エスカレーター
真・省エネ時代が始まったのは数年前。燃料消費の削減を目標に、私たちを取り巻く環境は大きく変わった。とにかく燃料を燃やさない。ゴミを出さない。電気もなるべく使わない。これまでとは全く異なる世界に、人々は思いのほかあっさりと適応した。電気を使わない、使ってはいけないという世間の認識は、電気を動力源とするものをどんどん廃絶している。
そんな時代なものだから、電気を使っているものに対して、随分あたりが強くなった。最近やり玉に挙げられているのはエスカレーターだ。
――エスカレーターは無用の長物だ! 我々には階段があるじゃないか! エスカレーターなんて無駄に電気を喰うだけの飾りだ! とっとと無くしてしまえ!
とまあ、よく言われているのはこんな意見。エスカレーターの仕組みについては詳しくないのでなんとも言えない。ただまあ、言わんとしていることは分かる。階段とエレベーターがあれば確かにエスカレーターはいらない。
しかし私は、エスカレーターがなくなるのは辛抱ならない。だって楽じゃないか。立っていれば勝手に移動している。エレベーターみたいに、いじらしくケージを待つ必要もない。
こんな考えを持っていて、なおかつ毎朝の出勤にエスカレーターを使っているものだから、私も肩身が狭い。エスカレーターくらいいいじゃないか。大体、駅のエスカレーターには電気は使われていないのだから。
そう、電気は使われていないのだ(本当かどうかは怪しいが)。あんまりエスカレーターが非難されるので、一度鉄道のお偉いさんが会見を開いたことがあった。その時に、駅舎のエスカレーターには電気は使われていないと公言したのだ。じゃあどうやって動かしているのか。それは企業機密で言えないらしい。
――今日も今日とて、私はエスカレーターで出勤した。随分と遅くまで残業してしまったので、会社を出たのは深夜。ぎりぎり終電に乗れた。
家の最寄り駅に着いた時には、節電のために町は灯りを消して真っ暗だった。駅も必要最低限の灯りしか点けていない。
エスカレーターも動いていなかった。だが多分、人が近づいたら動く仕組みのはずだ。そして予想通り、エスカレーターは動いた。こんな夜遅くに使うのは初めてだ。
さあ、とっとと帰ろう。手すりに肘を置いて時計を見る。深夜を示す針が疎ましい。
ふと、誰かの声が聞こえたような気がした。驚いて振り返る。だが誰もいない。仄暗い駅舎内には、誰もいない。
不気味に思う私。そして今度ははっきりと声を聞いた。
「勘弁してくれ、今日はもう終わりだと思ったのに」
「弱音を吐くな! これで終わりだ、あともうひと踏ん張り!」
「うっす!」
張りのある声だった。幽霊の類では決してない、生気の宿った声。どこから聞こえたのだろうと耳を澄ます。そして、私はあることに気づいた。
真下だ。どん、どん、と一定のリズムで音がなっている。そして音の合間に人の呼吸音が聞こえた。
脈絡もなく、私は姪のことを思い出した。そういえばハムスターを飼っていたな。元気にやっているんだろうか。
エスカレーターに連れられ、階下に下り立った私はまっすぐ家に帰った。次の日から、エスカレーターを使うのがなんとなく嫌になった。