戦線拡大 3
昭和19年2月、ドイツ海軍は北大西洋方面においてこれまでにない高性能な潜水艦を投入した。それが新型のXXⅠ型である。
この時代、潜水艦は可潜艦とも呼ばれていた。これは「潜水」とこそ名前が付いてはいるが、実際には潜水出来る時間が極端に限られていたからだ。また潜水した場合の最高速力も10ノット程度というお粗末な性能しか備えていなかった。
これは水中では排気システムの関係上主動力たるディーゼルエンジンを起動させることが出来ず、電池のみしか使えないことに由来する。これを抜本的に解決するには、水中で莫大な酸素を人工的に作り出すか、酸素のいらないシステムを開発するしかない。戦後採用された原子力エンジンは、こうした問題を解決する一つの方法であった。
それでも、海の中に姿を隠すことと対潜兵器の性能が不十分であったがために、第一次大戦時から第二次大戦中盤まで大きな戦果を上げてこられた。しかしながら、いつまでも敵がその跳梁を許す筈がなく、周知の通り連合軍側も優秀なレーダー・ソナー・ヘッジホッグ・磁気探知機・対潜哨戒機を開発して、潜水艦の発見率と攻撃能力を大幅に向上させた。
つまり、第二次大戦も半ばを過ぎた昭和18年ごろには潜水艦の攻撃力や隠密性は大幅にダウンしていた。そのため、Uボートの戦果もアメリカと日本が参戦して以降、輪をかけて下降線を辿り始めた。
もっとも、それで黙っているほどドイツ人は柔ではない。科学とは日進月歩であり、戦争は敵がいて何ぼである。敵が対抗策を講じるなら、こちらはさらにその裏を掻いて一歩先を行く、少なくともそれを目指すのが道理である。
ドイツ海軍も前大戦で最終的にUボートの戦果が乏しくなったことを忘れてはいなかった。その屈辱を何倍にしてお返しするのが今大戦であった。だから、連合軍がUボート対策を早々と打つであろう事ぐらい予測できていた。
そのため、大戦が勃発るするとUボートの技術者たちは既存艦の改良を行なって性能を限界にまで引き上げつつ、革新的な性能を持つ潜水艦の開発を急いだ。
ドイツ軍の新兵器開発の中には、明らかに成功の見込みのないものや用兵側の無定見さ故に開発が遅れたものが存在した。極めつけはどうみても、科学者の道楽や指導層の自己満足的な物まであった。こうした物の多くは当然ながら実現性が低く、例え実現したとしても対費用効果が全く成り立たない物であった。
そうした一方で、堅実な考えを持つ人や未来を見据えつつも常識の範囲内の思考を持つ人も当然ながらいるわけで、幸いなことにこの世界のヒトラー総統はそうした人々に理解を示す人(つまりはある程度の現実主義者)であった。
そのため、先に挙げた火葬兵器のような代物の多くは机上のペーパープランで終わるか、実験的な開発に留められた。その中でA6ロケットをはじめとして、細々と研究を続けながら10年後において開花した物もなくはなかったが、大方は先に記したように作らなくて良かったと言うのが妥当であった。
こうした無駄な兵器の開発が削られた分、堅実もしくは実現性が高く用兵から望まれている兵器の開発が促進された。その典型的な例が昭和18年後半から実戦配備された高性能なジェット爆撃機、長距離爆撃機、海軍の水上艦船、陸軍の突撃砲であった。
新型のUボートもその中の一つと言えた。ただし、XX1型は厳密にはそこまで革新的な潜水艦とはいえない。
当時のドイツ海軍ではさすがに原子力機関は無理であったが、ヴァルター教授の唱えた理論である過酸化水素を使用した、非大気使用システムを乗せた潜水艦を開発中であったからだ。
ただし、この所謂ヴァルター機関は確かに化学反応を用いることで機関に送り込む酸素を多く生産出来、潜航時間を長く出来るメリットがあった。しかし、その分の機関容積が余分に必要になる。また過酸化水素という、強い酸性の液体を使うのも腐食などの安全性の問題が出る。
加えて革新的な技術を取り込むと言うことは、新たに兵を熟練させる必要があるなど、直ぐに新兵器が必要と言う戦時下においては少しばかり無理のあるものだった。
もちろん使えないことはないので開発は続行され、後に実戦配備もされるのだが、それは本当に戦争の終わり間際のことで、ドイツ海軍潜水艦の有終の美を飾るだけに終わった。
ではXX1型はどういう点ですごかったのかと言えば、それはこれまでにない優秀な点を基本を発展させたのみにも関わらず持っていた点だ。
まず機関はこれまでと同じディーゼルプラス電池と言うオーソドックスな組み合わせだ。ただし、電池の容量がこれまでのUボートの実に3倍となったのが特徴である。当然ながら電池に蓄えられる電気の量が増えるのだから、潜航時間も増えることとなるし水中における出力も高くなる。
また船体の製作には大胆なブロック工法を導入し、在来型潜水艦よりさらに工数を抑え、生産性を向上させている。ドイツにとって幸いなことに、米英軍の爆撃機をこの時期は強力な迎撃戦闘機で抑え込んでいたので、このシステムを有効に活用出来た。
船体自体も、ヴェルター艦用に設計されていたものを流用している。実は電池を3倍に出来たのは、巨大な容積を必要とするヴァルター艦の特徴を生かした結果であった。さらにこの船体は後の時代の潜水艦に共通する水中抵抗を抑えた設計で、水中での速力16ノットを達成している。
おまけにこの流麗な船体は、被発見率を大きく下げるのにも貢献しているのだから恐れ入る。戦後米海軍が試したテストでは、米海軍の主力である「パラオ」級潜水艦が8ノットで出すレベルの音を、このXX1型は16ノットで出していた。つまり、2倍の速力で同程度の音しか出さない。
もっとも、確かにヴァルター艦に比べればオーソドックスな設計であったが、やはり船体構造を始めとして全く新機軸を採用していないわけではなかった。1年とか半年と言った長期間は必要ないにしろ、最低でも2~3ヶ月間は乗員を熟練させる必要があった。
この期間こそ、ドイツ水上艦隊が巡洋戦艦「シャルンホルスト」を犠牲にしながらも稼いだ期間であった。この間にこの新型Uボート第一期分12隻は大西洋やインド洋に比べて遥かに静かなバルト海で習熟訓練を行うことが出来た。
この世界ではドイツがソ連に参戦しておらず、ドイツ軍は東の敵を恐れることなく、連合軍との戦争を続けていた。
ちなみにそのソ連であるが、どさくさに紛れての中アジア方面からの侵攻が失敗に終わって以降は、表向き中立の立場を維持していた。
だがそれはソ連の野望が消えたことを意味しない。実はソ連はこの間も枢軸国(特にドイツ・イタリア)との関係を持っており、ヨーロッパへの不介入と食料や石油の輸出を行ないつつ軍事技術を取り入れていた。
この内陸上並びに航空技術のそれは著しい物があった。特に傾斜装甲と強力な主砲を採用したT34戦車やカチューシャ・ロケットなど、逆にドイツが欲しがった程だ。航空機もI16以降は凡作や駄作が続いていたが、Yak3戦闘機やⅠL2地上襲撃機などやはり欧米先進国並みの新型機を開発していた。
海軍についても、技術面では特に見るべき点はなかったが、ドイツやイタリアから技術や艦艇の購入を積極的に行い、さらにドイツやイタリアが諸外国で捕獲した艦艇まで買い込んでいた。もちろんこれらは即戦力になるとともに、ソ連の新型艦開発に役立てられた。
そのため、1944年初頭時点においてソ連海軍は3年ほど前とは見違えるまでに増強されていた。特に、ウラジオストック配備の太平洋艦隊は、新鋭巡洋戦艦「キエフ」を旗艦として大幅な増強をなされていた。
ソ連も南米諸国と同じく、連合国が不利になった場合は枢軸国として宣戦布告する腹積もりであった。特に、軍事力の増強がなった1944年頃はその意思が顕著に表れていた。そのため、日本(厳密には満州国)との国境線付近の軍隊を増派しつつあった。
このソ連の参戦をXX1型の竣工は勢いづけることとなった。
1944年2月、XX1型の1隻である「U2511」は、バルト海からフランス沿岸基地を経由して中部大西洋方面に出撃した。
出撃1週間後、同艦はイギリスへ向かう輸送船団を発見し、その静粛性と高機動力を持っての襲撃戦を行い、護衛駆逐艦1隻とタンカー1隻、貨物2隻をそれこそあっという間に撃沈してしまった。そして狼狽する敵残存護衛艦を尻目に、まんまとその海域を離脱した。
同船団には護衛空母がいたものの、潜航時間が長く潜航深度も深い「U2511」を撃沈できなかった。これまでのUボートと同じ性能と考えて哨戒にあたったことが仇となった。
また護衛艦艇も、当初は1隻のみの襲撃とは思わず周囲に散って捜索したのが、結果的に逃がす遠因となった。
しかも「U2511」の伝説は、その後もう1回襲撃を行い護衛空母「ブロック・アイランド」、駆逐艦1隻、商船3隻を沈めたことである。同艦は初陣にて撃沈9隻、合わせて4万5千tあまりを撃沈したのである。
これは久しぶりの大快挙であり、艦長のシュネー大尉は帰還後昇進と勲章授与と言う名誉を授かっている。
そしてこれ以後、再度のドイツUボートの快進撃が始まることとなる。
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