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真の海防  作者: 山口多聞
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戦線拡大 11

 連合艦隊艦艇による船団護衛失敗は、日本海軍にとって大きな問題であった。それは連合艦隊の貴重な艦艇を喪ったこともさることながら、自国や同盟国の商船に被害を与えてしまったことである。ことに、同盟国商船の被害は無視できる物ではなかった。


 連合艦隊は日本海軍の象徴である。実質的には、近海防衛艦隊の方が働いていると言えるのだが、国内外に対する宣伝では、以前大きなウェイトを占めた存在で、日本海軍の看板を背負っていると言える。


 だから、連合艦隊の失敗は即日本海軍全体、引いては日本にとっての大きなイメージダウンになると考えなければならない。実際、今回の問題を海軍軍令部のみならず外務省なども注視した位である。


 そして結果は、諸外国からの「遺憾」と言う文書の送付であった。


 商船が被害を受けたのも大きかったが、何より連合艦隊の艦艇が潜水艦を追いかけるのに夢中となり、船団を放り出したのが大きな問題とされた。日本海軍は商船を本気で守る気がないと言われたも同然である。


 さらに不味かったのは、連合艦隊の乗員が寄港先のケープタウンのバーで「どうしてそこまでして輸送船なんかを守ってやらなきゃならないんだ!」と言う発言を、目ざとくアメリカやイギリスの記者に聞きつけられ、すっぱ抜かれてしまったことである。


 第一次大戦や日中戦争の戦訓を通して、海上護衛に力を入れて近海防衛艦隊と言う組織まで作った日本海軍であるが、商船護衛に対する意識に関しては、まだまだ問題を抱えていたと言えよう。


 近海防衛艦隊の乗員ならば、任官時から船団護衛をの意義やそれに即した戦法などを一から叩き込まれる。加えて戦時の場合は乗員の多くに高等商船学校出身者や逓信省の船員養成所出身者が多数含まれる。だから、商船乗員の気持ちを守るし、商船を守ろうと言う気持ちも大きい。


 それに対して、連合艦隊の場合一応船団護衛の意義や戦法を習うには習うが、そんなものは片手間として習うに過ぎない。彼らにとっての本命は敵の戦艦・空母をはじめとする軍艦を沈めることであり、艦隊決戦である。当然頭ではわかっても、本音としては船団護衛にいまいちやる気が起きないとなってしまう。また、商船学校出身者の割合は相当に低く、自然乗員も艦隊決戦を頭に叩き込まれた純粋な海軍軍人ばかりであるから、余計意識などの面で差が出てしまう。


 その点が今回露呈したのみならず、同盟国のメディアに知られてしまったのだから、さあ大変である。連合艦隊司令部には国内外から怨嗟の声が殺到してしまった。もちろん、内閣や関係各省庁、さらには身内の軍令部や海軍省にまで文句を言われる始末だった。


 このままでは日露戦争と日中戦争時の悪夢が繰り返されかねない(既に繰り返されていると言っても良いが)。そのため、連合艦隊司令部は早速千川少将率いる派遣艦隊に、早急なる改善と次回作戦を絶対に成功させるよう激励文を打った。


 こうして、ようやく意識的にも本腰を入れ始めた連合艦隊司令部であったが、実際に現場で働いている者からしてみれば、早々簡単に出来る物ではない。


「上は現場のことを全くわかっていない!!」


 これまで船団護衛に対する意義をしっかりと教育せず、訓練も形ばかりの物しかやらせなかったくせに、具体的な命令も出さず、ただ改善命令と激励だけをしてくる連合艦隊司令部に、千川ら派遣艦隊幹部らは憤りを感じられずにはいられなかった。


 第一次世界大戦への参加や、日中戦争の戦訓からある程度の合理性や柔軟性を持ち合わせるように成ったとは言え、まだまだ帝国陸海軍内部における部下への丸投げ、現場への押し付け気質が残っていた。しかも、連合艦隊司令部のように日本本土にある組織ほど、その傾向が強かった。


 しかしいくら文句を言っても始まらないし、実際ケープタウンやセイロンでの連合艦隊将兵への風当たりは強く、港のパブや酒屋では「グランド・フリート(連合艦隊)お断り」という看板まで出されている始末だった。このような屈辱は、日露戦争中の第二艦隊司令官上村中将が受けて以来の物と言って良い。

 

 その汚名を雪ぐには、とにかく行動で示すしかない。すなわち、今度の護衛任務を何が何でも成功させることである。


 そこで千川らが取った行動は、恥を覚悟で近海防衛艦隊司令部や艦長たちを回って。マニュアルを借りたり、これまでの戦訓を聞いたりすることであった。近海防衛艦隊の人間からしたら、「何を今更」とでも言いたいことだが、これ以上商船に被害が出て欲しくない気持ちは人一倍強いし、頭まで下げられて応えないわけにはいかない。


 こうして連合艦隊は、貴重なマニュアル類と戦訓を手に入れることが出来た。


 ただし、これは逆に言えば連合艦隊が近海防衛艦隊のマニュアルや戦訓をこれまで放置(と言うか無視)していたことを表す事でもあった。そして実際に被害を受け、諸外国からの反発を受けて、ようやく改善へと動くと言う、何とも情けないことでもあった。


 そうした事情はともかくとして、千川らは早速それらを読み込んで研究を行った。ところが、調べていくとそれらを完全に生かすのは不可能とわかった。理由は艦艇の性能の違いが大きく関わっている。


 以前も紹介したが、連合艦隊の第一線艦艇と近海防衛艦隊で使う護衛駆逐艦や海防艦は、設計段階の時点で、想定される使用用途が既に大きく違う。


 連合艦隊の艦艇は高速で動く艦隊に配属されるのが前提だから、最高速力や巡航速力は高めだ。30ノット以上のスピードで走り回り、敵艦隊へと突撃する。加えて武装や防御力も敵との戦闘を第一に考えて設計されているから、積めるだけ積むという形をとる。。


 これに対して、近海防衛艦隊の艦艇は船団護衛や近海における救難を第一として設計している。そうなると高速はいらないし、むしろ低速で長い時間・長い距離での運転が可能なような設計となる。武装や防御力も潜水艦や航空機、自分と同レベルの艦艇が相手となるためあまり重視されない。艦種によっては商船と同じ構造にしている位だ。


 こんな水と油の設計思想に基づいて設計された艦艇を場違いな任務に投入するのは、本来間違っている。しかしながら、艦の数に限りがある以上どうしようもない。そうした正しい戦術を採れるのは、アメリカのような金持ち国家だけである。日本のような貧乏国家に贅沢は言っていられない。


 連合艦隊の艦艇は、出来うる限りの範囲でやらなければならなかった。


 そこで取り敢えず千川少将が採った策は、まず駆逐艦や軽巡の魚雷発射管の一部を降ろした。敵の水上艦が出てくる可能性がゼロに近い以上、大型の魚雷など積んでも無駄である。むしろ可燃物を積み込む分危険極まりない。


 この時点では、潜水艦追跡用の音響魚雷の開発はまだあまり進んでおらず、はっきり言って魚雷が対潜水艦兵器とはなり得なかった。


 魚雷を降ろすと、各艦は代償としてヘッジホッグや爆雷、そして機銃の搭載数を大幅に増やした。特にヘッジホッグと魚雷はそれまでの倍近く搭載し、長時間の対潜戦闘に耐えうるようにした。


 さらに航空母艦とその艦載機についても、夜間でも運用可能に出来るよう夜間の発着艦訓練を行った。夜は航空機の動きがない故に敵に隙を与えてしまう。それを少しでも埋めるためであった。


 またそうした武装面以外でも工夫を凝らした。まず巡洋艦や駆逐艦のスピードが速すぎる点に付いては、イギリス海軍の戦訓を参考に、周囲でグルグルと回る方法を採る。一見すると、スピードを落として並進した従来の方法の方が合理的に見えるが、実際の所はこちらの方が高速状態を保てるから、敵により素早く攻撃できる。


 また船団出撃前の会議を寄り念入りに行うことで、情報の共有化を行うように通達した。船団を構成する各船の情報を護衛艦の各艦長が把握することで、少しでも円滑に護衛を行えるようにする。また、船団の船長たちとの交流を持つことで、それぞれに一体感を持つと言う意味合いもあった。


 こうして地道に準備を進めたが、実際の所時間はあまりなかった。何せ船団は無数に航行しているのだ。幸いにも米英やブラジルなどの護衛艦隊と近海防衛艦隊とのタイムスケジュールの調整によって、2週間ほどの時間を得たが、訓練や改装の時間を考えるとあまりにも短かった。


 そのため千川ら連合艦隊の将兵は、その分を座学や兵技演習を行うことで埋めようと必死になって取り組まなければならなかった。彼らは自らの汚名を雪ぐため、それこそ月月火水木金金の毎日を過ごした。


 こんな付け焼刃的な訓練と改装しか行えなかったが、それでもやらないよりは遥かにマシであった。


 そして2週間後、連合艦隊派遣艦隊は前回とは逆のケープタウン発セイロン行きの船団を護衛することとなった。この船団にはインドで戦う日本陸海軍向けの支援物資が満載されており、その意義は大きな物であった。


 千川少将は船団を構成する各船の情報を把握するとともに、さらに艦長や船長を交えての合同会議を行い、双方の情報交換と交流を図った。


 こうして、やれるだけのことをやった連合艦隊派遣艦隊は、再びUボートが跳梁跋扈する海域へと輸送船団を護衛して出撃した。




 御意見・御感想お待ちしています。


 日本の戦没商船について調べるなら、神戸の戦没した船と海員の資料館が便利です。

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