5.39.四方八方
周囲を歩いて一時間が経過しただろうか。
既に三方向に魔物の軍勢が待機しているということを伝えたのだろう。
今は東にだけではなく南や北といった言葉が飛び交っている。
ギルドに戻って来た木幕は、先ほどの客室に入る。
するとパーティーメンバー全員がそこには揃っているようで、今は会議の真っ最中であったらしい。
ドルディンは入ってきた木幕を見てため息をついた。
「木幕……勝手な行動は困るよ……」
「すまない」
「何してきたんだい?」
「東以外の城壁を見て来た」
「城壁か……。何にも面白い物なんてなかっただろう?」
「使えそうなものは確かになかったが、西側の門は手薄すぎる。西に軍がいないことが幸いしているが」
それを聞いたドルディンは、バツが悪いような顔をした。
「あー……木幕。悪い知らせだ」
「……」
「西にもいた。それもAランクやBランクの魔物だ……」
再認識させられた者たちは、彼の言葉を聞いて頭を抱える。
四方に魔物の軍勢。
このローデン要塞は完全に孤立してしまった。
援軍は見込めないし、物資の搬入も暫く来ることはない。
下町には影響はないだろうが、ここが落とされてしまえば被害はそちらにも及ぶことになるだろう。
一番手薄な守りの方角に、強力な魔物。
一番強固な守りの方角に、弱い魔物……。
ボレボアが発見されなければ全方角を調査するなどと言うことはしなかっただろう。
今回は、運が良かった。
だが絶望的な状況には変わりがない。
誰もが逃げられない中、戦うことを強要されている。
「ドルディン殿。兵力は」
「Sランクが二人、Aランクが十四人、Bランクが五十四人……。残りの他のランクなどを合わせたとしても、冒険者だけでは六百人程度しかいない」
「メディセオ殿」
「貴族共の兵をかき集めれば、千二百……」
「リーズ、敵の兵力が一番多い方角は」
「えっ、あ! 南だ!」
地図を見ながらこちらの戦力と相手方の戦力を聞いていく。
そのまま石を握り、コツコツと丁寧に置いて行った。
全戦力、千八百。
この要塞を守るには少なすぎる戦力だが、一方向を守るだけであれば十分な戦力だ。
今までの戦いではそれで十分だったのだろう。
それを四つの方角に布陣を展開させるのだ。
こうして皆が悩んでいてもおかしくはない話。
事実、彼らは戦力をどう分配しようか悩みに悩んでいる真っ最中であった。
初めての状況に困惑し、どれが最善なのか分かっていないのだ。
Sランク冒険者に一つの方向を任せてしまおうという横暴な案が出てしまう程に逼迫している。
誰もがいつ攻めてくるかもわからない敵に怯えているのだ。
「四方の魔物の種類、大きさ、及び戦力と脅威度を」
「本当はさっきその話をしたんだけどね……。まぁいいか」
ドルディンは地図を指さし、一つ一つ説明していく。
「東には狼の姿をした魔物、Cランクの魔物マーディー。数にして六百」
実際に木幕たちが見た魔物はこれだ。
個々としては弱い存在ではあるが、数による暴力で攻めてくるのでその脅威度はCランクである。
比較的弱いので、単体であればDランク冒険者でも何とか倒すことはできるだろう。
「南には大中小、様々な大きさの魔物がいてC~Bの魔物がいる。種類が多すぎるので正確な情報は分かってない。総数三千」
こちらはリーズのパーティーが調査した方角だ。
これが本軍と言っても過言ではないだろう。
南側に大多数の兵力を裂きたいところではあるが、北側がそれを許さなかった。
「北には羽を生やした蝙蝠の魔物、ディバンディッドの群れ。これはDランクの魔物だ。空を飛ぶので魔法を得意とする者でなければ撃退は難しいだろう。数は九百」
ズーラというパーティーメンバーが調査した方角だ。
数が多い上に空を飛ぶ魔物が来るとなれば、それを撃ち落とせる者がそちらに付かなければならなくなる。
これも魔王軍の作戦なのだろうかと疑いたくなってくるところだ。
大戦力を前にしてまずすることは遠距離からの攻撃。
それを違う方角へに仕向けようとしている。
遠距離での魔法攻撃は非常に有効だし、範囲攻撃魔法が多いのも事実。
恐らくディバンディッドは捨て駒だ。
本陣ができる限り消耗しないようにと配置されたもの……。
Dランクとは言え約千匹の軍勢。
下手をすれば簡単に命を落とすことだってあり得る。
故に、北側の防衛は絶対に必要。
中にまで攻め込まれると、自由に空を飛べる奴らに翻弄されてしまうからだ。
「最後に西だが……。ランクはさっき言った通り、AとBランクの魔物がいる。数は百体……」
こちらはティアーノが調べていた方角である。
だがその肝心のティアーノが見当たらない。
どうしたのかと聞いてみれば、彼女は今治療を受けているとのことだ。
「あの小娘、何をした」
「できるだけ戦力を削ろうと戦ったみたいで──」
「馬鹿が!!」
木幕は机を叩き、置いてあった小石を浮かす。
次に小石をもう一度集め直して、また配置を考えて行く。
彼女の行動は敵を刺激し、お前たちの存在はもう分かっているぞと警告してしまったようなものだ。
斥候を何だと思っているのか。
この仕事は敵に存在を悟られず、敵の情報を正確に持ってくることだ。
敵は知能を持っている。
存在がバレてしまったとあれば、もう隠れている必要などない。
こちらの準備期間が大幅に縮小されただけだ。
大声でそう説明した木幕。
彼らはこの事に気が付いていなかった。
なんなら一人でAやBランクの魔物を減らしてくれたことに感謝すらしていたのだ。
だが説明を聞いて青ざめる。
まともに準備ができていないこの状況で指揮を執れる者は、今このローデン要塞には存在していないだろう。
木幕は大きく息を吐き、自分を落ち着かせる。
「……百が何体になった」
「ひゃ、百五十が百になったんです……」
「味方総戦力、千八百。敵総戦力、四千六百……」
三倍の兵力でないだけまだましかとも思ったが、それは木幕の故郷での話。
空を飛ぶ敵、壁をも壊さんばかりの剛腕を持つ魔物など様々な魔物がいるはずだ。
戦力の差は、ほぼ当てにならないと思ってもいい。
「メディセオ殿。お主はどちらに行く?」
「儂はめんどくさそうな西に行くかのぉ。弟子の尻拭いはせんとなぁ」
それを聞いた全員が驚く。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 貴方Sランク冒険者ですよね!? 行くなら数の多い南でしょう!?」
「抜かせぇ。西は質がいいんじゃ」
「いや、そ、そうかもしれないですけど!」
ただでさえ数の少ない兵力で戦おうとしているのだ。
一番多い敵兵がいる場所に、強い者を置いて欲しいというのは分からないでもない。
「まぁ、十分で片付けるさ」
「じゃあ今からでも……」
「また刺激すると敵が今にでも攻めてくるぞぉー」
「うっ……」
メディセオの言葉に冒険者がたじろぐ。
少しでもこちらの意図を汲んでくれるのは本当にありがたい。
それよりもまだ聞かなければならないことがある。
「ドルディン殿。空を飛ぶ魔物に……対抗できる兵は?」
「四百いればいい方だね。弓兵ではほとんど対抗できないので魔術師を集中させるよ。余っている弓兵は南に向かわせよう」
「正確な数を」
「こちらも四百程度かな」
それを聞いて、また石を配置していく。
南に一番多く石を配置し、北と西にも少し数を増やす。
だが東の石はほとんどいない。
「ドルディン殿。ティアーノはいつ回復する」
「動けないことはないよ。彼女にその気があれば戦えるんじゃないかな」
「ではそいつは東に配置させて領民と城壁を守らせよ」
「りょ、領民!? 騎士でも冒険者でもない戦いの素人をか!?」
「当たり前だ。誰だって石は投げられる。この防衛設備を見るに東へ兵力を裂くのは愚策だ」
ただ守られ続けるのは子供だけでいい。
ひ弱な女性だって物資の運搬くらいはできるのだ。
働けるものを働かせなければ、この戦いは勝てない。
だが確かに戦いに身を投じていない人は弱い。
だからこそ一番強固な東の城壁を任せることにしたのだ。
それ故に、東に配置している石はほとんどない。
ティアーノの本当の実力を見ていないので、彼女にここを任せる事には少し不安があったが、勇者と名乗っているのだ。
それくらいの働きをして見せろと、心の中で呟いておく。
「ふむ……。確かにこれなら……東には耐えてもらうだけでいい。西は儂が抑えるし、終わり次第北に向かってディバンディッドを始末しよう」
「すまぬなメディセオ殿。味方は必要か?」
「討ち損ねた奴を始末してもらいたいの。五人もいれば十分じゃ」
「……信じるぞ?」
「任せい任せい」
一人で百人斬りをしますと宣言したメディセオ。
本当に大丈夫なのだろうかと心配になるが……ここは任せることにしよう。
実際、そちら側に裂く戦力もほとんどない。
勇者という力、今回ばかりは信じて任せるしかない。
「某は南に行く。ここに居る者は全員だ。だがドルディン殿は北にて指揮を任せたい」
「え? あ、うん。あれ、ギルドマスターは私の筈だが……」
「リーズ、お前は領民を借り出してこい」
「おう! ……え、今?」
「今だ」
「ぅええええ!? い、行くぞ皆!」
リーズたちは慌てながらこの部屋を後にした。
今からは時間との勝負だ。
そのほかにも兵士の配置を報告させ、メディセオには悪いが兵士を引っ張り出してきて貰いたい。
こんな緊急な事態なんだから渋る者はいないだろうが、誰も彼もが自分の身が可愛いのだ。
できるだけ兵力を近くに置いておこうという者も多いかもしれない。
そして物資の確保、更にできる限りの防衛施設の強化。
木材を使えば少しはましになるだろう。
女性にも運搬を任せ、子供たちだけは避難させておく。
その場所はメディセオが用意してくれた。
すぐにでもその場を開けて貰う様にと説得をしに行ってくれるようだ。
テキパキと指示を出していく木幕。
ドルディンは完全に置いて行かれて、誰も彼に指示を仰ごうとはしなかった。
「あれぇー?」
素っ頓狂な声が響く。
誰の耳にもその言葉は届かなかった。




