5.44.辻斬り、津之江裕子
津之江裕子。
彼女は永氷流師範であり、料亭の店主だった。
その技術は非常に高度であり、料亭の席での舞いなども積極的に参加した女将だ。
永氷流もそれに倣い、舞いを重視した戦いかたをする。
多くの門下生を持ち、彼女が育てた女子は武家の者が殆どだ。
津之江のいた場所では女が駆り出されるといったことも珍しくはない。
だからこそ、女も生き延びるために力を有さなければならなかった。
元々津之江は永氷流師範代だった。
師範は強く、津之江ですら勝てない程だったのだが、それは彼女の思い込み。
実力としては津之江の方が何枚も上手だったのだ。
その時、彼女は何かが足りないと常々思っていた。
女も稽古をして戦いに身を投じることを前提として力をつける。
その目的は既に果たされていた。
だが、何かが足りない。
なんだなんだと思い、津之江はまず料理に打ち込んだ。
自分の頭の中で考えた調理の手順が、一切の迷いなく、間違いもなく進んでいく。
これは本当に面白い。
料理が上手い下手関係なしに、これだけのことができれば何でも好きになってしまうものだ。
だが考え事をしていて注意が散漫になっていた。
津之江は久しぶりに包丁で怪我をしてしまう。
その時に流れた血は切っていた野菜に付着する。
ああ、これは捨てなければならない。
そう思ってまな板の上にあった野菜をごそっと捨ててしまった。
ん?
なんだこの違和感は。
そう思って捨てた野菜を見ているが、特に変な様子はない。
だが、彼女はこの時考えに考えていた答えが垣間見えたような気がしたのだ。
津之江が今行った行動は、血の付いた野菜を捨てたこと。
洗ってしまえばよかったのかもしれない。
だが、勿体ないとは一切思わなかった。
「ああ……そうか……そうだったの」
先ほどの一連を思い出すと、歯車がカチッと噛み合ったような納得感を得ることができた。
津之江は、指を斬って、血の付いた野菜を捨てた。
何の躊躇いもなく、野菜を切り捨てたのだ。
永氷流に足りないのはこれだ。
そうだ、そうなのだ。
いくら鍛錬を積んだからと言って、戦場でまともに動ける者がいるはずがない。
女であればなおさらだ。
であれば、まず私がその先駆者となって見せようではないか。
津之江は手始めに、師範を殺した。
予想以上に弱かった。
だが師範は津之江だということに気が付いていたらしい。
最後に手を伸ばしてきたが、津之江はそれをも切り捨てた。
足りない。
何もかもが足りない。
こんな一滴の血を得たとして、戦場で戦えるものか。
まだ、まだ斬らなければ、斬らなければならない。
戦場にて、眼前の相手を斬って捨てれる様にならなければならない!!
過去を思い出していた津之江は、ゆらゆらを歩きながら余っている手を魔法袋に突っ込む。
薙刀を雪に突き刺し、盆踊りで使う様な笠を被り紐を結ぶ。
次に出したのはお面。
カコッと言う音を立てて、笠の下にある顔にその仮面を合わせて紐を後ろで結ぶ。
その面は……目の部分に人魂のような穴が二つ開いただけのシンプルなものだ。
色は白く、無機質さを感じさせた。
津之江の辻斬り装束だ。
その無機質な面と恐ろしい程の力を持つ辻斬りは、面に返り血を浴びているところを見られたのだが、いつしか血色の舞い姫と恐れられていた。
因みに津之江はそれを知らない。
雪道を歩いて行けば、相手もようやくその存在を発見したようだ。
すぐに手をかざして爆発をさせる。
が、爆破しなかった。
「!?」
「なるほど? 固めてしまえばいいのね……」
津之江は薙刀の刃を下にして、くるりと一回転しながら切っ先で雪すれすれを撫でる。
「永氷流奇術、凍結」
パキィッ!!
大きな音を立てて地面が凍る。
表層の下層を凍らせたので、足が滑って転ぶということは一切ない。
津之江はその瞬間、滑るようにして敵へと近づく。
急に向かって来た彼女に対し、魔族は腰に携えていた剣を抜刀して防御姿勢を取った。
間合いに入る寸前、津之江は二回ほど回転しながら槍に遠心力を持たせ、そんまま思いっきり振り抜く。
ギャキィンッ!!
魔族はその攻撃を歯をくいしばって耐える。
なんだこの人間はと驚愕しながら、両手でその威力を正面から耐えた。
次の瞬間、無表情の仮面がずいと顔をこちらに近づけて来た。
「貴方は、強いのよね?」
「っ!!?」
その声色は、仮面越しからでもわかる不気味さだった。
背筋が凍り付き、鳥肌が立つ。
ゾッとてとりあえず距離を取ろうと、すぐに離れて行く。
だがそれを津之江が許すはずがなかった。
「ぬおおおおお!!?」
「フフフフフフ」
魔族の後退に合わせて足を動かし、不規則な攻撃を仕掛けて行く。
相手が下がれば右足を踏み込み、それと同時に薙刀を上に振り上げて振り下ろす。
防がれたがその攻撃は振り抜かれ、遠心力を殺さないようにしながら一度薙刀を一回転させて今度は左から薙ぐ。
その時左足を軸にして回転し、失ったはずの遠心力を乗せる。
それが何度も何度も何度も何度も繰り返し行われていく。
魔族は防御するだけで精一杯だ。
それに一撃一撃が重すぎる。
女が出せるような攻撃力ではないと心の中で叫ぶ。
だが、津之江が目指していたのはこれだ。
辻斬りを通して躊躇のなさを習得し、男の筋力を凌ぐ程の技量を手に入れた。
人を斬ると、できなかったことが明確に分かるようになる。
それを次の日の稽古で集中的に矯正し、また辻斬りへと赴く。
人を斬り続けたこの薙刀は、今すぐに貴様の鮮血を見せろと唸っている。
だが津之江はその薙刀の考えとは裏腹に、薙刀を持つ手は非常に優しい。
握っているのではなく、添えて操っているかのようだ。
ガキィン!!
一度回転して下段からの摺り上げ攻撃を何とか受けた魔族は、その火力に押されて剣を上に上げてしまう。
そこを狙って津之江は蹴りを繰り出し、魔族を吹き飛ばした。
「ごっふ!」
「強くない……強くない……なんでなんで。なんで」
「こ、この人間風情がぁ……!!」
がばっと立ち上がった魔族は、手の平を向けてくる。
だがその腕は、肘から先が付いていなかった。
「ほぁ?」
「永氷流奇術、雪結晶」
魔族が手を使って体を起こした瞬間、奇術を発動させてその腕があった場所に斬れる結晶を出現させたのだ。
魔族が下を見てみれば、そこには力なく落ちている自分の腕がある。
だが痛がるそぶりは見せない。
逆にギッと睨んで片手でまた剣を振るい始める。
「人間がぁああ!!」
「そう、そうそうそれで?」
「がっはぁ……」
津之江の持っている薙刀、氷輪御殿は、魔族の腹部を完全に貫いていた。




