03:特務の代償(2)
◇ ◇ ◇
一通りの治療が終わった今、カッターシャツの下から透けて見える程に包帯を手厚く巻かれている。
だから中間服が許可された六月の今でも、冬真は学生服を着ていた。
ただ例年よりも気温は低いし梅雨に入った事もあり雨続きで、学生服を着ていても特別に目立つような事は無い。
「ねぇ!」
「あ?」
痛めた腕を忌々しく見つめていると、突然現れた華の掌が冬真の腕に軽く触れる。
「い゛ッ!? ぐ、あぁッ!」
華からしてみれば、何の悪気も無い「ただのスキンシップ」だったのだろう。
しかしそれは冬真の顔を苦痛で歪めさせるには十分の衝撃だった。
「え!? ええッ!! どしたと!?」
呻き声を上げる彼に対して、華はどうする事も出来ずに当惑する。
「べ、つに……」
必死に無表情を取り繕い、やっとの事で絞り出せた冬真の言葉は「いつもの口癖」だった。
正直に言うと、真琴の様に術で傷を手当て出来れば良かったのだが、生憎と彼はそんな便利な術は持ち合わせていない。
その上、真琴は冬真とは別の場所に混鏡世界の調査へと向かったので、現在は音信不通。
つまり、傷の手当てを頼む事も出来ないのだ。
結局の所、病院では気休め程度の処置で終わったワケだ。
「別にじゃないよ!」
頭の中の整理が終わった華は憤慨して冬真に言うと、まずは彼を逃がさない様に袖を優しく掴み、学生服にそっと手を掛ける。
それからワイシャツの袖を捲ると、血の滲んだ包帯が露わになった。
「ちょっと、血っ! 何で? どうして!? あたしそんな強く――」
「い、いーから……騒ぐな」
「あ……、うん」
取り乱す華の声がやけに大きくて、冬真の頭に重低音の様にガンガン響く。
騒がしさが容体に障ると感じた冬真は、余り口を動かしたくは無かったので短い言葉で華を制した。
暫くすると包帯の上からでも、感覚的に止血したのが分かる。
それと同時に腕の痛みも引いていた。
「い、痛む?」
自分の所為だからと言い張り、痛みが引くまで華は冬真に付き添った。
起因は確かに華だが、実際は必要以上に腕を力ませた冬真が原因だ。
「ごめんね」
しゅんと元気を無くした華は、彼の前の席の天板に正座している。
気にするなとは流石に言えないが、とやかく叱る謂れもない。
「……ああ」
複雑な心境の冬真は、ただそれだけを発した。
「でも、どうしてこんな怪我を……?」
冬真の許しにより、少しは救われたのだろう。
顔を上げた華は、悲愴な表情でおずおずと問うた。
「杖術の練習でヘマした」
「――嘘だよ。ここまでの怪我なんて、そうそうせんよ」
冬真の苦しい返答に、華が珍しく的確に指摘する。
「ねぇ、何したの?」
「別に」
出た。華の質問地獄だ。
痛みに耐えつつも、冬真は内心溜め息を吐き出す。
「もう! はぐらかさんでよ。危なかこい、しとっとじゃなかと?」
「さぁな」
「心配しとっとよ? あたしは!」
「……」
――そんな事、お前の目を見りゃ判るさ。
だけど、それを言ってどうなる?
言えば、もっと心配する事は目に見えている。
だから言わないんだ。
何故それが分からない?
冬真は頭を悩ます。
特務の事を言うべきか、否か……答えは決まっている筈なのに。
華はうっすらと涙を浮かべ、制服の袖口でそれを拭った。
その涙が偽物でない事も、彼にはハッキリと判っている。
けれど、だからといって特務の存在を教える訳にはいかなかった。
話したら絶対に首を突っ込むのが、華の悪い癖なのだから。
あれは……特務は危険過ぎる。
身を以て知った冬真が、特務の存在を自分から言える筈も無かった。
「ちゃんと話し……――」
何度問われても冬真の答えは変わらない。
けれど、このままでは埒があかないのも事実。
「後でだ! 後で、時期を見て話す」
声に熱を帯び始めた華の声を、冬真は語気を強めて遮った。
きっとこのままでは、華の質問地獄から逃れる事が出来ないからだ。
「これは嘘じゃない、か。……うん、じゃあ、待つ」
それに対して華は、やけに素直に納得してくれた。
これはきっと理解力が齢をとるにつれ、昔よりも成長したと捉えて良いのだろう。
いつの間にか正座を解いて自席に向かった華は、よろよろとしたぎこちない動きで引き出しからタオルを取り出す。
紙が挟める程に眉間に皺を寄せて、慎重な足取りを踏んでいる様は滑稽を極めた。
その様子は、誰が見ても足が痺れたのだと即答出来る。
「じゃあ、六時頃には切り上げてくるから。それまで待ってて! 一緒に帰ろう!」
そんな不安要素の尽きない華は、覚束ない足取りで部活に戻って行った。
後から聞いた話だが、部活を抜け出して忘れたタオルを取りに来ていたらしい。
そんな彼女に適当に短い返事をして、冬真は再び痛めた腕を見つめる。
「どうしたんです? そんなに思いつめた顔をして」
鏡世界内の冬真の席に腰掛けているアリアンロッドが眉を顰めて訊く。
「別に……そーいやお前の左手、義手か?」
「そうですよ。でも何で今更訊くんです?」
窓に近寄ってきた彼女は不思議そうに聞き返し、自身の服の袖を捲り上げる。
そして冬真の腕と自分の腕とをまじまじと見比べた。
包帯でグルグルに巻かれた痛々しい冬真の腕――。
精巧に作られ無機質で赤く塗装された彼女の腕――。
そんな彼女につられて、冬真も彼女と一緒になって二つの腕を交互に凝視する。
「気になったんだ。幻影って、人間の潜在能力を具現化した存在だろ? 目に見えない「力」そのものが百歩譲って――容姿や性格、性別に種族――多様な姿があるとしても、外傷を負う理由はなんだ?」