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真の海防  作者: 山口多聞
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終盤戦 6

 1945年5月。インド洋から枢軸軍を駆逐し、北アフリカに橋頭堡を確保した連合軍ではあったが、未だドイツ第三帝国の力は強大であった。


 その完全なる屈服を狙った場合、連合軍側の被害は致命的な物になる可能性が高かった。そのため、イギリスのチャーチル首相は不承不承であったが、連合軍側の首脳はどの辺りで戦争を終わらせ、講和するかを真剣に話し合っていた。


 一方のドイツも、ヒトラー総統はまだまだやる気充分であったが、多くの閣僚や軍人たちは連合軍側と同じく、適当な線での講和をするべきだと考え始めていた。


 イギリスを除く全欧州を制圧し、イラン・イラク方面からは叩きだされたが、エジプトやリビアは未だ保持していた。とは言っても、このまま進んでも物量で制されるのは目に見えている。この辺りが潮時であると思うのは、当然であった。


 しかし、一口に講和と言っても自国の面子や、戦後の勢力範囲、国民感情などが複雑に絡み合う案件だけに、パッと決まるものではない。


 だから、戦いはまだまだ続くのであった。


 連合軍はインド洋での戦いが終了したこともあり、大西洋での戦いに全力を傾注することとなる。これに伴い、日本海軍もセイロン島から前進し、マダガスカルやケープタウンまで機動艦隊を進めた。


 米英としては、そのまま米東海岸もしくはアイスランドを拠点として、北大西洋での攻勢に参加して欲しい所であった。


 しかし日本側としては、そんな大遠征することは補給の面でも苦しい。米英と共通企画の兵器が増えたとは言え、武器や装備品には日本オリジナルの物もある。さらに、兵士の士気維持の観点から、米の飯を確保する必要だってある。


 そうした物質的な問題に加えて、国民感情という精神的な問題もある。そもそも日本はこの戦争に、ドイツ潜水艦による商船襲撃を理由に参加している。現在はその時の怒りの熱もすっかり覚めてしまい、同盟国である英米への配慮から、律儀に戦っているに過ぎない。


 そんな中途半端な状況で、海軍の機動艦隊を送り込んだ場合、大きな反感を持たれる可能性が高かった。


 それでも、米英両軍にとって日本の強力な機動艦隊は垂涎の的であった。しかも、インド洋方面で充分な経験値を積んでおり、全ての面で期待できる戦力であった。


 両者間で短くも激烈な交渉が行われた結果、燃料などの補給の確約や、日本本土からの補給物資輸送船団に対する格別の配慮、加えて諸々の諸条件(供与兵器量の割り増しや、その値の割引)を提示することで、ようやく海軍省も海軍軍令部も、そして肝心の連合艦隊も欧州への艦隊派遣を決定した。


 一方、船団護衛任務を専門とする近海防衛艦隊の派遣部隊も、インド洋方面における脅威が減少したため、その戦力重点を南北大西洋方面へとシフトした。


 既に南北大西洋には多数の艦艇が配備され、船団護送任務に就いていた。


 そうした活躍の一方で、この頃増加した独海軍のエレクトリックボートは、日本海軍にとっても頭の痛い問題であった。これまでの潜水艦に比べて水中での速度や運動性が大きく向上しており、なおかつ潜航可能時間も長くなっていた。


 さらに、音波撹乱弾や新型音響魚雷(簡単な識別装置搭載)と言った相次ぐ新兵器の登場も、護衛側の被害を大きくする要因となっていた。


 もちろん、護衛側も負けてはいない。最新型のソナーやレーダーを駆使し、さらにヘッジホッグと言った既存兵器の活用は元より、ようやく配備された水上艦発射用の対潜水艦魚雷などを使って対抗した。


 また護衛空母やその搭載機、陸上基地からの対潜哨戒機の数も増強され、これら護衛艦を全力でサポートした。陸上基地航空隊の中には、遥々大西洋各地の基地へと遠征した日本海軍の航空隊まで含まれていた。


 既にこの頃、大西洋航路で日の丸と旭日旗を掲げて航行する護衛駆逐艦やフリゲート、コルベットの姿は珍しい物ではなくなっていた。当然、各地の港を歩く帝国海軍の制服に身を包んだアジア人の姿も、その土地の人々にしてみれば、日常風景のなかに溶け込んでいた。


 昭和20年の初頭、日本の護衛艦艇の主な担当航路はケープタウンから南米大陸、カリブ海を通ってアメリカ東海岸、もしくは南米からアフリカ西岸諸港であった。


 しかし、インド洋方面から艦艇が新たに増援として配備されると、それまで不定期であったアメリカ東海岸からイギリス本土への航路にまで担当海域が拡大した。


 これは単に日本側の護衛艦艇が増えただけではなく、同様にインド洋方面から転用されたイギリス海軍艦艇が加わったことと、Uボートの攻撃の主な狙いがイギリス本土やアイスランドへと向かう航路へとシフトしたからだった。


 マダガスカルを失ったことで、独Uボートをはじめとする枢軸潜水艦は、その活動範囲を制限された結果、自分たちが活動しやすく、なおかつ得物に不自由しない航路を選んで攻撃したのである。


 またこの時期イギリスは、ドイツ空軍による都市や工業地帯への爆撃を再び受けていた。ドイツはとにかく、連合国側の主要国であるイギリスを屈服させることで、有利な条件での講和(イギリスを制圧できればさすがのヒトラーも満足すると踏んでいたようだ)を引き出そうとしていた。


 一方で、連合国側も負けてはいない。イギリス本土には日米から派遣された戦闘機隊が配備されていた。アメリカ側は最強のレシプロ機と自負するP51に加えて、P61夜間戦闘機やようやく完成したばかりのP80ジェット戦闘機を配備し、独空軍のHe277爆撃機やTa152戦闘機、さらにMe262戦闘機に対抗していた。


 こうなると日本も負けてはいられない。「陣風」や「疾風」に加えて、最新鋭の局地戦闘機「震電」やジェット戦闘機「火龍」、夜間戦闘機「電光」を投入していた。


 イギリス自身も、これまでに改良に改良を重ねた「スピットファイア」戦闘機に加えて、「ミーティア」ジェット戦闘機を配備し、独空軍に対抗していた。

 

 イギリス本土上空の空戦は、一進一退と言った所であったが、攻撃する側としてドイツは敵よりも多い戦力を揃えなければならないために、不利であった。


 一方の連合国側も、戦闘の一部を日米軍に任せていると同時に、イギリス自身も戦力を維持するためにシーレーンを確保しておく必要があった。


 必然的に、大西洋航路の防衛は以前にも増して重要であった。


 さらに大西洋航路の維持には、もう一つ重要な意味があった。それがアイスランドへの補給である。この時期アイスランドは米国のB29、さらに後には日本の「峻山」爆撃機の発進拠点となり、第三帝国攻撃の切り札足りえる地であった。


 このアイスランドに駐留する連合軍を維持する意味でも、大西洋航路の維持は必要不可欠なのであった。


 もちろん、第三帝国側もそれを見抜いていたから、必然的に大西洋における戦いは熾烈を極めていくこととなる。


 大西洋における戦いは、1945年に入ると以前とは違う様相を呈しつつあった。それは戦場がシフトしたことや、新兵器の投入もあったが、何より大きかったのは開戦当初の戦いに似た情景が見られつつあったからだ。


 まず、独軍側に長距離偵察機が再登場した。もちろん、旧式化して戦闘機のカモにしかならないFw200ではなく、He277やAr234などの最新型の偵察バージョンであった。これらは、護衛空母に搭載されたF4Fや零戦では対向不可能で、F6Fや「烈風」でも補足が困難であった。


 そうして偵察機が船団の位置を報告すると、Uボートが商船を襲撃する。ただし、高速のエレクトリックボートの優秀性能のおかげで、単独襲撃をする確立が増えた。


 そのため、群狼戦術を行うと思い込んだ船団護衛艦を翻弄する場面もあった。


 さらに独軍側は暗号の改正を頻繁に行うことで、連合軍側にUボート情報が探知されないよう努めた。この結果、1945年6月から一月ばかりの間は、Uボート優位に傾いた。


 しかし、連合軍側も負けてはいなかった。

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