01:悪魔達の密談
◇ ◇ ◇
ここは、とある国の港町。
その一角にある資材倉庫の中からは、微かな声量での会話が漏れていた。
倉庫内の巨大コンテナの上で携帯電話をいじっている白髪の青年が、別のコンテナに立て掛けてある大きな鉄鎚に語りかける。
「なぁ聞いたか、ベルさん。エロスはともかく、リヴァが女狐に捕まったって……ケヘヘ」
話しかけた彼は胡坐をかき、携帯電話のタッチパネルを片手で操作したまま、ベルと呼ばれた金槌の反応を待った。
缶バッチをたくさん付けた帽子を目深にかぶり、くたびれたシャツと裾口の広いジーンズがストリートダンサーを彷彿させる。
「いつの話じゃ。風の便りで既に耳にしておる」
話しかけられた「ベルさん」という愛称の鉄鎚。
頭部側面には、頬が痩けた老人の顔が浮き出たように存在し、その表情を渋らせて呆れ気味に返事をした。
「なんだ、知っていたのか。じゃー話が早い。拾いに行こうぜ!」
意気揚々と立ち上がる青年は携帯電話をズボンのポケットに仕舞い込み、コンテナから飛び降りて音も無く着地した。
一方のベルさんは乗り気ではないらしく鼻を鳴らし、まるで愚弄されたかのような不快な目付きで青年に言う。
「何故、儂が蛇一匹を助けに行かねばならぬ?」
「蛇って……ヒヒッ、そりゃいい!」
この時青年は、ベルさんを助けに行ったのが自分であるとは、口が裂けても言えなかった。
代わりにベルさんの比喩に反応を示して、ぎこちない笑みを短く浮かべた。
しかしすぐに表情を真顔に戻すと、首だけをベルさんに向けて気怠そうに言葉を続ける。
「だけど、そうも言ってられねーのよ」
「ほう、何故だ?」
意味深な言葉に顔を顰めるベルさんは、その話に興味を示した。
「女狐だよ。あいつが俺達を狙ってやがるみたいなんだ!」
「ふっ……哀れな。儂らを捕まえたとて、この世界の「高次元化」は止まらぬというのに」
青年の発言にベルさんはため息を一つ吐き、興醒めしたかのように目を閉じた。
「――目的はそれじゃない」
いつからそこに居たのだろうか?
ベルさんの隣に位置取る、別の青年が言う。
「どこ行ってたんだ、ムク……サタナ!」
「お前には関係ないし、そこまで言うのなら「エル」まで言ったらどうだ? そんなことより――」
サタナと呼ばれた青年もといサタナエルは「また変な渾名で呼ぼうとしたな」と言わんばかりに缶バッチの青年を一瞥し、続け様にベルさんへ意見しようと口を開く。
「女狐の目的が分かった」
「ふむ、聞こう。ルシファ、暫し黙れよ?」
食い付こうと既に口を開いていた缶バッチの青年もといルシファは、渋々とその口を閉ざして尖らせた。
横目で見ていたベルさんが小さく頷いたのを確認すると、サタナエルは静かに語り出す。
「――というのが、俺の集めた情報だ」
その場に居た全員が彼の話を聞き終えてから、少しだけ沈黙が流れた。
「そのぉ、つまりアレか? あいつらを、今助けに行くのはマズいって事か?」
その沈黙はルシファによって簡単に破られる。
彼はサタナエルの言ったことを、やや復唱気味に訊き返す。
「そう言ったつもりだが?」
しっかりと伝えたつもりだったのだが、今の話が理解出来ていないのかと不思議そうにサタナエルはルシファの顔を覗いた。
そして、そもそもルシファの理解力自体が低い事を察した彼は、深々と溜め息を吐く。
無論、年長であるベルさんは理解したようだ。
「とにかく、捕まったあいつらに女狐は手を出さない。今は計画を挫く事――同じ場所に集まらない事が重要だ」
サタナエルは静かに断言し、踵を返して出入り口に向かって歩き出す。
情報を共有し方向性が決まったのなら、行動は早い方が良い。彼はそう考えていた。
「おい、どこ行くんだ。てか、皆で叩けば勝てんだろ!? 何を尻尾巻いて逃げようとしてんだよ!」
自信有り気なルシファの言葉に、指先がピクリと反応したサタナエルは彼に振り向くと、呆れ顔を張り付けて言う。
「もう忘れたか? 俺らは情報検索「レファレンス」が出来ない。元が人間だからだ」
サタナエルの言葉を受け継ぐ様に、ベルさんをも口を開いた。
「その気になれば儂らの戦力を分断させる事も出来うるじゃろう。バラバラで行動するのは多少の時間稼ぎになるからだと、封印が解けたその日に話し合うた筈じゃが?」
「うぐっ、だけど……」
渋るルシファに、ベルさんは穏やかな口調で続けて諭す。
「主の気持ちも解る。じゃが、儂らの望みは人類の望み……そのものじゃ。それを忘れるな」
「わ、わーってるって。心配すんな」
その様子をじっと見つめていたサタナエルは、口元を緩ませて出入り口の巨大な引き戸に手を掛けた。
重い扉を一思いに開け放つと、円い輪郭を描く月が青白い光を水面に滲ませている。
日が落ちて数時間になるが、建物の陰に入らない限り行動に支障は無い様にさえ感じる。
六月の生暖かい風が吹き抜け、フードを外したサタナエルの金に光るサラサラな髪を舞い踊らせた。
「あと少し。我慢の要らない世界が――」
淡く優しい光を落とす満月に向かって呟いた言葉は夕闇へと消えて行った。