寝た子は起こすな、あくまでも平和的に行こう ...成否はともかく。
お待たせしました。
さて、フレイによって横抱きに運ばれた海凪潟は、原因不明の体調不良とフレイの持つ刃の恐怖に負けて失神した後、そのまま眠りに入ったようだった。
本来失神だけならば数十秒から数分で目覚めるはずだが、果たして彼女の体に何が起こっているのか...。
ともあれ、”色々な意味で近寄りがたい光景ーーー棘のある雰囲気を纏わせながら、うなされる謎の少女を抱えている美青年ーーーを見た通りすがりの人々が、揃って一瞬目を見開いては顔を背け縮こまり道を譲る”という一連の流れを海凪潟が見ていれば、確実に奇声を上げて首を振っていたに違いない。
(「ぎやぁああああああっっ!! 降ろせぇっ!
...嫌だあっ...うぅっ...コ イ ツとセ ッ トにさ れ たく ねぇ!!」)
という風に。
だがしかし、現実は甘くない、主に海凪潟にとって。目覚める頃にはありもしない噂話に頭を抱えるであろう彼女に、合掌を捧げておこう。
ーーー チーン ーーー
とまあ茶番はここまでにして。
目的の場所、治療室の隣にある控室の入り口で待機していた者達は、海凪潟に一見して外傷がないことを確認し、うち一人がフレイからそっと受け渡された。少女を抱えた若い男は簡易ベッドに丁寧に横たわらせ治療器具の準備に取り掛かる。
手持ち無沙汰なフレイはというと、室員の誰かに呼ばれ治療室から出てきた女にしっしと追い出された。
その後男らを一旦治療室へ追いやった女は、未だ目覚めない娘を一瞥し、身体検査に取り掛かった。
まず靴とブレザーを脱がし、靴やポケット、服の隙間等に危険物がないか確かめる。
次にスクールシャツのボタンを4つほど外し、胸元に術が描かれていないか検める。理由は、ほとんどの場合自滅用の仕掛けが一番効率の良い心臓に施され、その名残が皮膚に浮き出るからだ。
これで一山越えたとばかりに溜息を付いた女は、控室の備え付けの棚から土色の壺を手に取り、再び海凪潟のもとに寄る。
底から胴にかけて丸く膨らみ口がすぼまった形のそれを三回爪で鳴らし、蓋を開ける。仕上げに「今日もお願いね」と声をかけターゲットの胸元に傾けた。
するりと流れ出るムシたちは地球のナマコによく似ている。大きさは全長5センチ、横幅は1.5センチ、厚みは5ミリ程度あり、揃って中心の焦げ茶から繊毛の赤茶までグラデーションになっている。
ムシたちはポタポタ落ちては海凪潟のくつろげられた胸元から服の中に侵入し、体の隅々まで纏わりつき這い回った。
女の方はいつものことというように手近な椅子に座り、壺本体をガラステーブルに乗せ蓋を片手で弄びながら、足を組む。数分後に白黒判定されるまでそのままのんびり眺めていた。
その間一度たりとも意識が戻らなかった海凪潟は、眉間に皺を寄せながらも比較的緩やかな寝息を立てていた。...一匹が口の中に、二匹が耳から侵入した時ですら。
起きていれば大惨事だったであろうが、悲しむべきか安堵するべきか、途中で目覚めることはついぞなかった。
彼女...海凪潟の名誉のために追記しておくが、この作業を行った女はノーマル、まごうことなき身体検査であり、特殊趣味とかそんな設定はない。
少し経って、傍から見ての地獄絵図は体内から這い出た三匹の姿をもって収束した。
「あら、やっと出てきたのね。今回は長かったからてっきり黒かと心配しちゃったわ。...皆お疲れ様。」
結果を待ち構えていた女は懐から小瓶を抜き出し中身をムシたちの住まいへ振り掛ける。
と、焦げ茶の群れは一斉に体をくねらせながら自宅に戻っていく。ガラステーブルはあっという間に埋もれ、かと思えば今度はどこにそんな力が眠っていたのか、ムシたちが自動玉入れのごとく飛び跳ね穴に落ちていく。
カチャリ、と蓋をした直後に音が鳴った。それまでの出来事が嘘のように、壺は身動き一つ、物音一つしなくなった。壺は速やかに女の手によって棚へ運ばれ、再度暗闇に包まれた。彼らの次の仕事まで休息させるのだ。
これでようやく診察に入れる、と女は患者に向き直った。
「随分痩せているけれど立派な服を着ているわね。無理やり着せられたにしてはサイズがぴったりだし...手も綺麗だからやはり下働きではないのかしら。...それにしても顔色が悪いわ。目の下の隈なんてかなり濃いわよ、睡眠不足もあるのかしら...。
...ところで、いつからそこにいたのかしら、隊長様?」
控室に入ってすぐ、素っ裸ではないとはいえ脱衣のため衝立を設置していたが、フレイはその衝立の横にある長いキャビネットにもたれ掛かり、隙間から海凪潟と女性の様子を眺めていた。
室内が天井にある窓から降り注ぐ陽の光を存分に取り込んでいるからか、はたまた衝立が木製だからか、侵入者の影に気づけなかったのだ。
「フン、お前が余計なことを仕出かさないように見張っていただけだ。」
答えになっていない答えを投げつけ、誤魔化す。いくら騎士寮への侵入者とはいえ隊長自ら見張る必要はない。部下に任せても良い。海凪潟の身体検査のため一度は追い出されたフレイは、そのまま執務室へと向かっても良かった。
しかし...
「一応聞いておくが、仕掛けは?」
「なかったわ。見ればわかるでしょ?」
仕掛けがあれば診察など二の次で騎士ら、またそのトップであるフレイに報告する義務が発生する。女が身体検査の後に何事もなく触れて診ることができている、その状況こそ安全が保障されていることの何よりの証左となるのだ。
フレイがわざわざ尋ねたのはその手順が必要だからである。女も理解してはいるが、その面倒なやり取りに辟易しているらしく、若干当たり気味だ。
「詳しいことはきっちりと後で聞かせてもらうわ。」
「一介の下役に過ぎないお前が俺に命令するな。」
傲慢な態度で女性ーーー第5隊付き治療室筆頭医務官レイアヴィア・フォロキーラーーーに返答する隊長様ことフレイは、その口ぶりに反して若干楽しそうな顔をしていた。海凪潟風に言うと「遊び感覚で獲物を付け狙う野生動物」のようだ。それを見た女性は「はぁ」とため息を付きプラチナブロンドの横髪を耳へ掛ける。それから不満さを露骨に顔に表し上司に釘を刺した。
「たとえ容疑者であっても確定したわけではないわ。私の仕事はアンタらの毒牙からか弱いお嬢ちゃんを守ること。女の脱衣を覗き見する男が隊長だなんて、世も末だわね、ハッ。」
海凪潟はレイアヴィアによってボタンを留め直されていたので、身体検査後に覗きを始めたフレイは無実。しかしながら、そもそも覗きは駄目だろうとの指摘。
こちらも喧嘩腰に言い返す女性。ただし全然面白くない、厄介な...と言いたげである。
彼女は海凪潟のブレザーのポケットに挟んであった三色ボールペンと、中に入っていた小さな紙片をフレイに手渡した。
「こっちはペン、こっちがあの娘の国特有の文字だとすれば何の変哲もない所持品だね。紙切れの方は術の媒体かとも思ったけどね、どうやら違うらしいよ。あの子達は全く反応しなかったからね。」
「...」
「どうしたんだい。...何かわかったのかい?」
「いや、だがこの文字は見たな。うちの三番が俺たちの名前を手帳に書いてそいつに渡したら、何やらこのペンで書き込み始めたんだ。取り上げてみたらこれと似た文字が付け足されていた。」
『いつもありがとう!
海凪潟さんへ感謝を込めてクッキーを作りました。
良かったら食べてね。
佐川 映音』
「何にせよ、これだけじゃあ何もわからないからね、くれぐれも早まるんじゃないよ?」
それには答えず、口元に手を当て考え込むフレイと、その様子を訝しみながら軽く海凪潟の頭を撫でるレイアヴィア。
その三人を上から覗き込む黒い鳥の姿が天窓から見えた。鳥は気配を消していたために、彼らに気づかれずに監視できていたのだ。
ビュォオオオオオ
不意に強い風が押し寄せ鳥の体を押し揺らした。鳥が風上を向けば、視界いっぱいに草原、奥の方に森が続き、そこから更に山がそびえ立っているのが見えた。そのうち最も巨大な山の頂には暗雲がとぐろを巻き空を灰色に染め上げている。
湿気混じりの風を感じ始めた鳥はトントンと二、三跳ね、前方に上体を倒した後翼を羽ばたかせ舞った。空を切りできるだけ速く主人のもとへと帰るのだ。
そうして告げる予定の内容をそのまま文字表記すると、『戯れにより監視中断、至急指示を変更せよ』となる。
嵐が来るのだ。
そしてその風を感じたのは鳥だけではなかった。
「久方ぶりだね、こんな大物は。浮かれ具合が伝わってくるよ。」
苦笑とともに呆れた目で山の方に視線を向けるレイアヴィアは、今回の主犯を思い遣った。彼らは一定の制限をかけられていても、やはり自由である。よって収拾係を務めるのは専ら理性的な大人、というより国だ。ああほんと公僕なんてなるもんじゃないね、と彼女にしては珍しくぼやいてしまう。
「ああ、そろそろとは思ってたが。...はぁ。」
フレイもまた公僕であり、指示を聞いていればいいだけのペーペーとは違う。出す側なのだ。その分悩みと苦労が一入多くなるのは辛い。よし、今回も副官に頑張ってもらおうと本人のいないところでひっそり決意した。勘のいいあいつは予想しているかもしれない、逃さないように気をつけておこう、とも。
「辛気臭いねぇまったく。私もアンタもこれから忙しくなるわよ、気合い入れなさい!
...ところでこの子、どうするの?見とく役目は誰にするんだい?少なくともアンタとアンタの野蛮な部下たちには任せられないよ?かといってうちの子たちも人手が足りてないから貸し出すのは無理だしねぇ。」
「一応聞いておくが、こいつは大丈夫なのか?病持ちだとかはないのか?」
「今更だね...。中に入った子も反応はなし、敢えて言うなら寝不足と精神疲労、あとは栄養失調位だと思うよ。聞いた話じゃ起き抜けに寝ぼけたアンタに首を絞められたっていうじゃないか。酷い話だよ。」
上司に睨みつけるなんてと他所の人間からすれば無謀な行動を取るレイアヴィア。普段の彼女と比べても僅かに甘い対応に、その原因に思い当たったフレイは戒めを放った。
「ツヅル・ミナガタ...そいつの名だ。まだ他の連中には話すなよ。」
「!わか、ってるわ、言われなくとも。...はぁ...似てなんかいないんだから、全然...。」
誓いにしては弱々しい声色で、紡いだ言葉とは裏腹に指先が痩せこけた娘の頬を撫でる。その乾いた手には小さな傷跡がいくつも見て取れ、よくよく見ればそれらはすべて同じ形をしている。薄れ具合からして随分前のものとわかるが、レイアヴィアにとっては消えてくれない過去なのか。
そんな様子を伺っていたフレイは、己の責務は果たしたとばかりに手のひら返しで救いを与える。
「我がフレイ・アーズシュヴェールの名をもって許可を出そう、我が隊の筆頭医務官殿。あなたの調べで見つからない仕掛けも術も存在しないのだから、今の所その子どもに危険性はないと思われる。よって、直ちにその者に治療を施すことを命ずる。未だ容疑者であることに変わりはないが、重要参考人として取り調べができる程度に最低限健康でいてもらわねばならない。また、治療に際して必要であれば此度の戯れ案件における欠席及び代理を立てることも許そう。その場合、次期筆頭医務官と謳われる彼に活躍してもらうことになろうが。」
仰天するも辛うじて礼を執った筆頭医務官は、彼の尊大で遠回りな優しさに唇を噛み締め拳に力を込めた。
「謹んで拝命仕ります、閣下」
実はレイアヴィア・フォロキーラはフレイには劣るもののそれなりに名が知れた人物であり、フレイの腹心という話もかなり有名だ。以前彼女に突っかかった輩がひっそりと表舞台から姿を消したことは一部で知らぬ者がいないほどである。その実行犯がとある副隊長の手のものだとか、そのバックアップがなくとも彼女自身の手で完膚なきまでに叩きのめされたとか、そんなことは些事である。
重要なのは、海凪潟を保護・治療するに当たって部外者が入り込む隙を狭められるという点。フレイの名で牽制、レイアヴィアの手で庇護という二段構えができたのだ。
騎士らも一枚岩ではない。だからこそ少女との関わりは信頼できる最小限に留めておきたいのが本音、とはいっても簡単ではない。少女が容疑者であるうちは顕著だ。国に忠実であれば不審人物は徹底的に問い詰め殺す、なんて過激な思考を持つ馬鹿はどこにでも転がっているのだ。
だからこそ、周りを無視して少女の味方になるものが必要だと考えた故の行動。本来騎士隊長のフレイが取るべきではないのだが、今回は割愛する。
こうして傲岸不遜を全面に出したフレイ・アーズシュヴェール隊長様は、良いところを海凪潟に見せることなく「また連絡する」と言い控室を去っていった。
意識を保ってさえいれば、海凪潟はフレイを少し見直したかもしれない。何せ空気は読めるボッチと自称しているのだ。
本当に、どこまでも残念な行き違いであった。
お読みいただきありがとうございます。