必要なのは、積み重ね。ただしやりすぎは注意!
遅れてしまい申し訳ございません。
外は相変わらずザアザアと、少し強くなった音が聞こえている。肌をひんやりと撫でる隙間風は、今いる部屋の窓が空いているためだ。
例の男に斬りかかられ気絶した後、眠りこけていた簡易ベッドから抜け出すと、続き部屋に案内された。と言っても扉はなく、大人二人が両手を広げて通れる幅の通り道が2メートルくらい続いた。扉代わりにさっきの簡易ベッドのある部屋側に、薄い桃色のカーテンが片方に寄せられていた。
因みに、気絶した私海凪潟綴がどうやって移動したかについてはまだ聞いていない。おそらく何者かによって運搬されたのだろうが、まあ誰でも結局嫌だったのだし知らないほうがいいかもしれない。
そして現在私は自称お姉さまとお茶を飲みながら雑談をしている。彼女曰く、本来の私の治療兼付き添い役は、お姉さんの上司である“第5隊付き治療室筆頭医務官”…の、美人さんらしい。その方がどうしても外せない要件で、自分の代わりにお姉さんとその場に偶々いたお兄さん(誰?)に傍に付いていてくれたんだとか。お疲れ様です。
ところで、何故私が会ったこともない人の容姿を知っているかというと、ーーいや知らないから。お姉さんが矢鱈と綺麗だの素敵だの言うものだから、もうきっと美人さんなのだろうと諦めた。
たとえ美しさの価値観に個人差があったとしても、直接見ていなかろうとも、それで良いのだ。美醜問わずその人やお姉さんたちが私の見張りなのは伝わったから充分だった。
ズズズ…いやあ、あったかいなあ。部屋が地味にひんやりしているから尚更染み入る。手のひらだけ温く、手足の指先や体の内側から細かな震えが出る。また一口流せば、喉から胃に向かって熱いものが降りていくのがわかり、ついホッとしてしまう。
最初に入れて貰った紅茶(?)は結局温め直してもらったんだけど、その器具が面白かった。
なんと、口を大きく開けた獅子の彫り物だったのだ。大きさは、学校に置いてそうな鉛筆削りより大きく、ビーチボールより小さ目程度。仕組みはよくわからないけど、頭頂部に目覚まし時計に有りがちなスイッチが施され、カチャッと押したら開いた口からオレンジや黄色が混じった火が飛び出してきた。
陶器らしい白のカップに焦げ目ってつく?つかない?とか動揺していたが問題ないらしい。色がついていても本質的には特殊なエネルギーなんだとか。ほへー。
私がまじまじと見つめていたら、軍に支給されているものだと説明された。微笑ましげにこちらを眺める様子は居心地が悪かった。
「それでね、私がここに入れたのはあの方のおかげなのよ!」
「そうなんですか。」
「あ、言い忘れてたけど、さっきこの部屋にいた男の人、あいつはただの馬鹿だから気にしちゃ駄目よ?天然なのか計算なのかわからないけど時折容赦なくズバッと言っちゃうの。でも、あなたを責めたわけではないの。だから落ち込まないで良いのよ!」
どうやら私が落ち込んでいると思っていたらしい。随分と気を遣ってもらっているが、彼女...ひいては私を保護?捕獲?した人たちは、一体何を考えているのか。もっと具体的に言うと、私にどうしてほしいのか。私をどうするのか。
テンプレ的に考えれば、呼ばれたか事故か、偶発的なものか。どれにしても厄介極まりないが、問題は帰れるかどうかだ。そもそも世界超えるなんて物語の中だけだと思っていたし、つまり頻繁に行き来なんて考えられない。こちらの世界でのデータはまだ知らないからはっきりと明言できないが、最悪ここに墓を...道端の汚物になる可能性も考慮しなければならない。それ以前にここの人たちに殺されてしまう可能性も十分にあるだろう。あああああ、憂鬱でしかない!ああもうやけくそでオレンジジュース飲みたいけど無い、悔しや...。
私が俯いて無言で顔をしかめていたことに気が付いた彼女は、さらに落ち込ませてしまったと動揺している。うむ、この隙に聞けることは聞いておいたほうが無難か。罪悪感と良心にかこつけて情報収集だ。こちらを敵と認識されない範囲で。踏み込みすぎず、慎重に。
「あの、お姉さま…」
「ん?何かな?」
私が俯き気味にお姉さんに声をかけると、優しい顔で見つめてくる。…なんだろう、とてもむず痒い。これがもしお姉さんの本心からの言葉がけなのだとすると、一方的に疑る私はとても醜い。いやしかし、万が一という可能性はあるし、何より少ししか関わっていないうちに信用するなんて馬鹿だ。自分の安全を最大限確保するべきだ。良心なんて捨て置いて。そう、だから、…本音を隠して甘えてみせろ、わかったな、海凪潟綴。
ーーイエス、マム。
「さっきのお兄さんって、誰なんですか?」
「あぁ、あいつはうちの第5騎士隊の一人よ。肩書として言うのなら、今は確か12番ね。」
前々から考えていたけど、やはり名前を話題に出さないなあ。予想ではあんまり名前を呼ぶ習慣がないとか、失礼だとかかなぁ。
それからルイスーーーあの胡散臭い紳士風美男子ーーーのときも、隊長からはナンバースリー、つまり3番って呼ばれてたんだよねえ。ところであの男からもらったベーコン・チーズ巻きはなかなかに美味だったなぁ。出来ればまた食べてみたいくらいには。
うおっほん、話が脱線した。
どうやら複数ある騎士隊のうちの5番目が、あの男率いる荒くれ集団で、お姉さんたち治療室の室員は各隊専属の担当者が務めているらしい。後方支援ってことね、理解しました。
「ええと、それじゃあ、その番号っていうのは、実力順位ですか?それとも、単なる階級ってことですか?同じ番号の人とかはいるんでしょうか?」
「本当に勉強熱心ね、びっくりしちゃった。
…番号で呼ばれる隊員は、各隊ごとに三十名ほどいるの。たまに実力が拮抗したりすると、追加で31番や32番も存在するけれど、滅多にないらしいわ。ただ、基本的には実力主義だけれど、全員の獲物や特技を考慮するから完全に実力順ではないのね。他にも色々思惑はあるのだけど…。例えばうちの隊長は、ほんっっっとうにお強いけれど、」
溜めるなあ…。見るからに野生動物だものね、あの男は。ブルブルブル…顔とか色々忘れましょーや忘れまひょ。
「副隊長は実力をひけらかすことなく隊長のフォローをなさっているから、他の下位の隊員との差ははっきりわからないのよねぇ。3番のお方は…おそらくあなたとこの先会うことが一番多いと思うけれど、第5隊付き特例査問官なの。だからと言っては難だけど、やはり役割が尋問に偏っていて、既に抵抗できない相手から情報を引き出したり調査するのがメインなのね。そういう訳で戦闘時の様子はお目にかかることも珍しいわ。そこは副隊長と似ているけれど、3番のお方の場合は特殊な権限を持っていて、まあ要するに筋肉だけじゃないってことよ。4番から30番まではそれこそ筋肉やら汗臭いやらで…っとと、気にしないでねアハハハ。」
なんだか恨みつらみが出てきそうだわ。お酒飲ませたら愚痴が止まらなくなるタイプかね。
というかお姉さん、治療室の人間ってそんなに騎士の事情に詳しいもんかね?聞いている限りでは役割が違うから交流とかもなさそうだし…の割には愚痴があふれる程度に知ってるなんて、一体どういうことだろう。
「それじゃあ…」
「ねぇ、お嬢ちゃん。さっきから質問し通しだけど、そろそろおかわりはどうかしら?小腹も空いてない?良かったら貰い物のお菓子を食べてくれる?そろそろ賞味期限が切れそうなの。」
「良いんですか?」
「むしろお願いしたいわ、治療室の人ってあまり食べたがらないのよね、美味しいのに。」
少し顔を背けてむうっとした表情を浮かべる彼女は、実年齢よりも幼い印象を受ける。別に年齢を聞いたわけではなくて、手を見てなんとなく察しただけだから正確ではないし何だったら間違っているかもしれないけどね。
そんな緩い空気を纏う彼女と一緒にいると、いつの間にかこちらまで気を抜いているのだから困ってしまう。これではかろうじて残る猜疑心も意味を無くしてしまうだろう。どうにかして取り戻さなければ。
お姉さんがお菓子を取りに立ち上がって、「少し待っていてね」とあっさり別の部屋への扉を開き遠ざかっていくものだから、私の眉はハの字型に垂れ下がってしまった。
こっちでも賞味期限ってあるんだ…ていうか、私が気分悪くなる前にもお菓子の時間って言ってたところからすると、はじめから食べる気満々だったってこと?私が気分悪かったから、我慢してた…?
思わず両手で顔を覆ってしまった。
「…なんてこったい、もおぉ…こんちくしょうめ…私のバカたれぇ」
自虐は多分、顔周りに熱を感じるからだと思う。つまり恥ずかしい。自分の足の長さが足りず床につま先だけで力を入れる。それでも足りず、上半身を曲げて猫背にし、顔を両肘が額につくまで下に向ける。両手で頭頂葉から後頭葉の辺りを抑え行儀悪くも両肘をテーブルにつけた。
さり気ない優しさや気遣いを受けて、それに今ようやっと気づき、居たたまれなくなったのだ。
監視とかは良いんですかと問いたいが、逃げたところで異世界確定済みーーー仕方なくそう思っているだけで、ドッキリなら怒りながらも安堵するだろうーーーである今、目的地や帰る場所などない。詰み状態だ。
副隊長さんが最初私のために説明してくれた時、ここは仮騎士寮とか言っていたのだし、騎士がうじゃうじゃいそうなところで逃亡など不可能。すぐに捕まってより厳重な警備とかされても面倒だし無理無駄無謀が過ぎる。
あのズバリ言っちゃう追い出されたお兄さんも、従うほか道はなしって言ってたから、頭に入れておかなくてはと思う。念には念を入れよう。
考えを巡らせていると、足音とともに扉の開くカチャリという音がした。もう来たのかと思いつつ、ここ一体の部屋はいくつ扉で繋がっているんだと、今更ながら周辺をぐるりと見渡した。
まず、さっきまでいた簡易ベッドの部屋、あそこには他に12番、だっけ(?)、お兄さんが蹴り出された扉が一つあった。その先が部屋かどうかは不明。でも追い出すなら普通は廊下か、廊下につながる部屋のどちらかだと思う。
次に、今いる休憩所っぽい部屋。扉ではないけどカーテンで仕切られるから2つ目と数える。それから3つ目が、お姉さんがお菓子を取りに行った部屋。お菓子を廊下に保管するかと聞かれると微妙だから、おそらく部屋はあるのだと思う。4つ目は、今いる部屋の中にありお姉さんの開かなかったもう一つの扉。部屋か廊下かは不明。
賞味期限の話が頭の奥底からぶり返してきた。私の他にも、地球人が来ていたりするのだろうかとふと浮かんだ。違うのならそれはそれでいいのだけど。いや帰りたいしデータは欲しいんだけど。
私がグルグルと考え込んでいる間に、お姉さんともう一人が直ぐ傍まで寄っていることに気がついた。
「よお、随分と考え込んでたみたいだけど、何に悩んでんのか教えてみろよ。俺なら力になれるかもしれねえし。」
そう、お姉さんの横に立っていたのは、追い出されたはずのお兄さんだった。その声を聞いて思わず鼻の頭にシワを寄せくシャリと顔を潰す。その後一度目を閉じ、ため息をついてから行儀悪く曲げていた背中を伸ばして椅子に深く腰掛け直す。
何の用だと問いかけてしまいそうになるのをぐっと我慢して、顔をお兄さんの目が見えるように上向ける。中身を飲み干して冷たくなった白いカップの如く、固まった己の表情筋はおそらく死んでいたのだろう。
騎士だ…うわあイヤダイヤダ。
私はあの野生の肉食動物のせいでしばらく男性不信気味なんだからほっといて欲しい。
「はは、すげぇ顔だな、お前。」
「あんたはほんとに...もう、そんなデリカシーの無い事言っちゃだめでしょうが!この子をあんまり苛めるんじゃない!」
「何だよ、随分とお優しいじゃん。何々、情でも移った?」
わたし、いつの間にやら苛められていたらしい。...気づかなかった。ヘラヘラ笑いながらお兄さんがお姉さんをからかうも、呆れられている。疎外感?いや、別に。ていうか情が移るって言い方、私が犯罪者みたいじゃないか!ムカつくわぁ~。
それに、人の顔面にケチつけるなって親御さんに言われなかったんだろうか。放任主義は程々にしてもらいたいねぇ。
私がため息をつくと、二人はこちらに向き直る。
「んで、なぁに悩んでんだよ?言ってみな、この優しいお兄さんとお姉さんが聞いてあげよう。」
「こいつと同意見なのはムカつくけど、言ってすっきりしたほうが体に良いし、一人で抱え込むより解決するかもね。」
情報を引き出すつもりか?まぁ私もそうするつもりだからお互いさまとしか言えないけど。んじゃ、ちょっと探ってみるかね。
姿勢を伸ばして膝を彼に向け、両手を握りしめ膝の上に置く。少しずつ、この無表情から泣きそうな顔に近づけて。でもまじめで誠実なままの雰囲気を残して。胸を張りすぎず、緊張を腕や首から手足の指先までわざと力を込めて表現し。そしてアクセントにほんの少し顎を上げる。
「ねぇお優しいお兄さん、私はこれからどうなっちゃうんですか?殺されちゃうのでしょうか?でもさっきお兄さんは死なない唯一の方法とか言ってましたよね?...死ぬのが、痛くて苦しいのが、怖いんです。わからないことだらけで不安、なんです...教えてくれませんか?」
少し媚びるように、でも孤独のまま、助けてほしいとは言わないで。コツは、まっすぐ目を見ること。「怖い」のあたりで若干目を潤ませて、最後の「不安」という言葉と同時にくしゃりと顔をこわばらせてみる。「教えてくれませんか」と言いながら拳の力を更に強めて若干震わせる。お姉さんならともかく、お兄さんには通用しない気がする。良いの、今はそれで。でも目線は間違えずにお兄さん一人に注ぐの。
哀れな子犬に同情しない?思わず、手を伸ばしてみたくならない?
お読みいただきありがとうございます。