02:特務の代償(1)
◇ ◇ ◇
「ねぇ、何か知らない?」
「ン? 何が……?」
翌週の月曜日の事だ。
登校して即刻、窓際に位置する冬真の席にやって来た華は、唐突にそんな事を訊いてきた。
無論、「何について」という主語が無いのだから、華の脳内を覗かない限り答えられる筈も無い。
すると華は蟀谷に人差し指を置き、不思議そうに顔を顰めながら呟いた。
「めんごめんご! 土日にJP'sに行こうとしたんだけど、何か情報検索が上手くいかないって言うか……繋がる道が検索にヒットしなかったんだよね。で、何か知らない?」
「俺が知るか」
昔から、華は隠し事を持つ事も持たれる事も嫌いである。
だから華から「土日に情報検索が出来なかった」と聞いた瞬間、冬真が単独で仕事をして来た事に感付いたと思い、少しだけ彼の脈拍が上がった。
その根底にある理由は、隠していた事を怒られるからではない。
隠し事が発覚した後の、華の対処が少々面倒だからだ。
彼女の納得する理由を吐かない限り、馬鹿の一つ覚えのように「何で? どうして?」を繰り返す「質問地獄」の苦しみは一度身をもって体験しなければ解らないだろう。
少なくとも冬真は、大小合わせて十七回も被害を受けていた過去があった。
「そっか。まぁ、冬真が知る筈ないか……あはは」
冬真の返答に不満を持つ訳でも無く、華はえへへと悪戯っぽく笑う。
その時点で彼女は気付いていないと確信し、彼は表情には出さずに胸を撫で降ろした。
流石にJP'sに繋がらなかったという事実だけで、彼が特別任務に就いていたという事に結び付けるのは、そもそも無理があるのだ。
「一言余計だ」
冬真は眉間に皺を寄せて、不機嫌そうに言う。
すると今度は「かまってよぉ」と連呼しながら、机に突っ伏したままの彼の頭を指でつんつんと突っついてきた。
その行動がやや鬱陶しくなってきた冬真は、上体を上げて彼女の手を振り払う。
そして恨めしそうに冬真はじっと華を睨み付けた。
「なんだ。まだ用あんのか?」
「無いよ?」
すると彼女はそう言って自席に爪先を向け、ゆっくりと歩き出す。
けれど何かを思い立ったのか、進む為に上げた足をその場に降ろした。
「あ、でも今日はJP'sに一緒に行こうね?」
そして首だけを振り向かせてそう言うと、にっこりと笑ってみせた。
その様子を見兼ねた祐紀が、後ろの席から冬真の背中を指で突っついて合図した。
冬真が振り向くと、祐紀は目を怪しげに光らせていた。
「あらぁ? 敷宮君、いつの間にそんな華と仲良く?」
眼光を一層研ぎ澄ませる祐紀は、机に身を乗り出して冬真の耳元に詰め寄ると、猫撫で声で訊いてきた。
「うぇ!?」
祐紀の言いたい事は大凡予想が着いていたのだが生温かい彼女の吐息が直に耳に掛かり、ぞくっとした悪寒が彼の背中を走った。
普段のはきはきとした口調とのギャップもあり、想像以上の破壊力だった。
「別に」
「もう、またそれ? いい加減直しなよ」
冬真が顔を引いて冷静に祐紀を見ると、彼女は呆れた様に顔を顰めて、ため息と一緒に忠告を吐き出す。
「癇に障んなら話しかけんな」
「ふふ、そうはいかないわよ? 私の気を逸らそうとしても無駄だからね!」
流石、クラスのトップ――考えが鋭いな。
冬真はそう思った。
祐紀からしてみれば忠告は本心からくるモノのようだが、興味津々に目を輝かせる彼女は続けざまに口を開く。
「最近、華となんかあった?」
「ない」
本当に何もないのだから仕様が無い。
寧ろ祐紀の推測とは逆で、ここ数日は喋っていない。
そう、何もないのである。
「えー、なんか嘘っぽい……って、鳴っちゃった」
どう言われようが、無いものは無い。
祐紀と話し込んでいる内に鳴った予鈴が、教室内の雑談を強制的に中止させるのだった。
それから数時間が経ち、放課後になるとクラスメイト達はそれぞれの部活に向かう。
案の定、祐紀と華も部活の場である弓道場へと消えていた。
「雨なのにご苦労な事だ……って、ん?」
教室に一人残った冬真には、名護から着信が入った。
新たな特殊任務――特務の依頼だった。
先週に引き続き、土曜日に行って欲しい場所があるようなのだが、詳しい内容は追って連絡する、との事。
それに対して冬真は、渋々と首を縦に振る。
彼自身、喜んで依頼を受けた訳では無いが、相応の報酬を要求する腹だった。
前回の特務では、少年自体に価値は無く、その手に持つ巨大な鉄鎚が狙いだったらしい。
冬真からしてみれば「だったら最初からそう言え」と言いたかったが、この業界は結果主義だ。
JP's本部に帰投して気付いた時点で、既に少年の手元にそれは無い。
本来の目的である金槌が無い所為で報酬は初期の半額以下となるのだが、冬真は当然納得出来なかった。
これと言って彼は特に金を欲しているワケでは無かったのだが、あれだけの危険が伴い、剰え死にかけたのだ。
であるならば対価である報酬が五万円では、費用対成果としては寧ろ少ない方である――というのが冬真の意見だった。
それに、この使い物にならない腕だ。冬真は自身の腕に視線を向けた。
私立病院の医者によると、全治一ヶ月の怪我だと言う。
先週の特務が終わって鏡世界経由にて自宅へと戻った冬真は、直ぐに身元を隠す暑苦しいコートを脱ぎ捨てた。
彼が「葬列」を放ってから十数分と経っていないが、素人目からしても腕は酷い状態だ。
筋肉繊維が目に見えて判る程にズタズタに分断され、首の太さ程に腫れあがっている。
自身の腕にも係わらず、思わず吐き気を催してしまう程にだ。
それ以前に尋常では無い程に疼くコレは……流石に自然には治りそうもない。
冬真は少し遠いが、近辺で一番大きい病院である市民病院に向かう事にする。
診察室に呼ばれた冬真が腕を見せると、医師は思わず息を呑んだ。
――何をすれば高校生が、これ程の怪我をするのだろうか?
医師の最初に頭に浮かんだ感想は、疑問であった。
同時に哀愁と同情が入り混じた表情を浮かべていた。