捩らせて小さな呻き声を漏らした。
「良いじゃないですか、私と冬真の間柄なんですから」
「だったら尚更だ」
「――あのぅ、なんか冬真、無理に人を避けています?」
彼の返事が気に食わないのか、アリアンロッドは顔を詰め寄らせると、眉を顰めておずおずと訊いてくる。
「別に……それがどうした?」
彼女の様な口調と言葉は、冬真の言葉を少しだけ詰まらせた。
何故なら図星だったからに他ならない。
これは、他人との間に壁を作る「彼の生き方」の最終的な体系だ。
自嘲気味に作り笑いを浮かべる冬真。
対して意外な彼女は、一点の曇りもない微笑みを彼に向けていた。
「いえ、それでもいいのです。私はどんな貴方でも好きですから」
紡がれた言葉と表情が冬真からしてみれば、完全に不意を突かれて呆気に取られた。
そこには今までの様にフザけた表情は無く、純粋無垢な眼差しが真っ直ぐに冬真へと向けられていたからだ。
改めて見た彼女の瞳は澄んだサファイア色をしている。
その彩度の高さは、彼女の言葉に裏表が無い事を裏付けしてるように思えた。
そう言えば、アリアンロッドと出会ってかれこれ二ヵ月程になる。
起きている間は殆ど視界に入るアリアンロッドであるが、彼女のこんな表情を見るのは実に初めてだった。
改めてじっくりと彼女の事を見つめていると、心臓が一度大きく跳ね上がる。
いつにも増して、彼女の事が(不本意ながら)可愛らしいと感じてしまったからだ。
コイツになら少しくらい心を許しても、良いのかもしれないな――。
ふとした「考え」が冬真の脳裏を過る。
彼にもその考えが思い浮かべられる程に、以前と比べて生活環境が改善されたからだ。
◇ ◇ ◇
ふとして冬真は過去の出来事を思い返す。
敷宮冬真の周りでは、虐めが横行していた。
勿論それは義務教育である九年間を都会で過ごしていた時期ではあるのだが、当時はとにかく酷い有様だった。
学年が上がるにつれ、陰湿さと巧妙さは徐々に増していくのに対し、「行為」を認識している筈の教師は黙認という始末だ。
そんな状況下に居た冬真にとって、子供ながらに「友達という概念への不信」が募り、「大人など当てには出来ない」と悟ってしまった。
とは言え、彼自身が虐めを受けた事など、ただの一度も無い。
父親が警察庁に努めていた事が大きな要因だろう。
冬真自身は虐めを受けないが、周囲のクラスメイトが一人、また一人と被害に遭う。
冬真は、子供ながらに笑顔を張り付けた友達が嫌いだった。
――媚でも売っているのか?
それとも冬真を怒らせるなとでも、親に言われたのだろうか?
彼にとっては、酷く心外な事だった。
明日は我が身――父親の後ろ盾がいつまで持つのだろうか?
そんな緊張と不安な状態が九年間、ずっと続く事になる。