終盤戦 5
マダガスカル島北東部に上陸した連合軍は、一路ディエゴ・スワレス港攻略に動いた。ここはマダガスカル最大の港であり、戦略上重要な場所である。
もっとも、それは枢軸軍にしても同じであった。もしここが陥落すると、連合軍に海上からの補給拠点を構築されると共に、後方のジブチやエチオピヤへの攻撃拠点と成り得るからだ。
そのため、このディエゴ・スワレス周辺にはマダガスカルにただ一つの装甲師団が配備されると共に、装備も集中的に良い物が与えられていた。
ただし、幾ら優れた戦車や装甲車が与えられていたとしても、制空権がなければ話にならない。戦車など陸上部隊にとって、対地攻撃を行う航空機は天敵なのである。いや、むしろ陸上部隊はうさぎで航空機は鷲と言えなくもない。
その航空機の攻撃を避けるため、枢軸軍は夜陰に乗じて、もしくは日英機動艦隊から発進する航空機が来ない時間帯を見計らって移動することを余儀なくされた。
枢軸軍各部隊は対空戦車や対空火器を備えた各種車両も装備こそしてはいたが、そんな物では気休めにしかならないのが実情である。
そうして独軍地上部隊が移動に手間取っている間に、日英軍は主力部隊を次々とディエゴ・スワレス近郊に上陸させた。以前も紹介したとおり、各部隊は最新式の戦車や装備を有し、自動車化されている精鋭部隊であった。
そして日英軍地上部隊と枢軸軍地上部隊の本格的会戦は上陸2日目に生起した。両軍の捜索部隊がそれぞれ敵部隊を捕捉したのである。ちなみに、捜索部隊の主力は枢軸軍がドイツ製のハーフトッラクで、連合軍はアメリカ製のM8や戦車部隊を退役した小型戦車もしくは装甲車を使用している。
まず先手を取ったのは枢軸軍側であった。航空支援が見込めない彼らは、その分のハンデを素早い攻撃とお得意の機動力(マ島の枢軸軍も一部を除きほぼ機械化されていた)で補おうとしたのである。
航空支援を受けられないことが、彼らの思い切りを良くさせた。一方の日英軍は、やはり敵地と言うこともあり、どうしても慎重にならざるを得なかった。それでも日本軍司令官の栗林中将とイギリス軍司令官のグリーンヒル中将は互いに会話できたため、本来共同戦線を作り難い両軍にしては連携が取れている方ではあったのだが。
中東戦線では、両軍の司令官が会話出来ず通訳を挟まなければならないために、戦線を別個にするなど、円滑に連携できない場面が数多くあったのだ。
それはともかくとして、この先制攻撃によって連合軍は戦車20両を含む車両50両あまりと自走砲を含む砲10門あまりを喪失した。いきなりの手痛い打撃である。
まさに陸戦国家ドイツ(一応仏伊軍もいるがこの時の主力はドイツ軍)の強さをまざまざと見せ付けたと言える。
しかしながら、この攻撃も急を聞きつけて飛んできた日本海軍航空隊が姿を現すと中止せざるを得なかった。それどころか彼らは対空車両の援護の元、車上に設けられた応急の対空火器で反撃しつつ逃げ回るしかなかった。
来襲した「陣風」と「流星」はいずれも20機程度ずつとそこまで多くはなかったが、各機8発ずつの対地ロケット弾や対地爆弾を搭載しており、さらに主翼にも大口径機銃を搭載しているのだから、地上の車両にとっては悪魔そのものであった。
この攻撃によって枢軸軍は3機撃墜の代償に戦車7両とその他の車両15両あまりを喪失した。さらに、折角得た攻撃の流れを止められてしまった。
そして空襲が終わった途端、今度は連合軍地上部隊による猛攻撃が開始された。空襲によって統制が乱れている瞬間を、日英両軍とも見逃さなかった。
日本の4式中戦車、イギリスの「センチュリオン」戦車共に枢軸軍の戦車に引けをとらない攻撃を有している。それらの車両が襲い掛かったのだから、枢軸軍側も溜まらない。
それでも、素早く反撃の態勢を整えて果敢にも行動するのはさすがであった。空襲後の混乱と言う困難な状況下にありながら、損害を最小限に留めている。
しかしながら、一度その存在を暴露してしまうことは、敵の追跡を受けやすいことを意味する。案の定この数時間後には第二派の空襲を受けている。しかも、今度は倍の機数でより効果の高い対地用3号爆弾を搭載した部隊であった。
3号爆弾は本来空対空用爆弾と言うユニークな物であったが、結局自由落下方式では高速で相対する航空機に命中させるのが困難であったため、その後の主力は米英の技術供与や独軍の捕獲品を元に開発したロケット弾である27号改空対空噴進弾へと変更されている。
これに伴い、3号爆弾は信管やパラシュート追加などの改良を加えて飛行場や地上部隊相手の対地爆弾へと使用を変更している。
空対地ロケット弾の場合直撃しなければ効果が薄いが、この3号爆弾の場合内部の弾子が周囲に散らばるため広範囲に打撃を与えられる。さらに好都合なのは、ドイツ戦車の場合使用しているエンジンが発火性の高いガソリンエンジンであることだった。
そのため、ドイツ戦車は被弾した場合火災に陥る危険性がディーゼルエンジンを搭載しているソ連戦車や日本戦車に比べて高かった。
そのため、上空から弾子がエンジンルームや燃料タンク至近に飛び込んだ場合、言わずもがなであった。
またこの攻撃からは英軍機も加わった。英軍の主力はアメリカ製のF4U「コルセア」であったが、同機の最大の特徴は多量の爆装が可能であることだった。胴体下に1000ポンド爆弾を搭載し、なおかつ主翼下には8発ものロケット弾を搭載可能であった。
これだけの航空攻撃にさらされては溜まらない。少なくとも陸上戦闘を継続するなど不可能であった。枢軸軍はなんとか航空機に発見されない森の中等への退避を図ったが、結局この日の戦闘で装甲戦力の半分を喪失してしまい、事実上壊滅に近い打撃を受けた。
もっとも、連合軍側も枢軸軍の思わぬ先制攻撃やその後の粘り強い反撃によって、戦車を中心に思わぬ被害を出してしまい、結局2日間の攻勢停止を余儀なくされた。
しかし、既に補給が絶たれている枢軸軍と、補給線は長いものの繋がっている連合軍とでは、やはり枢軸軍が大幅に劣勢であることに間違いはなかった。勝利のために、枢軸軍は最低でも自軍の数倍の敵を撃破する必要があった。
連合軍の航空攻撃によって大打撃を負ってしまった枢軸軍であったが、それでも地の利を生かして反撃を続行した。と言うかせざる得なかった。彼らに撤退出来る場所は島内にしかなく、最後の1発まで戦い名誉ある降伏しか選択肢は残されていなかった。
もっとも、それも各軍によって温度差があるようで、独仏軍に比べてイタリア軍は早めに降伏する傾向があった。これはやる気充分な独軍、ならびに自国の植民地であるフランス軍に比べて、イタリア軍の場合はマダガスカルに対するに未練や国家への忠誠(イタリアの場合ファシスト党と共に国王がいるので複雑)が些か足りないようであった。
ただし、イタリア軍の名誉のために言っておけば、最後まで勇敢に戦った部隊もちゃんとあった。マダガスカル島守備隊は装備こそ最新の物は少なかったが、これまでの占領期間中に充分な補給を受けており、弾薬その他物資は豊富であった。そのため、精神的に余裕があった。
それでも、独仏軍に比べて早く降伏する傾向があったのは間違いなかった。
またフランス軍にしても、そもそもが植民地警備の部隊であるから、装備に旧式な物がかなり混ざっていた。しかしながら、この部隊はそのハンデを地の利と高い士気で補った。
なおこの戦場ではヴィシー・フランス軍と自由フランス軍同士の悲劇的な戦闘も起きている。
上陸4日後、ドイツ軍装甲師団の反撃によって大幅な足止めを喰らったものの、連合軍はついにそれを跳ね除けてディエゴ・スワレスの港へと到達、同地に立て篭もる海軍歩兵を中心とした守備隊と交戦に入った。
既に乗る船のない水上艦船、Uボート、Sボートや商船の乗組員までが動員された同部隊であったが、それでも最後まで勇敢に戦っている。同部隊は巧妙な遅滞戦術を駆使して連合軍に挑み、連合軍側を翻弄した。しかし、やはり装備の面で劣る同部隊の抵抗は長続きせず、結局戦闘開始3日目に海軍総司令部が白旗を掲げ、ここにディエゴ・スワレス軍港は陥落した。
この方面の戦闘で、枢軸軍は連合軍に自軍に倍する損害を与えたのであるが、最終的に北西部のマジュンガもこの2日後に陥落し、枢軸軍は島の北部を完全に喪った。
そして残された中部、南部にしても南アフリカからの長距離爆撃や連合軍艦隊の艦砲射撃、ならびに艦載機の空襲によって空軍基地やレーダー基地はほぼ壊滅してしまった。陸上部隊こそ未だ7割近い戦力を温存していたが、既に制空権と制海権無き状況ではやれることは限られていた。
最終的にマダガスカル島は、部隊上陸から3ヵ月後に枢軸軍の組織的抵抗が終了し、自由フランス政府の領地となった。この際日英連合軍はディエゴ・スワレス港や数箇所の空軍基地の自由使用権を獲得している。
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