戦線拡大 9
連合艦隊からの艦艇派遣は、喜ばれると共に不安を誘うものであった。確かに、連合艦隊の艦艇の性能は近海防衛艦隊のそれよりも優れている。当然である、潜水艦や商船相手に襲ってくる航空機より遥かに強力な敵との対戦を前程に設計されているのだから。
しかしながら、では商船護衛にそれらが期待されていたのかと聞かれれば、答えは否である。例えば、ある近海防衛艦隊所属の海防艦艦長は、仲間にこう語っている。
「連合艦隊の連中は敵艦隊との戦闘は頭にあるが、低速でノロノロ走る船団を守る器用さは持ち合わせているとは思えん。」
この連合艦隊所属艦艇に対する不信は、何も今始まったものではない。日中戦争以来の物であった。事実日中戦争において連合艦隊は中国潜水艦に手痛い目に遭わされ、護衛対象にも大きな損害を出してしまっていた。だからこそ、船団護衛を専門に扱う近海防衛艦隊が整備されて来たと言える。
一応連合艦隊でも、船団護衛時に関してのマニュアルは存在している。しかしながら、そうした事に割かれる教育や訓練の時間は長くない。そして実際に、連合艦隊がそうした事に参加するのは日中戦争以来の出来事であった。
「連合艦隊の巡洋艦や大型駆逐艦よりも、近海防衛艦隊の小型駆逐艦や海防艦が近くにいてくれた方が遥かに安心できる。」
とある貨客船の船長は語っている。それ程までに、連合艦隊という名のブランド名はこと船団護衛では不人気、と言うかそれ以前に信頼がなかった。
ではその信頼ゼロの連合艦隊が船団護衛をやった結果はどうなったのか?昭和19年11月、連合艦隊から派遣された軽巡と駆逐艦が守る護送船団がセイロン島を出航、最初の中継地であるケープタウンへと向かった。
セイロン島を出港した直後は、基地から発進した陸上対潜哨戒機や対潜用飛行艇などのエアカバーを受けられた。また、今回の作戦には連合艦隊が派遣した自前の空母も加えられていた。軽空母の「龍鳳」である。
「龍鳳」は潜水母艦として建造された「大鯨」を改装した艦で、30機の航空機を搭載できた。しかしながら、最高速力が26,5ノットと遅いのがネックとなっていた。カタパルトの投入により新型航空機の運用自体は可能となっているが、やはり速力の遅さは艦隊運動の妨げとなるので問題であった。そのため、今回の作戦に投入された。
搭載する航空機は現在空地分離体制となっているので、容易に機動艦隊用の航空部隊から護衛艦隊用の航空隊へ切り替えられた。
今回の護送船団は、護衛する艦艇に配慮して、船団速力が巡航速度14ノットと比較的高速の船が集められていた。通常船団を組む場合、構成する商船の性能はマチマチである。高速の船もいれば、低速の船もいる。それでも、安全を考慮してごちゃ混ぜにして、集まった船で船団を作る。
だから、今回のような性能的に優秀な船ばかりを集めるのは並大抵のことではなく、恐らく船団を構成した関係者に多大な苦労を強いたに違いない。
しかしながら、護衛する連合艦隊側艦艇の乗員にしてみれば、その苦労のありがたみはあまり感じられる物ではなかった。むしろ、彼らにしてみればそれでも苛立ちを感じる物であった。当然である。通常高速の艦隊の場合、20ノット前後の速度で巡航するからだ。商船の感覚では高速でも、軍艦の感覚の場合鈍足なのだ。
わざわざ歩みの鈍い者に合わせて進まなければならないのは、誰だって苦痛に感じることであろう。それでも、日中戦争などでの汚名を雪ぐ意味もあり、少なくとも乗員たちはこれは義務だからと、その不快感を押し殺していた。
ただ理性でなんとか押さえつけているにしても、やはり士気の面で盛り上がりに欠けるのは、今後敵と戦う上での大きな問題であった。
この問題は、何も乗員の気分のみに作用する問題ではない。物理的な問題も起こす。実は艦船が一番燃料を消費しない速度と言うのが巡航速度であるのだが、逆に言えばそれより速くても遅くても燃料を無駄に消費する。
だから、今回のように通常の巡航速度より無理に遅く走ってもやはり燃料を多く喰ってしまう。
商船を護衛する際、ワザワザ専用の艦艇を設計するのは数を揃えたり、敵である潜水艦や航空機に対処できる程度の船で良いという考え方もあるが、商船の速度や運動性能に合わせられる船を揃えると言う意味合いも兼ねている。ただ単に、数合わせで艦艇を護衛に付ければ良いというわけではない。
もっとも、護衛の数が足りないのだから背に腹を代えられないということもある。そうなると、多少の燃料や運用上の不都合に目を瞑ってでも船団の安全を考慮するべきという考え方もあるのだ。
出港翌日、船団はUボートをはじめとする枢軸軍潜水艦多発地域へと突入した。セイロン島とアフリカ沿岸からの基地航空隊の支援が届かなくなる海域が危険海域であった。
早速「龍鳳」から対潜用の「北海」が発進して、船団周囲をグルグル回って敵潜水艦の出現に備えた。また巡洋艦からは、やはり対潜用の装備を施された零水偵が飛び立ち警戒に当たる。
この時期、水上偵察機は既に本来の偵察任務に使われなくなっていた。鈍足の水上機では敵戦闘機から逃げ切るなど不可能になっていたからだ。夜間や薄暮の偵察に使われることもあったが、空母が伴う機会が多くなったので、それさえも減っていた。
そのため、主に対潜哨戒任務や連絡任務に使われていた。ただし、やはり水上機の宿命である収容方法が面倒くさいと言う欠点だけはどうにもならない。そのため、最近ではアメリカで開発されたヘリコプターや日本でも生産が行われているオート・ジャイロを大型化した上で搭載する方法が模索されていた。
空からの目が光る一方で艦艇の電探やソナー、さらには見張りの兵士の目が総動員され、敵潜水艦が現れた場合に備えられた。
夜が明けて陽が昇り、さらにその陽が空高くに昇ってお昼を過ぎ、段々今度は沈み始めて夕方となる。何事も起きないまま1日が過ぎていく。兵士たちはその間気を張り詰めつつ、交代で警戒にあたった。それは大きな苦痛であった。
そう、船団護衛で何が苦痛かと言えば、いつどこからやって来るかわからない敵に対処しなければならない。これが艦隊や基地航空隊相手の戦いなら、少なくとも敵がいるのがわかるし、どこら辺で発見できる、もしくは発見されると言うことを予測できる。
しかし、相手が目に見えない海中の潜水艦ではどこから攻撃を行ってくるかわからない。
連合艦隊の乗員も対潜戦闘の訓練は受けているし、艦隊が進む際は対潜警戒を行う。だから、このような仕事の経験が皆無かと聞かれれば否である。しかし今回は通常より鈍足で走らねばならず、さらに守る対象も戦艦や空母ではなく商船である。遣り甲斐が感じられないことはないだろうが、それでも通常とは違う艦橋に違和感を感じてしまう。
こうなると、士気は落ち込み乗員のやる気も殺がれてくる。護衛艦隊司令官の千川清少将は、出撃前に船団護衛の意義などを演説していたが、その効果も出港翌日の夜には切れ掛かっていた。
Uボートの襲撃が起きたのはそんな時であった。
「敵性電波補足!近海に敵潜水艦がいる模様!」
護衛艦隊所属の駆逐艦の1隻が、Uボートから発進されたと思われる電波を捉えた。
「対潜戦闘用意!!」
直ちにその命令が全艦に伝えられる。さらに護衛対象の商船にも発光信号で敵潜水艦捕捉の情報が通達される。
各艦では乗員たちがヘルメットと救命胴衣を着けて走り、また音響魚雷の発射に備えて艦尾からフィクサーが海中に投入された。爆雷やヘッジホッグもいつでも発射できるようにされた。
船団と護衛艦隊全体に緊張が走り、敵潜水艦の襲撃に備えられた。護衛艦隊の乗員たちは何時でもかかって来いとばかりに戦意を漲らせていた。ところが、ここからが本当の勝負だった。
その後1時間経っても、魚雷どころか敵潜水艦の影さえ探知できず、時間だけが空しく過ぎていった。実はこれ、Uボート側の作戦であった。
よく対潜作戦は我慢比べと言われるが、それは戦闘が長丁場になることもあり得るからだ。護衛艦にしてみれば、何せ相手は姿の見えない潜水艦なのだ。容易に撃沈できる相手ではない。発見さえ難しい。
対して潜水艦側にしてみれば、一歩間違えば敵に発見されて襲撃に失敗するだけではなく、何時間も爆雷の嵐に見舞われる。そのため用心深く相手を追跡し、最適の一瞬を見極めて渾身の一撃を見舞う。
最適の一瞬、それは敵が油断し警戒をほんの少しでも緩くする時だ。だからワザと攻撃を掛けないことで、相手の疲労を誘う、これも戦術の一つだった。
もし船団護衛専門の人間だったら、潜水艦がこれ位のことを行うのは読める。だから適度に休みを取ったり、逆に敵の油断を突くために、策を練ったりジッと我慢したりする。こうした点は狙撃兵同士の戦いに似ている。
だから、本来ならここで敵潜水艦はこちらの疲労を誘っているのだと予測できたはずだ。しかし、船団護衛に不慣れな千川少将ら連合艦隊の人間はこの初歩的な罠に見事引っかかり、兵に余計な疲労を強いてしまった。
そして明け方、ついにその隙を突かれてしまった。突如護衛駆逐艦の1隻が轟音と共に爆発を起こした。
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