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6.29.運がなかった


 捨てられた紐は、地面にゆっくりと落ちていく。

 葛篭は獣ノ尾太刀を首に担いだ。

 そして指の力だけで鯉口を切り、音を立てずに抜刀する。


 鞘は腰に差し、結ぶ。

 月明かりに照らされた刀身は白く輝き、刀身彫刻が浮き出ていた。

 まさしく獣の牙。

 獣ノ尾太刀は、その狂暴な鉤爪をようやく顕現させた。


 ここまで美しく魅せられる刃。

 それであれば、此方も応えなければならないだろう。

 木幕は槍を地面に突き刺し、葉隠丸の鯉口を切った。


 柄を握り、抜刀する。

 その瞬間、周囲の木々がざわめいた気がした。

 同じ様に見事に輝くその刀身は、淡い青色をしている。

 月明かりが刀身の影を作り出す。

 その影は、青い。

 葛篭も普通の日本刀とは違うその美しさに感嘆した。


 だが、両者……言葉は発しない。

 互いの持っている得物は確かに美しい。

 しかし相手の得物を褒めることは、自身の得物を貶す行為である。

 口が裂けても言えるものではないのだ。


 その瞬間、二人は理解する。

 この立ち合いは一瞬で勝負が決まると。

 獣ノ尾太刀が、葉隠丸が、一撃で決めると言わんばかりに輝いていた。

 それを手にしている二人には、彼らの感情が読みとれた。


 であれば、それに応えよう。

 両者は強敵だ。

 得物も彼らに応えようと力を振るっている。


 勝負は一瞬ではあるが、一手目では絶対に勝負はつかないと理解できた。

 二撃目。

 そこがこの勝敗を分ける。


「獣や……獣……」

「葉隠丸」


 風が強くなった。

 葛篭は獣ノ尾太刀を肩に担ぐ。

 木幕は脱力し、葉隠丸を下段に下ろした。


「牙向く虎よ……」

「葉我流剣術、五の型……」


 一歩、足を軽く踏み込む。

 二歩、目を開ける。

 三歩、間合いに入った。

 四歩、大きく踏み込んだ。


「おういおい!!」

「枯葉!!」


 虎の牙を模した葛篭の上段の攻撃に対し、木幕は次手を考えて足捌きを重視した下段からの切り上げ技で対峙する。

 獲物へ絶対に噛みついてやろうというその刃が、木幕の肌にビリビリと突き刺さり、危険信号を発していた。

 だが構うものか。

 ここで一瞬でも引けば、確実にこの一手で負ける。

 葛篭の圧は獲物を見る獣だ。

 少しでも油断すれば筋肉が萎縮してしまいそうだった。


 だが、葉隠丸がそれを阻止してくれた。

 俺を信じろと言わんばかりにカチカチと鳴っている。

 握り込む馴染んだ柄が冷たくなる。

 体は燃えるように熱い。

 だが脳と葉隠丸を持つ手だけはとても冷たかった。


 これは何だと疑問を抱くが、迫りくる牙を見て考え事を切り捨てる。

 歯を食いしばり、足を踏み込み、体を捩じ上げるようにして葉隠丸を振り抜く!!


 キィィイン!!

 双方、刃を振り抜いた。

 押されて軌道がずれた獣ノ尾太刀は、木幕の体の横を通り抜ける。

 だがその勢いを殺すことなく横に薙ぎ、また脇構えに構えた。


 次手。

 これで勝負が決まる。

 木幕は未だ切り上げたまま固まっていた。

 体が痺れたか、今ので集中が切れたか。

 いや、あの武人を倒せるのであれば、些細なことは考えなくていい。


 葛篭は初めて武人として認めた木幕を、最高の武を持って制す!!


「獣や獣!!!! おういおい!!!!」


 天地を揺るがさんばかりのその大声は、本当に奇術を使っていないのかと言う程に響いてくる。

 まるで大太鼓の音を真正面から打ち付けられたかのようだ。

 これは自分への鼓舞にもなっている。

 血を滾らせ、頭に血を登らせ、目をひん剥き、獣の如しその咆哮にて相手を制す。

 拳に力が入り、筋肉が盛り上がり、縛り付けているはずの柄が握力でギシリと鳴った。


 ズパァン!!

 地面を割らんかの如く大きな音を響かせた踏み込みは、それだけで攻撃力の高さを示していた。


「天災の龍よぉおお!!!! おぉぉおいおい!!!!」


 昇華、登り龍。

 滝を登る鯉が龍になりつつ天に上る様を模したこの技は、奇術を使わずとも相手の刀を割るだけの力を有していた。

 何故下段からなのか。

 何故脇構えからの切り上げ技が葛篭には多いのか。


 それは、獣は自分の力で大自然を生き抜いているからだ。

 刀は横から振るえば遠心力を。

 上から振るれば刀の重さにて相手を切り伏せることができる。

 鍔にも細工をして斬り下ろし時の攻撃力を高める効果も期待できた。


 だが、それは自分の力ではない。

 下段、脇構えからの切り上げは、自分の本当の力量によって繰り出される最高の御業なのだ。

 肉体が作り出したその攻撃は、どんな芸術品にも後れは取らない、傑作品。

 獣も、また同じ。


 振り上げる度、水の代わりに空気が弾けていく感覚が手に伝わってくる。

 振るう時間は一瞬だが、葛篭は何分にも、何時間にも思えていた。

 昇華するには時間がかかる。

 それをこの体感の中で全てしてしまっているのだ。


 木幕に獣ノ尾太刀が迫る。

 だがまだ動かない。

 何か策があるのかとも考えればよかったのかもしれないが、この技を繰り出している葛篭は周囲の音すら聞こえていなかった。


 故に、木幕の小さな動きに、一切気が付くこともなかった。


 トンッ。

 葛篭の鳩尾に、木幕の軽すぎる掌底が繰り出された。

 その瞬間、獣ノ尾太刀は龍へと昇華した技を天へと見送った。

 攻撃をしっかりと回避した木幕の隣を、寂しそうに獣ノ尾太刀が佇んでいる。


 激痛。

 次に葛篭へと襲い掛かったのは、耐えがたい激痛であった。

 だが体を崩すわけにはいかない。

 まだ戦えるかもしれないのだから。


 ゆっくりと、下を向く。

 木幕は未だに掌底の構えを崩してはいなかった。

 だがそこからは大量に葛篭の血だと思われる液体が、滴り落ちている。

 なんだ、どういうことなのだ。


「……!!」


 目だけを木幕に向けると、驚くべき光景が飛び込んできた。

 木幕は歌舞伎役者のように刀を空へと掲げている。

 だが、その刀、葉隠丸の切っ先は…………見当たらなかった。


 葉隠丸は、真ん中からぽっきりと折れていた。

 飛んでいった刃が今何処にあるのか、それは葛篭の体が一番良く分かっている。


 常時顔を伏せている木幕から、水滴が何滴か零れ落ちる。

 それは血でも何でもない。

 彼が初めて見せる涙であった。


 葛篭は耐えかね、仰向けに倒れ込む。

 その瞬間、木幕は葛篭に刺さっている折れた葉隠丸を掴み、葛篭が倒れると同時に引き抜いた。

 刀身は既に美しい淡い青色を失っており、普通の日本刀にしか見えない。

 ドサリと倒れた音を聞いた後、木幕もその場に崩れ落ちる。


 木幕は葉隠丸に、勝たせてもらったのだ。

 何と不甲斐ない主かと、木幕は歯を食いしばって涙した。

 あの時の冷たい感触。

 あれは貴様の覚悟だったのかと、心の中で問い続ける。

 答えてくれる者は、ここにはいない。


「ぐぼッ……。ははは、ははぁ……」

「……」

「ええ、えぇー刀じゃないけぇ()……。おっとろしぃ(恐ろしい)……わぁ……」

「……言うな……。お主の……刀が……悲しむ……」

「っはは、え、ええわぇ(いいよ)。もう、十分……だぇ……」


 葛篭は、懐にあった道具箱を取り出した。

 それを地面に置き、木幕へ向けて押す。


「持ってけぇ……」

「……分かった」

「も、木幕……。最後に、ええこと(いいこと)教えたらぁ。アゲーテ領、行け。そこに、おる」

「……」

いきゃあ(行けば)……分かる……けぇ……」


 いるからなんだというのだ、という考えを葛篭は読み取ったのか、すぐにそう言った。

 葛篭は、そのアゲーテ領にて一人の侍と出会っている。

 その御仁は、必ずや木幕の役に立つと確信していたのだ。


 だが、それを伝えるだけの力が既に無い。

 視界が霞む。

 心臓付近を突かれてしまったようだ。

 出血量が尋常ではない。


「伯耆の……獣、葛篭……。手前んこたぁ……黄泉にて、広め、たらぁ……」

「……因幡の木幕。貴殿のことは、語り継ごう」

「フッ…。わてんなかったんは……運、だったかぇ」


 寒い、眠い。

 もういいだろうか。

 弟子たちよ、門下生たちよ、寺子屋の小僧共よ。

 もう、そっちに行っても……良いだろうか。


 先生は、立派に現世にて生き抜くことができたと思うかい?

 黄泉に先に行ったお前たち……先生のことを待っていてくれたかな。

 子供が作れないどころとか、仕事一筋で女房もいなかったわけだけど、お前たちのことは本当の子供のように育てたんだぞ。

 感謝してくれているといいなぁ。

 でも、親より先に逝ったお前たちには一発ずつげんこつだからな。


『せーんせー!』

『親方~』

「お、おお? なんだらぁ、はしゃぐでねぇだ。ほぅれ、さっさ行きんさい。一人ずつ殴ったらぁけぇ! はっはっはっは!」


 風が止んだ。

 木幕は気持ちが落ち着くまで、この場から離れることができなかった。


 月が木幕だけを、照らしている。

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