機械
部活終わりの夕焼けが、無性に美しく感じたことがある。それは自分が夕焼けに感動できる感性の持ち主だと思い込みたい、高校生特有の自意識によるものだったかもしれない。あるいは、夜の近づいた紺の上空といまだ昼であろうとする橙色の地平線、その境界の紫色に、自分に似たものを見いだせるような気がしたからかもしれない。ただ、感動したのは事実であったし、あの時は私も確かに人間だった。
体の九十パーセント以上が機械。それが今の私だ。人間の肉体では得られない長寿を、医療工学が可能にした。脳さえ保持すれば、人格は保てる。そういう考えが、主流とは言わずとも普遍的になった。
だが私には、かつての人格を保てている自信がない。夕焼けを見て、学生の頃のように心が動かされている気がしない。これは老いによる変化か、それとも……。
首から上だけは機械ではない。しかし老いに抗うため整形を繰り返した結果、元の顔とはまるで違ってしまっている。治療により、視力は学生の頃よりもむしろよくなった。それこそ、見たくないものまで見えるように。機械の体との結合の影響で、声帯に若干の変化が起き、しゃがれた声になった。昔は好きだった歌が歌えなくなった。
触覚はある。寒気や暖気も感じられる。けれどそれらは機械により再現された電気信号でしかない。どこか物足りない。
脳以外すべてを機械にしてなお活き活きとしている人間もいる。自分は人間だと信じて疑わない彼らの意思が、彼らを人間たらしめているのだ。
恐らく私が異常なのだ。望んでいた長寿を手に入れたにも関わらず、得た未来を見るのではなく、思い出に縋っている私。こんな自分が嫌になって、私はついにある決断をした。別の人間の体に、私の首を移植することにしたのだ。その手術の日が今日。
ベッドに寝かされたまま手術室に運ばれる。手術室の中には、見知った数人の医者のみがいた。そして、私のベッドの横には老人の体。
「寿命が近くなり、自死を望んでいる老人です。今回の手術への協力を承諾してくれました。手術に耐えられるかどうかは賭けです。手術が成功しても、命が一日ももたない可能性もあります。それでも構いませんか?」
「構わない。やってくれ」
私の言葉を聞き届け、医者が私に麻酔装置を取り付けた。眠気が私を襲う。目覚めた後に希望を抱き、私は静かに眠りについた。
――そして私は目覚めた。どれだけ眠っていたか分からない。意外なほどはっきりと目が覚めた。そして気づいた。
体が重い。
腕を動かすのも精一杯なのだ。どうにか腕を目の前まで持ってきた。私が見たのは、震えるしわだらけの細い腕。
突然、視界の端が暗くなった。黒色が視界に広がっていき、世界が見えなくなっていく。酷い寒気が私を襲った。長らく忘れていた寒さだ。
そうだ、これが寒さだ。そして今感じているこの感情は恐怖だ。死への恐怖だ。すっかり忘れていた。そうだ、そうだった。私は死が怖かったのだ。だから機械の体を手に入れたのだ。なんと愚かな! 死の恐怖こそ、生きる者だけが得られる特権だというのに。素晴らしい。これが生か。今ようやく思い出した。いや、知ったのだ、今初めて。この感情、決して忘れまい――。
そして老人は息絶えた。




