17:特務(4)
現状の打破はアリアンロッドに任せ、冬真は少年に視線を移す。
予想をはるかに超える容姿に、同情せずにはいられない。
見た限りでは元々、長袖と長ズボンだったみたいだが、伝線したかのように繊維一本一本が見えるほど傷んでいる。
天然パーマのかかった赤毛は泥で黒ずんで頬も痩けていたのだが、無垢な笑みを浮かべる少年は純粋そのものだった。
「ねぇ、誰なの?」
手錠の掛かっていない方の手で冬真の黒コートの端を握る少年は、懲りずに同じ質問を繰り返す。
手錠の意味すらも分からないのだろうか?
少年は逃げる素振りを一切見せない。
「知らなくていい」
「えー! なら、遊ぼ?」
冬真がいつも通り冷たく接して応える意思が無い事を示すと、少年は冬真のコートを強く引っ張りながらねだってきた。
よくこの状況で遊ぼうなどと言えるな。
冬真は内心ため息を吐いた。
とは言え、アリアンロッドがテスカポリカの元凶であるコアを見つけるまでは、コイツに騒がれては困る。
「少しだけだ」
「やったー! 何する、何する!?」
渋々ながら冬真が了承すると、少年は嬉しそうにその場で飛び跳ねて喜ぶ。
「おい、騒ぐ――」
ガリッ
慌てて静かにさせようと口を開いた冬真だったが、突然脹脛の辺りに刺痛が走った。
あまりの痛さに表情を引き攣らせながら足元を見ると、鈍色に光る「何か」が噛み付いているではないか。
「ッ!? んだコイツ、離れ、ろッ!」
素早く足を振り上げると、奇声を上げながらそれは外れた。
べっとりと冬真の鮮血が「口元」に付着したそれはニヤリと笑う。
「……きも」
それは巨大鉄鎚だった。
しかも金槌の頭部側面に……どういう理屈かは分からないが顔がある。
老人の顔らしいそれは皺が多く、堀の深い欧米顔。
その上、笑った。
物凄く不気味に。
顔があると言う情報が無かったにしろ、どうやら目的の人物で間違いないらしい。
汚らしい容姿の少年である事と、規格外の巨大金槌(動く顔付)が決め手だ。
――てか、足イテェ。
未だにだらだらと零れる自身の鮮血を恨めしく見つめる。
「何だ、今日も来たんだ」
深く考える間も無く、少年が呟く。
いつの間にか真顔の彼は、米兵のいる方を見据え、鉄鎚の柄を掴んで立ち上がっていた。
同じ方向に冬真が視線を重ねると、米兵が散開しながら確実にこちらに近づいているではないか。
どこかに移動しなければ見つかるのは時間の問題だ。
そもそも「今日も」という事は、少年は既に米兵達が救助目的で来ている訳では無いと判っているらしい。
「厄介だな。おい、逃げるぞ」
身を屈めて米兵に背を向ける冬真の言葉が聞こえなかったのだろうか?
少年は自分の何倍もあるそれを軽々と持ち上げて、鉄鎚の頭部を手錠に近づける。
すると鉄鎚の老人は手錠を食べ始めた。
鉄鎚は十秒と掛からずに手錠を完食してしまい、長々と汚らしいげっぷを吐き出す。
少年の足元には丸く抉れたコンクリートや鉄骨の破片が散乱している。
おそらく、コイツ(大槌)が食い散らかしたからだろう。
さっきの擦り切れるような金属音もコイツの仕業だろうか?
「ねぇ、遊ばなくていいから、手伝って?」
「手伝う? 一体何を?」
米兵達を凝視する少年へと、冬真は視線を落とす。
「あいつらを、やっつけるんだ」
「それは出来ない」
幼気な少年が真剣な表情を浮かべているからと言って、隠密任務中の冬真が手伝う訳が無い。
いや……この際、隠密は関係ない。
面倒事に巻き込まれたくない冬真が自ら死地に出向く筈が無いのだ。
そもそも、あれだけの数を相手にするなど、返り討ちに遭うのが落ちだろう。
「でも、遊んでくれるって言ったじゃん!」
「それとこれとは話が別だ」
聞き分けのない少年をじっと見つめたが、考え直そうという素振りは見当たらない。
故こんな少年が狙われるのか。
何故、無駄な戦いに挑もうとするのか――疑問は解消されないまま。
「もういい! 一人で行くよ」
しびれを切らした少年は、冬真の脇をすり抜けて米兵へと向かって駆けて行った。
「あ、おい!」
そんな真正面から行ったら、ハチの巣になって終わりだろ!
とは言え、少年の後を追い掛けるなど、愚かな行為はしない。
わざわざ被害を大きくする必要はないのだ。
ここは、しばらく戦況を覗うべきだ。
そう考えた冬真は、そのまま物陰へと身を隠す。
「いたぞ! 撃てぇ!」
米兵たちが銃を構える中、少年は早々に見つかってしまう。
ほら、言わん事ではない!
冬真は舌打ちを零す。
大部隊との距離を百メートルと詰めた所で、少年は――大槌を大きく振りかぶる――応戦の予備動作に入った。
部隊長の合図と伴に米兵らが一斉に射撃した瞬間、少年は全力で鉄鎚をその場へと叩きつける。
ドゴッ!!
すさまじい程の轟音と共に発せられたのは衝撃波とも言うべき波だった。
と言っても衝撃波が直接見えるわけでは無い。
見える筈が無いのだが、辺りの細かい塵や降り続く小雨が、大槌を中心とした平面同心円状に吹き飛ばされる。
冬真自身初めてであったが、これが衝撃波を間接的に見た瞬間だった。