終盤戦 3
地中海で行われた第二次トーチ作戦は、大きな犠牲を出しながらも北アフリカに橋頭堡の確保を成功、英米をはじめとする3個師団の連合軍6万名あまりを上陸させた。
もちろん枢軸軍がこれを見逃す筈が無く、全力を持って迎撃した。しかし連合軍の膨大な物量、さらに北アフリカ方面の枢軸軍側戦力が充分ではないことが、結局上陸を許すこととなった。
それでも戦艦「アラバマ」、「マサーチューセッツ」、空母「バンカー・ヒル」と言った大小艦船60隻あまりを撃沈し、その2倍の数の艦艇に損傷を負わせるとともに、航空機の撃墜も300機以上と言う多数に上った。
しかしながら1000機近い艦載機を保有し、戦艦も10隻以上含んでいる世界最強機動艦隊を相手にしたのでは限界があった。最新型艦上戦闘機のF8Fや最新鋭艦上攻撃機のスカイレーダーも枢軸軍機を苦しめた。
連合軍が上陸後も、枢軸軍はドイツ製の戦車や装甲車を駆使して良く戦った。しかし連合軍側も最新鋭のM26重戦車やM18自走砲をもってこれに対抗した。イギリス軍も供与されたシャーマン戦車を改造したファイアフライ戦車や、最新型のセンチュリオン戦車を投入した。
米英軍の兵器はドイツ製戦車に勝っているとは言い難かったが、数の面ではほぼ同等でしかも上陸部隊支援の護衛空母から航空支援を受けられる状況にあり、そうした面で優勢を保つことで戦いを有利に進められた。
これに対して枢軸軍の艦隊、特に地中海を守る仏伊艦隊ははっきり言って何も出来なかった。戦艦数こそ両艦隊合わせればそれなりの数を用意できたが、空母はイタリアに3隻、フランスに2隻があるのみであったので、とても米英連合艦隊の空母には太刀打ちできなかった。
これらの艦隊は出撃しても返り討ちに遭うだけなので、ツーロンやタラントと言った、空軍機の傘がある安全な軍港で待機せざるを得ず、今回の戦いでは事実上役立たずであった。
その代わり、奮戦したのがUボートをはじめとする潜水艦や魚雷艇、さらにイタリア海軍謹製の人間魚雷や体当たりボート、そして機雷であった。
この内Uボートやイタリア潜水艦、さらにフランス海軍潜水艦は在来艦の比率が大きく、これらの艦では簡単に捕捉されてしまい、戦果は極僅かであった。しかし、大西洋方面から回された3隻の新型Uボート、さらに局地迎撃用に配備された小型Uボートや潜航艇はそれなりの活躍を示した。
特に新型でワルター機関搭載型のUボートであるU3008は、音響魚雷と通常魚雷を使い分けて、護衛空母1隻と護衛艦3隻、輸送艦2隻を撃沈破し、自らは見事フランスのツーロンまでたどり着いている。
また潜航艇のうちの1隻は、上陸支援に参加していた自由フランス軍の護衛駆逐艦を真っ二つに撃沈している。
ただし、こうした活躍をもってしても劣勢は覆らなかった。魚雷艇や体当たりボート、人間魚雷も夜間に行動するなど、戦果の拡大を企図して動いたものの、結局最大の戦果は巡洋艦1隻大破であった。
そしてそうした攻撃を終了し帰還した魚雷艇や潜航艇は、一部こそ脱出に成功したが、その多くは後にアメリカ軍とイギリス軍が念入りに行った偵察で出撃基地を割り出され、虱潰しに爆撃を受けて基地ごと撃破されてしまった。せめてもの慰めは、乗員たちが早めに避難を行ったため、空襲による戦死者を最低限に抑えられたことぐらいであった。
その後米英を中心とする連合軍は、地の利を生かして反撃する枢軸軍を前に大きな苦戦を強いられるが、続々とピストン輸送される増援部隊、さらに上陸1週間後には現地飛行場に陸軍航空隊を進出させるなど、徐々に戦力を増強し、ジワジワと枢軸軍を圧迫していった。
一方、アフリカ大陸を挟んで反対側のインド洋でも、日英軍を主体とする連合軍とマダガスカル島を守る独仏伊枢軸軍との戦端が開かれていた。
枢軸軍は、遠距離にて敵艦隊を攻撃する方法がないため、仕方が無く当初は守りに徹して日英軍を損耗させつつ、その後沿岸部に接近した敵に積極的な攻撃を仕掛けることにしていた。
しかし、戦いは思わないところからスタートした。まずマダガスカル島に対して襲い掛かったのは艦載機でも、水上艦艇でも、潜水艦でもなかった。なんと長距離爆撃機と長距離戦闘機による攻撃であった。
この攻撃は、枢軸軍にとって正に寝耳に水の事態であった。米軍の長距離爆撃機であるB24やB17、最新鋭のB29はいずれも欧州方面への爆撃に全てが投入されており、その損耗率の高さからこの方面にはあまり配備されていなかった。イギリスの誇るランカスターも同じである。
しかしながら、この時現われたのはその何れとも違う爆撃機であった。日本陸軍の誇る4式重爆「峻山」(キ91)であった。川崎飛行機が設計したこの機体は、アメリカからの技術供与などで完成した新型エンジンを搭載し、攻防性能も非常に優秀であった。頑強差を除けば、アメリカ製のB29以上の性能を発揮できた。
中島飛行機の「連山」が海軍向けに中型で抑えられたのに対して、この「峻山」は帝国陸軍が初めて手にした本格的な国産重爆撃機であった。川崎飛行機はこの爆撃機のために、わざわざ工場を新設したほどである。
そして護衛戦闘機もこれまた新鋭の三菱が開発した長距離戦闘機「旋風」(キ83)であった。米英からは「ジャパニーズ・モスキート」と呼ばれることとなるこの機体は、型式こそ「モスキート」と同じ双発二人乗り戦闘機である。しかしながら、機体は全金属製であり、性能も設計が後発の分優れていた。
日本側の優秀な機体設計に加えて、米英より供与された技術による排気タービンつきエンジンや電探、各種航法装置は目に見えない様々なプラス要素をこの機体に与えていた。
さすがに旋回性能は単発機に及ばないが、双発機独特の力任せの荒い空戦は可能であり、また重武装であるため、対爆撃機用高高度戦闘機としても使用可能であった。
この戦爆連合はフェリー飛行と開発されたばかりの空中給油の技術を用いてセイロン島から空路一直線で南アフリカの英空軍基地に展開、そこから出撃したのであった。
なお、余談ではあるが人種差別(同国はあくまで人種区別としている)の色が強いため、現地に進出した日本人パイロットは何かと苦労したようである。
それはさておき、マダガスカル島を襲ったのはそれら合わせて240機あまりの攻撃隊であった。しかも、両機種とも高度1万mでの作戦飛行が可能であるため、高高度よりの爆撃を行った。目標は南部各地に点在する飛行場であった。
この時枢軸軍は、空襲はインド洋側から始まると思い込んでおり、戦闘機を北中部へ移動させ、南部の飛行場に爆撃機や雷撃機を疎開させていた。もちろん、最低限の防空戦闘機は残していたが、いずれも高高度爆撃は想定しておらず、迎撃に上がった時には全てが手遅れであった。
彼らが「峻山」に取り付いたときには既に爆撃が始まっており、しかも枢軸軍の戦闘機は高高度性能に優れた「旋風」のお陰で「峻山」にはほとんど近づけなかった。
独本土では既に本格運用されている対空ミサイルがあれば話は別であっただろうが、そんな物は辺境のマダガスカルにあるはずが無かった。
こうして南部にある飛行場は爆撃されるに任せるしかなかった。240機を数箇所に分散させたため、さすがに全滅とまでは行かなかったが、この空襲で南部に避難させていた爆撃機や攻撃機の3割が完全喪失し、さらに2割が損傷を負うという、いきなり枢軸軍は大きなダメージを負ってしまった。
さらに、空襲は1回だけに終わらずその後数回にわたって反復された。また南アフリカ方面からの長距離偵察も幾度と無く行われ、これが枢軸軍の沿岸防衛に大きな影響を与えることとなった。
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