4.66.束の間
トントントントン。
貧乏ゆすりが一つの書斎の中で一定のリズムを刻んでいる。
腕を組みながら何かを思案するクレム・ヴァリダリーは密かに笑っていた。
黒い梟を使うまでもなく、あの老人は何処かに消えた。
シーラが行方知れずのままだが、別にどうだっていい事だ。
何せ念願だったあの研究室を手に入れることができたのだから。
だがまだ下地が完成していない。
あの場所に行く為にその周囲の家を取り壊して道にし、町おこしと称して研究室を自分の物にしなければならないのだ。
あと少しの所まで来ている事に口角が上がる。
まだ時間はかかってしまうだろうが、ここまで来ればもう手に入れたと言っても過言ではない。
ようやくあの研究資料を見ることができる。
そしてこの国にとっての重要人物になりあがることが出来る未来が手に取るようにわかった。
だが、様々なことが順調に言っているというのに、彼の貧乏ゆすりは止まらない。
なにか、何かを見落としている気がしてならないのだ。
黒い梟はあれ以降顔を出さない。
依頼が済めば顔はもう出さないと言っていたので、おそらく勝手に依頼はこなして帰ったのだろう。
街の拡張も順調だ。
今は物資と人材を集めている最中ではあるが、それもあと一週間もすれば終わって作業に着工できる。
やはり何度考えても順調。
だというのに、不安が残る。
「なんだ? なにが駄目なのだ?」
彼は昔からこの癖があった。
心配なことがあれば貧乏ゆすりが勝手に始まってしまい、それが解決されるまでは止まらない。
これが止まるときは、未然に解決できた時か、手遅れになって事が起きてからだ。
それは今までの経験からわかっている事だった。
考えても考えてもその原因が分からない。
隣に置いてあった冷めきった紅茶を飲み干し、立ち上がって書斎のカーテンを開ける。
いつもであればそこから光が部屋に入り、外の綺麗な庭が見えるはずだった。
「!?」
だが今回彼が目にしたものは全く別の物だった。
綺麗な庭が兵士によって踏み荒らされ、武器を持って彼の住んでいる屋敷に前進してきている。
数はそこまで多くないが、兵士の着ている甲冑に付けられている紋章を見て驚いた。
公爵家の家紋。
そしてあれば、バネップ・ロメイタス直属の精鋭部隊。
何故こんな所に。
そう口にしたところで、書斎の扉が開く。
この屋敷に住む執事が大慌てで入って来たのだ。
クレムはすぐにその者に大声で現状を説明するように言う。
「クレム様!」
「あ、あれは!? どういう事だ!?」
「分かりませんが……孤児院の地下室のことがバレたのかもしれません……!」
彼はクレムの忠実な執事。
全ての事を理解して共にいる。
彼なりの説明で一瞬納得しそうになったが、それでは少し話がおかしい。
もし孤児院の地下室の事がバレたのであれば、書面やらなにやらで警告してくるはずだ。
少なくともこのように兵士を出してくるという事は絶対にない。
ではなんだ?
一体何が原因で彼らはこの屋敷に土足で足を踏み入れているのだ?
「……ま、まさか……」
そこでふと、気が付いてしまったことがある。
黒い梟。
彼らが何故戻ってこないか。
確かに仕事が終わればもう顔は出さないと言っていた。
だがあの孤児院で遺体が出たという話は聞いていない。
こちらがわざわざ兵士を送って確認をさせているので、それは間違いないだろう。
ではどこで……?
あの老人は何処に行ったのだろうか。
そしてそれを追った黒い梟が返り討ちにあっていたら……?
依頼主の名前を出すのはそう時間はかからないと思う。
「……黒い梟……! 失敗したのか!」
孤児院の研究室を隠していたのとは別件での兵士の派遣。
明らかにそれしかない。
それに気が付いた時、ようやく足の震えが止まった。
◆
「バネップ様?」
「なんだクレイン」
「確かにここがあの黒服の暗殺集団に指示をして彼らを襲わせた者がいる場所なのですか?」
「間違いない」
地図を広げてクレムの屋敷を指さす。
バネップには強い情報網があるのは知っていたが、クレインはその概要は知らない。
それに、今回はバネップの個人的な恨みが強い。
木幕のいた屋敷で襲撃があったと聞いてすぐに調べさせたくらいにだ。
あの立ち合いからクレインはその屋敷で見たことを説明した途端、恐ろしい形相でその襲撃者を調べ上げた。
彼自身はほとんど何もしていなかったが、その手の情報通の人物が何度か屋敷に訪れてきたことは覚えている。
とは言えこんなにも早く見つかるとは思ってもいなかったのだ。
それにしても、主人は彼らの事を気に入っているらしい。
素性を知っても尚、助けようとしている。
それが彼の優しさなのか、それとも興味なのかは分からないが、彼らの助けになっていることは確かなので真意は聞かないでおく。
「……この国も、そろそろ変わらなければな」
「……」
聞くつもりはなかったが、そう言う顔をしていたのだろうか?
バネップは独り言の様にそう呟いた。
それが彼の行動の真意であり、この国を変えようとしてくれている珍しい貴族なのかもしれない。




