8.2.暗殺
梟が夜を告げている。
彼らは夜に狩りをする。
音なく飛び立ち、獲物を捕らえる。
彼らは空を飛ぶ。
夜の狩りであれば猛禽類最強の鷲にすら勝るだろう。
そんな彼らを真似するように、人も同じような存在がいる。
大きな国の城壁。
その側を歩いている男性が一人居た。
城内なので歩いていても何ら問題にはならないのだが、今は深夜。
その時間帯にこのようにして歩き回るのは不審者として見られてもおかしくはない。
だが、彼を見た人は尽くその魂を刈り取られる。
姿を見れた者は幸運だ。
あのように洗練された人物を見る機会など、生きていても見ることは叶わないからだ。
だがそれを見たが最後、訪れるのは死のみである。
とはいえ見なければ死にはしない。
だが運悪く見てしまうということも、ある。
「ケホッケホ……悪いとは、思いますよ……」
自分の姿を見た人物に同情する。
だが今は誰の目にも自分の姿が映ってはいけない。
映ったのであれば、それを全力で排除しなければならなかった。
それが今回の仕事なのだ。
致し方がない。
姿を見られるなどという失態を悔やみながら、再び前を向いた。
地面を歩く。
本当に歩いているのかと思う程に、静かな歩調だ。
一体どれだけの鍛錬を積めばこれだけの技量を手に入れられるのだろうか。
並外れた才能と才覚が織りなす境地だ。
それからは誰の目にも止まることなく、道を歩き続ける。
証拠は潰して回った。
残るのはこの大きな屋敷一つのみ。
建物の色が白い。
だが関係ない。
「奇術……影沼……」
男の足元に、闇より濃い黒い影が現れた。
その中に何の躊躇もなく入り込むと、屋敷の何処かに姿を現す。
瞬間移動の奇術。
これで男は様々な任務をこの異世界でこなしていた。
周囲には誰もいない。
気配は三つ。
楽な仕事だと、男は少し呆れた表情で気配のあった場所へと歩いていく。
歩きながら、男は腰に差し込んでいた小太刀を抜いた。
何の変哲もない普通の小太刀。
それは地味で、真っ黒な装飾がされてあった。
同じような小太刀がもう一振り腰に携えられているようだが、それは抜かないらしい。
そのまま歩いていき、曲がり角にて一つの気配を消した。
「ッ!?」
「……」
口を押えて喉を掻き斬り、そして刃を差し込んで流れた血を肺へと送る。
数秒の後、手を離して静かに横にしてやった。
完全に息絶えたのを確認し、次の標的を狙う。
全員殺さなければならないとか、そう言うことではないのだが、なんとなく殺しておきたい。
これは自分がまだ衰えていないかということを再確認するための仕事でもあったからだ。
まだ自分は人を躊躇なく殺せるのか。
暗殺をすることができるのか。
体の状態を確かめながら闇に紛れ込む。
自然な歩みで標的に近づき、背後を取った。
今回の敵は防具をしていない。
であればと、懐から長い針を取り出して、それを相手の首元から上へと差し込んだ。
「ッ──」
「……」
針は後ろの首から入り込み、そして脳を貫いた。
外傷は小さな穴のみだ。
動けているなと、自分の手を見て確認する。
あと一人だ。
そいつから話を聞けば、今日の仕事は終わりである。
どうやら部屋の中にいるらしい。
他にもここの家族や使用人と思われる人物が何人かいるようだが、それは無視してもいいだろう。
起きている人物にだけ用があるのだ。
(奇術、影沼)
足元に黒い影を出現させ、その中に入る。
ふと気が付けば、自分は最後の標的の後ろに立っていた。
気配を完全に消し切った男は、二振りの小太刀を抜いてその刃を標的の首へと当てる。
「ヒッ!?」
「騒げば殺します……。聞きたいことがあるのですが、良いでしょうか?」
標的は首を縦に二回振った。
どうやら今回は話を聞いてくれるらしい。
今までの標的は話を聞かず、そのまま暴れだしたりする奴らが多かった。
勿論叫ぶ前に宣言通り首を落とすことになったのだが、話が聞けないというのはなんとも面倒くさい。
この男とて方々を何度も何度も走り回りたくはないのだ。
ただでさえ弱い体に鞭を打ってここまで出張ってきているのだから、ある程度は優しくしてもらいたいものである。
とは思ったが、自分はこの者たちを殺しに来た。
今から殺しますよと宣言している立ち回りをしているのに、優しくしてもらおうなどとは口が裂けても言えないだろう。
まぁ気が付いてくれない、というのがせめてもの彼らの優しさだ。
さて、では本題に入る。
「僕の弟子は……孤児院というところの出だそうです。そこに送られるはずの物資、金銭、食料などが一切入ってこないと聞きました……。仕組んだのは貴方ですか?」
「わ、私、ではない……!」
「誰か教えてはくれませんか……? このまま解決できなければ、孤児院の子供たちは飢えて死んでしまいます……。僕はそれを良しとしない」
「私を殺しに来たのでは……ないのだな……?」
「ただの情報収集です」
優しい口調から放たれる恐ろしいまでの重圧。
いや、だがこれは屈強な戦士などの物とはまったく違う。
恐ろしいのに、重くはない。
押し潰されるような感覚には陥っていないのがその証拠である。
であればなんだと、標的は考える。
恐怖。
背中では悪寒が走り続け、冷や汗は止まる気配を見せない。
喋るのも一苦労で、口の中に溜まった唾を飲み下すのにも相当な苦労が必要だったように思える。
彼は人間の奥底に眠る恐怖という感情に、手を伸ばしていたのだ。
その優しく柔らかい青年のような口調が、恐怖心を一気に駆り立ててくる。
「こ、孤児院の……金や物資を横領している……者がいるのだろう。孤児院、は、王からの支援で……成り立っている……。その周辺の人間が、怪しい、と私は考える……」
「では貴方は知らない、と?」
「う、うむ。私は知らない……」
「見当は?」
「そ、それならある程度は……つく……。公爵……辺りは親族だから違うだろう……。候爵が怪しい……」
何かの階級だということは分かったが、男にはさっぱりだ。
さすがにこの辺は人の力を借りなければ解決できそうにない。
「では、貴方に任務を与えます。結果次第では殺しはしません」
「わ、分かった……。こ、孤児院の物資や金銭を、お、横領している、者を探せばよいのだな……?」
「はい。あと分かっているとは思いますが、僕のこと、弟子のこと、孤児院との関りは禁じます」
「う、うまく立ち回ろう……」
「話の分かる人は好きですよ。どれくらいで調べれますか……?」
「一週間はくれ……。上層階級の貴族に探りを入れるのだ……それなりに時間が掛かる」
「……いいでしょう。では一週間後、また来ます」
静かになった。
目を下に向けてみても、鋭い刃はこちらを向いていない。
大きく息をつき、息を何とか整える。
あの男から解放されても尚、恐怖が髪を引いているような気がした。
何者だったのかは定かではないが、行動しなければ自分が殺されてしまう。
それだけは嫌にはっきりと理解することができた。
すぐに書類に手を伸ばす。
まずはこの仕事を終わらせなければ。
今まで以上に、仕事をこなす速度が上がっていることに彼は気が付くことはなかった。
◆
外に出てきた男は、城壁の上で大きく咳き込んだ。
気を抜いたらこのざまかと、ひとしきり咳き込んだ後嘆息する。
「夜って、寒いんだねぇ……」
顔を隠していた布を取る。
そこから現れたのは、声に似あった優しい表情の青年だ。
優男に見える彼の体は細く、色も白い。
優しい顔つきだが、目だけはとても鋭かった。
男の隣りに、誰かが現れる。
長いマフラーを巻き、長いポニーテールを靡かせた女性だ。
男と似たような服を着ている。
「西行様、いかがでした?」
「ケホッ……はずれ……。でも協力させました」
「っ! 大丈夫なのですか!?」
「ああいうのは素直ですから。まぁ何かあれば自分で始末を付けますよ」
そう言って、城壁を飛び降りる。
驚いてその様子を見た女性だったが、男は静かに着地して歩いていった。
普通に飛び降りれば怪我をするのは目に見えているのだが……。
「ケホッ、おうい。行きますよ」
「え!? 私も飛び降りるんですか!?」
「できなきゃ死ぬだけですから」
「む、無茶な……」
師匠はいつもこうだと心の中で愚痴を零す。
だが飛び降りなければ今度は違う試練が待っているに違いない。
もう崖を飛び越えたり水の中で生活するなんてのはこりごりだ。
それに比べたらこれなんて簡単ではないか。
飛び降りればいいだけなのだから。
考え方を変えた瞬間、飛び降りるという行動に何の躊躇いもなくなった。
ぴょんと軽く飛んで飛び降りたのだが、速度が増していくにつれてやはり恐怖がこみあげる。
「無理!!」
バッと魔法袋に手を突っ込んだ後、鉤爪を取り出してそれを城壁に引っ掛ける。
ガリガリという音を立てながら速度は減速していき、なんとか着地することができた。
何故師匠は減速なしで降りれるのかまったく分からない。
「及第点ですね。今度は道具なしで飛び降りましょう。転がれば痛くないですから」
「いや、師匠転がってなかったですよね……」
「ちゃんと膝を曲げて着地しましたから」
「ちょっと何言ってるか分かんないです」
とんでもないところに弟子入りしてしまったなと、改めて嘆息する。
そんな彼女を見て可笑しく思ったのか、薄い笑みを浮かべてくつくつと笑った。
西行 桜。
忍びである。




