雪辱 中
インド洋方面におけるUボートの活躍は、現在に至るも活発である。日本陸軍の派遣部隊や英軍の反撃によって、徐々に独伊枢軸軍は中東方面から後退しつつあるが、インド洋方面においては未だマダガスカル島や紅海の入り口であるジブチやエチオピアを中心として潜水艦が活発に活動中であった。
独仏伊海軍潜水艦の主力は大西洋や地中海に展開しており、インド洋方面の部隊はどちらかと言うと2線級部隊と言ってよい。そのため、最新式の次世代型潜水艦のXX1型はお披露目程度の数しか配備されておらず、主力は相変わらずの在来型である。
もっとも、だからと言って在来型のUボートが恐ろしくない相手かと言えばそうではない。在来型の潜水艦と言えど改良を繰り返しており、シュノーケルや新型ソナー、レーダーに新型魚雷を装備している。それらをドイツより供与された仏伊海軍の潜水艦も同様である。
これらの改良によって、Uボートは例え在来型艦と言えど未だ強力な戦力であった。しかも竣工した時期が古い分、乗組員もベテランが揃っていた。
開戦以来、ドイツ海軍では空母や戦艦と言った水上艦の拡充にも力を入れていたが、潜水艦の増強にも熱心であった。潜水艦学校の生徒数が大幅に増強されると共に、Uボート自体も開戦時はわずか57隻であったのが、この時点では500隻近い数にまで増えていた。
潜水艦隊司令官のデーニッツは、開戦時最低でも300隻は欲しいといったが、その2倍の数に迫る勢いであった。
これで連合軍側が、補充が追いつかない位の損失をドイツ側に与えていたら、戦況ももう少し楽になっていたのであろうが、事はそう上手くは行かなかった。
確かに、連合軍が戦力を増やした直後や新兵器を投入した直後などは、一時的にUボートに与える損害は増えた。しかしながら、ドイツ海軍もすぐに対策を打って来るため損害は直に少なくなり、決定打とはなり得なかった。
例えばドイツ海軍の最大の秘密であるエニグマ式暗号装置。イギリス海軍はこの装置の奪取を試み、成功させたこともあった。しかしながら、ドイツ側はドイツやフランス、さらには占領地各国の学者や、本来は滅ぼす相手であるユダヤ人の学者までを総動員してエニグマ式暗号装置の改良を繰り返し、未だイギリス海軍は完全に解読し切れていなかった。つまり、その競争において勝利を収められなかった。
レーダーやソナーなどの電子技術においても、連合国側はアメリカの参加により一時期優位に立てる所まで行ったのだが、ドイツ側も負けじと全力で開発を行い、未だ決定的な優位を得ていなかった。
そんなわけで、開戦以来Uボートはそこそこの数を喪失しているものの、致命的なほどの数ではなかった。そしてインド洋方面においても、状況は同じであった。
インド洋方面において、Uボートをはじめとする枢軸海軍潜水艦は、日英艦隊の奮戦によりそれなりの数を喪失している。しかしながら、やはりこちらも致命的な数ではなかった。水上艦隊こそ壊滅的な打撃を受けたが、潜水艦の方はそこまで酷い損害ではなかった。
潜水艦の場合、1艦に乗り込む乗員数は少ないと40名程度、多くても100名を超えることなどない。つまり1隻を撃沈しても、駆逐艦の半分以下の人的損害としかならない。
潜水艦の建造単価はタンクなどの構造が複雑になるので空母や戦艦に比べても高いのであるが、人命という究極のコストパフォーマンスの観点から見れば、かなりおいしい兵器であった。
話がすこしばかりずれたが、Uボートをはじめとする枢軸潜水艦隊は質量共に未だ十分な戦力を持っており、経験豊富であった。そんな連中と戦って損害を受けたのだから、初めての護衛を行った連合艦隊艦艇が完全な仕事を行うこと事態無理があった。
そんな千川少将率いる連合艦隊より派遣された護衛艦隊の乗員たちは、今度こそ任務を完遂すると張り切っていた。
「今度こそ失敗は許されない。」
千川ら艦隊乗員の誰もが、そう心に誓っていた。
前回任務に失敗したのも大きかったが、それ以上に周りからの白い視線の方が彼らには痛かった。あのような屈辱は二度と御免と言う空気が艦隊を支配していた。
「体当たりしてでも輸送船を死守せよ!」
出撃前の訓示で、千川はその様に訓示していた。
一方彼らに勝負を挑む枢軸潜水艦隊はと言えば、前回の勝利に酔わず比較的冷静に待ち受けていた。
「前回は上手く行ったが、ヤーパンの艦は高性能だし空母も付いている。それに前回と同じ徹を踏む程愚かでもないだろう。何と言っても連中はトーゴーの子孫だからな。」
ある老練なUボート艦長はそう言って部下の気を引き締めた。
連合艦隊派遣部隊とUボート戦隊との第二ラウンドは、船団出港2日目夜から始まった。ケープタウンを出港してしばらくの間は、昼夜に関わらず陸上からの哨戒機による援護が望めたが、陸地から遠くはなれたことでそれも不可能となる。後は護衛艦隊のみが頼りだ。
もっとも、護衛艦隊は前回の戦訓をふんだんに取り入れてUボートを待ち受けていた。随伴する空母「龍鳳」からは、少数ではあるが夜間哨戒機を出しており、また旗艦である軽巡「千種」も搭載している2機の「瑞雲」水上偵察機に航空爆雷を搭載し、交代で発艦させていた。
「瑞雲」は急降下爆撃もできる優れた水上機で、やはり磁探と電探を搭載しており、有効な対潜哨戒を行うことの出来る機体であった。
たった数機のエア・カバーであるが、磁探ならびに電探搭載の航空機が船団から少しばかり離れた外周部を飛び回るだけでも威力は大きい。
「畜生!今日のヤパナーは哨戒機を上げている。」
浮上していたあるUボートでは、艦長が舌打ちしていた。そのUボートは逆探で哨戒機が発する電波を傍受するとすかさず潜航したのだが、、これは結果的に艦の保全は出来るが攻撃の機会を逸しやすくしてしまう。
この時代の潜水艦は、所謂「可潜艦」と呼ばれるレベルの代物だ。潜水能力は低く、水中での最高速度はせいぜい10ノットだ。しかも、そんな高速で走らせるとあっと言う間に電池を消耗してしまう。
そのため、潜水艦が船団や艦隊を襲撃する際に多用するのが、敵艦から若干離れた位置で浮上し、水上を全速航行して先回りして襲撃する方法だ。水上であれば20ノット以上のスピードで航行可能であるし、エンジンを使ってバッテリーをフル充電出来る。
もちろん、浮上することは敵からの襲撃を容易にしてしまう。しかし航空機の活動が制限される夜なら、活動しやすくなる。それだけ襲われる確立が落ちるからだ。
しかし今日の日本艦隊は、少数とは言え船団付近に航空機を飛ばして警戒していた。こうなると浮上していては攻撃して下さいと言っている様なものだ。
「どうやら今日のヤーパンは前回の戦闘をしっかりと反省したらしいな。」
ケープタウンに潜んでいるスパイや、無線傍受などからUボートの艦長は、今日の護衛部隊が前回叩きのめした日本艦隊であると知っていた。それだけに、彼らが早々と対抗策を打ってきたことに驚くと共に、関心していた。
こうしてこのUボートはこの夜に関しては襲撃の機会を完全に逸した。
この日船団に接近したUボートは計4隻であったが、いずれも対潜哨戒機の活動を探知すると、接近することに慎重となった。2隻が勇敢にも接近を図ったが、1隻は追いつけずに振り切られ、もう1隻は浮上して接近したのを探知され、撃沈こそされなかったが爆雷を受けて、攻撃には失敗した。
最終的に、1日目の夜は連合艦隊の方に分が上がった。船団は攻撃を受けることさえなく、朝を迎えた。
「よしよし。1日目は乗り切ったな。しかし。」
輸送船・護衛艦双方に被害が無かったことに、千川は安堵しつつも、素直には喜べなかった。なぜなら、実は対潜哨戒機の内の1機が不時着水してしまい、パイロットのペアが重傷を負ってしまったからだ。やはり1週間程度の付け焼刃な訓練では無理があったようだ。
これによって貴重な夜間飛行可能なペアが減ってしまい、必然的にそれは夜間哨戒に穴が開くことを意味していた。
また「千種」より発艦させた水上機に関しても、夜間の貴重なエア・カバーを提供したものの、回収の際は「千種」を止めねばならなかったため、面倒この上ない。さらに水上機であるが故に帰還後1機がエンジン・機体共に不調であることが判明し、修理に時間を掛けそうであった。
直接水に触れる水上機は、潮風や潮水の影響を受けやすいのだ。また軽巡用のような艦艇の整備施設で出来る整備の範囲も限定されたものでしかなかった。
「今日の夜は昨夜のようには行かんな。」
対潜哨戒網に大きな穴が開いてしまったことを知った千川は、そう言わずにはいられなかった。
船団と艦隊はインド洋を一路東に向かって驀進する。昼間は「龍鳳」の搭載機がフル稼働し、また各艦の見張り員も双眼鏡で付近の海上に目を凝らした。
1回Uボートが接近してきたものの、これは早期に対潜哨戒中の哨戒機に発見されて撃退された。
そして船団は二日目の夜を迎えた。
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