表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/23

機械

 部活終わりの夕焼けが、無性に美しく感じたことがある。それは自分が夕焼けに感動できる感性の持ち主だと思い込みたい、高校生特有の自意識によるものだったかもしれない。あるいは、夜の近づいた紺の上空といまだ昼であろうとする橙色の地平線、その境界の紫色に、自分に似たものを見いだせるような気がしたからかもしれない。ただ、感動したのは事実であったし、あの時は私も確かに人間だった。


 体の九十パーセント以上が機械。それが今の私だ。人間の肉体では得られない長寿を、医療工学が可能にした。脳さえ保持すれば、人格は保てる。そういう考えが、主流とは言わずとも普遍的になった。


 だが私には、かつての人格を保てている自信がない。夕焼けを見て、学生の頃のように心が動かされている気がしない。これは老いによる変化か、それとも……。


 首から上だけは機械ではない。しかし老いに抗うため整形を繰り返した結果、元の顔とはまるで違ってしまっている。治療により、視力は学生の頃よりもむしろよくなった。それこそ、見たくないものまで見えるように。機械の体との結合の影響で、声帯に若干の変化が起き、しゃがれた声になった。昔は好きだった歌が歌えなくなった。


 触覚はある。寒気や暖気も感じられる。けれどそれらは機械により再現された電気信号でしかない。どこか物足りない。


 脳以外すべてを機械にしてなお活き活きとしている人間もいる。自分は人間だと信じて疑わない彼らの意思が、彼らを人間たらしめているのだ。


 恐らく私が異常なのだ。望んでいた長寿を手に入れたにも関わらず、得た未来を見るのではなく、思い出に縋っている私。こんな自分が嫌になって、私はついにある決断をした。別の人間の体に、私の首を移植することにしたのだ。その手術の日が今日。


 ベッドに寝かされたまま手術室に運ばれる。手術室の中には、見知った数人の医者のみがいた。そして、私のベッドの横には老人の体。


「寿命が近くなり、自死を望んでいる老人です。今回の手術への協力を承諾してくれました。手術に耐えられるかどうかは賭けです。手術が成功しても、命が一日ももたない可能性もあります。それでも構いませんか?」


「構わない。やってくれ」


 私の言葉を聞き届け、医者が私に麻酔装置を取り付けた。眠気が私を襲う。目覚めた後に希望を抱き、私は静かに眠りについた。


 ――そして私は目覚めた。どれだけ眠っていたか分からない。意外なほどはっきりと目が覚めた。そして気づいた。


 体が重い。


 腕を動かすのも精一杯なのだ。どうにか腕を目の前まで持ってきた。私が見たのは、震えるしわだらけの細い腕。


 突然、視界の端が暗くなった。黒色が視界に広がっていき、世界が見えなくなっていく。酷い寒気が私を襲った。長らく忘れていた寒さだ。


 そうだ、これが寒さだ。そして今感じているこの感情は恐怖だ。死への恐怖だ。すっかり忘れていた。そうだ、そうだった。私は死が怖かったのだ。だから機械の体を手に入れたのだ。なんと愚かな! 死の恐怖こそ、生きる者だけが得られる特権だというのに。素晴らしい。これが生か。今ようやく思い出した。いや、知ったのだ、今初めて。この感情、決して忘れまい――。


 そして老人は息絶えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ