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真の海防  作者: 山口多聞
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第一次世界大戦 下

 欧州戦線へ派遣されたもう1つの大規模部隊が、地中海を中心に活動することとなった巡洋艦「明石」を旗艦として、2個駆逐隊からなる第二特務艦隊であった。司令官は佐藤皐蔵少将である。


 この部隊の主任務は、地中海における連合国側の船団護衛任務であった。当時の地中海はエジプトやアルジェリアと言った欧米諸国の北アフリカ植民地からフランス、イタリア方面へ向かう輸送船。さらにアジアや中東方面から紅海から北上してスエズ運河経由で地中海を抜けてヨーロッパへ向かう輸送船や客船が通る重要な航路であった。


 もちろん、こうした船の動きはドイツを中心とする同盟諸国側にとっては重要な攻撃目標となり、ドイツ・オーストリア=ハンガリー帝国・オスマン・トルコ帝国の潜水艦が連合国、さらには連合国側物資を運ぶ中立国輸送船を攻撃し始めた。


 同盟国側の潜水艦は48隻と数的には決して多いとは言えなかったが、潜水艦に対する攻撃手段が充分に発達していないこの時代においては、これだけでも充分であった。


 一方その地中海へ勇躍出撃してきた第二特務艦隊であったが、幹部を除く乗員には欧州行きが出港するまで通達されておらず、さらに長距離航海を強いられたために血気盛んな青年士官まで、疲れ果てていたとされている。


 それでも、「欧米諸国の連中に日本海軍の精強さを見せ付けてやる。」という意気込みで、彼らは連合国海軍の一員として任務に就いている。


 しかしながら、当時の日本海軍では対潜戦術や対潜兵器等はなく、イギリス海軍から爆雷と投射機を借りて搭載している。


 日本海軍による船団護衛は1917年4月25日に開始されている。到着したのが4月13日であったから、爆雷の搭載や乗員の休息期間は2週間にも満たなかったことになる。それどころかこれでは訓練も充分ではない。それだけ連合国側も切羽詰っていたと言うわけだ。


 そんなぶっつけ本番で投入された第二特務艦隊の駆逐艦であったが、始めて直ぐに手痛い攻撃を受けてしまった。


 護衛任務に就いた8日後の5月3日、その日駆逐艦「松」と「榊」の2隻はフランスのツーロンからエジプトのアレキサンドリアまで、英国陸軍の将兵3000名を載せた輸送船「トランスシルバニア」号を護衛していた。


「松」と「榊」は排水量595t、速力30ノット、武装は12cm砲と8cm砲を1門ずつに47mm砲4門と45cm連装魚雷発射管を2基積んだ「樺」型駆逐艦であった。


 1隻を駆逐艦2隻で護衛するのは随分贅沢であるが、護衛している側の日本駆逐艦は対潜戦闘にはズブの素人であるため、それこそ見張りの兵士たちは血眼になって海上を眺め、魚雷の接近を察知しようとした。


 しかしながら、その意気込みをあざ笑うかのようにドイツ潜水艦が発射した魚雷が「トランスシルバニア」号に一本命中した。


 日本側の乗員からしてみれば、「しまった!」「してやられた!」瞬間であった。


 ただちに「松」が「トランスシルバニア」号に接舷して救助作業を開始するとともに、「榊」が周辺を走り回って潜水艦を牽制した。


「トランスシルバニア」号には1万tを越える大型客船であったために、当初は応急処置を施せば、なんとか沈没は避けられると思われた。


 ところが、「松」が接舷している場所から10m先の船体にさらに1本が命中し、ついに総員退船に追い込まれてしまった。さらに「松」も艦首のリベットが飛び、浸水の被害を受けた。


 これに怒った「榊」、さらに「松」は周辺に主砲を乱射し、油と思しい物が浮いているのを発見すると爆雷1発を投下した。しかしながら、闇雲に撃ちまくったそれら砲撃と爆雷攻撃が敵潜水艦に打撃を与えられるはず等当然有り得ず、結局戦果未確認で終わった。


「榊」と「松」は潜水艦の撃沈に失敗したが、その後沈み始めた「トランスシルバニア」の救助に専念し、救援を聞きつけてやって来たイタリア駆逐艦とともに3200名の乗船者中3000名を救助することに成功した。


「トランスシルバニア」が海面に没したとき、3隻の上は救助した乗船者で一杯であった。


 日本駆逐艦の乗員たちはイギリスの船をムザムザ沈められてしまったことに意気消沈したが、イギリス側は対潜技術を知らない日本駆逐艦が乗員救助に奮闘したことを高く評価し、両艦の士官7名、下士官20名に対して王室の名前で勲章を授与した。


 もっとも、やられた日本側からしてみればやっぱり悔しい事には変わりないので、その後対潜技術の向上に心血を注ぐこととなった。イギリス海軍から対潜術を知っている艦長や司令官を呼んで講和をして貰ったり、自分たちからイギリス艦に乗り組んで実地体験したり、自ら戦術や兵器の研究をしたりもした。


 しかし、そうした研究や勉強も身を結ぶまではしばし時間が掛かる。おっつけ仕事の段階では充分に生かせなかった。


 それを象徴するように、6月には潜水艦を狩る側の駆逐艦「榊」がドイツ潜水艦の攻撃を受けて、艦首部に被雷して吹き飛ばされ大破するという大被害を受けている。人的被害も艦長以下59名が死亡するという、地中海における日本海軍最大の被害を受けた。


 1ヶ月程の間にたて続けに辛酸を舐めさせられた第二特務艦隊では、俄然ドイツ潜水艦を倒す研究を熱心に行うようになった。その成果が発揮されたのか、以後日本海軍艦艇にも、さらに護衛した1200隻近い船舶にも被害は全く出ていない。


 敵と真正面から戦う対潜戦闘は地味で、忍耐を必要とする戦いであり、日本人からすればかなり性に合わない戦いであった。


 さらに地中海派遣艦隊はその他にも様々な苦労に接している。特に食事を始めとする文化の違いは乗員たちを苦しめた。日本からはるばる米を運んできた輸送船が撃沈され、乗員たちにパンしか出せなくなり、士官までもが「これでは戦えない!」と上官に訴えたこともあった。


 さらに日本人には欠かせない調味料である味噌がイギリスの税関で腐っていると判断され、捨てられるという珍事まで発生した。


 こうした光景を目の当たりにした佐藤少将は、後に地中海における戦闘に関するレポートを提出するさい、食事や乗員の休養などが与える効果に関して言及し、軍の遠征における補給の重要性、さらにその補給の維持を訴えている。


 それはまた、英本土へ派遣された加藤中将も同じであった。


 後にこの問題に関しては欧州戦線に派遣された陸軍の例もあり、それまで輜重や補給を軽視していた日本軍内部に一定の変化を与えることとなる。


 一方補給の面だけではなく、精神的な問題も発生した。神経衰弱やホームシックなどである。これに関しては、陛下や帝国のために戦っているという実感が薄かったことも要因と成った。


 また派遣初期の頃は東洋から来た黄色人の艦隊、素人の艦隊ということで差別を受け、補給の順番を後にされたり、停泊地を一番遠い場所にされたり等の嫌がらせを受けている。


 ただ上記の「トランスシルバニア」号事件や、その後の奮戦が伝えられてくると次第にそうした目も変わり、逆に日本駆逐隊は各方面から引っ張りダコとなった。そして重要船団の護衛任務を行うまでになる。


 その後旧式化した旗艦の巡洋艦「明石」が装甲巡洋艦「出雲」と交替したり、増援の駆逐隊が新たに日本から派遣されてきたり、イギリスから武装トロールと駆逐艦が貸与される等の動きがあった。


 武装トロールとは、徴用したトロール漁船(底引き網漁船)に対潜用武装を施して、海上護衛に投入した船のことである、後の第二次世界大戦でも使われている。


 イギリスからの艦艇貸与は、同海軍における乗員不足の処置からで、武装トロールには「東京」、「西京」、駆逐艦には「栴檀」、「橄欄」とそれぞれ和名が付けられ、日本海軍の手で運用されている。


 第二特務艦隊は終戦に至るまで、地味な船団護衛と対潜戦闘に奮戦した。乗員たちは苦しい状況を時に異国観光、時に商船乗員からの感謝、そしてUボートの撃沈による喜びで打破し、戦った。


 任務が終了となり、日本に帰国する際には佐藤少将には英国を始め数カ国の政府から勲章が授与され、また貸与されていた艦艇はいずれも協力への感謝から供与へと切り替えられている。


 地味で苦労が多く、それでもって直接的な戦果(間接的には艦隊決戦の比ではない程重要)の少ない戦闘であったが、それでも第二特務艦隊は多くの教訓と経験を日本に持ち帰った。


 史実ではそれらの殆どが生かされず、日本海軍は旧来の艦隊決戦主義一辺倒に拘ったまま歴史を歩み、やがて大日本帝国そのものを道連れにして、滅亡へと向かうこととなった。


 しかしながら、欧州戦線への積極的参入という歴史の相違が、この世界の未来にそれなりの影響を与えることとなる。


 御意見・御感想お待ちしています。


 味噌の話や嫌がらせについては、自分が調べた限りでは事実です。

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