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真の海防  作者: 山口多聞
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戦線拡大 2

 昭和18年11月に陸海軍合同で開始されたイラン方面への攻勢作戦は、ホルムズ海峡で敵の機雷に触れ、さらに潜水艦の襲撃を受けた空母「蒼龍」他艦艇数隻の喪失と、航空機100機あまりの喪失を代償に、同方面の枢軸空軍基地に大損害を与え、陸軍部隊は大きく前進することに成功した。


 一方、近海防衛艦隊が新たに行なうこととなった喜望峰方面への護衛作戦は、開始早々大きな損害を被ることとなった。


 第一回目の任務は、セイロン島からインド産の製品を積んだ船団を喜望峰まで護衛するというものであった。同船団は貨物船を中心とする16隻あまりで、これを近海防衛艦隊の駆逐艦1隻、大型海防艦2隻、中型海防艦4隻、護衛空母「白鷹」が護衛する。


 護衛艦隊指揮官は近海防衛艦隊で駆逐艦艦長や巡視隊隊長を務めてきた老練の北里幸助大佐だった。旗艦は「松」型駆逐艦の「雛菊」である。


 ちなみに、大型海防艦という長距離船団護衛、ならびに悪天候下の捜索作業を想定して建造された艦で、大きさとしては「松」型に準じていた。ただし魚雷発射管はなく、対潜・対空装備に特化していた。対する中型海防艦と言うのは、従来型の1000t未満の海防艦のことである。


 さらに500t未満の極地用海防艦も計画されたが、こちらは後に海防艇となったため、小型海防艦と言う名称は使われずに終わった。


 同部隊は11月12日にセイロン島のコロンボ軍港を出向し、10ノットのスピードで西進した。


 この時期、セイロン島近海とセイロン島から東側の海域は基地から発進する対潜哨戒機、魚雷艇や駆潜艇の活躍によりUボートの活動は低調であった。


 しかしながら、そこより西側は枢軸軍がマダガスカル島を抑えている関係上Uボートや長距離爆撃機の活動が活発であった。この内Uボートは未だに懸念すべき材料であった。


 インド洋方面では、未だ最新式の音響魚雷やFat魚雷がつかわれた形跡がなかったものの、ドイツ海軍がいつ投入してもおかしくない状況であった。


 近海防衛艦隊ではこの点を懸念していたのだが、その悪い予測は当たってしまうのであった。


 出港3日目の夜、船団の左側を走っていた大型海防艦の「パラオ」が敵潜水艦らしき通信を傍受した。敵潜水艦が船団を探知し、仲間を呼び寄せている兆候であった。


 これを受けて北里大佐は直ちに全護衛艦と船舶に警戒を促すと共に、戦闘配置を下令した。さらに護衛空母の「白鷹」から対潜哨戒機の発進を命じた。


「白鷹」は護衛戦闘機と対潜哨戒機を合わせて18機搭載しており、機種は戦闘機が零戦で対潜哨戒機が夜間飛行も可能な練習機改造の「白菊」であった。


 同機は発進すると直ちに磁気探知機を使って、敵潜水艦の捜索を始めた。すると、30分後に最初の反応があり、爆雷を投下した。


 この時の戦果は夜間であったこともあり、判然としなかった。油や破片が浮いてもわからないからだ。


 その直後、船団右側を走っていた貨物船の1隻が船尾に被雷した。護衛艦と対潜哨戒機の注意が左舷側に向けられた隙を衝かれた形となった。


 貨物船は間もなく沈没し、付近の艦船が救助作業を開始した。


 北里少将は敵軍が群狼戦術を仕掛けてくると判断し、「白鷹」からさらに3機の対潜哨戒機を発進させ、さらに護衛艦に対して積極的な捜索を命じた。


 結果さらに1隻の潜水艦が対潜哨戒機によって探知され、爆雷による攻撃を受けて撃沈された。これはドイツ側も把握したので確実であった。


 しかし、その5分後にさらに貨物船2隻が被雷した。しかもまたしても船尾に。明らかに音響追尾魚雷によるものであった。


 この時、護衛艦隊は音響追尾魚雷用兵器である「フィクサー」をまだ装備していなかったため、対策の採りようがなかった。


 そのため護衛艦が付近海面への警戒を強め、敵電波探知から2時間後にようやく1隻をソナーで探知し、爆雷とヘッジホッグ攻撃を加えて撃沈した。


 ところが、その努力をあざ笑うかのような事態が起きた。空母「白鷹」の被雷である。同艦は左舷側に2本の魚雷(これは命中箇所からして通常魚雷)を受けて大破、激しく炎上して2時間後に沈没した。


 「白鷹」の撃沈で満足したのか、潜水艦はその後攻撃してこなかった。


 最終的に、船団はなんとか喜望峰に到達した。このまま貨物船やタンカーはさらに大西洋へと入り、北上することとなる。一方、日本の護衛艦隊はここでイギリスの護衛艦隊にバトンタッチする。


 最終的な被害は護衛空母「白鷹」喪失、商船3隻喪失、乗員と船員の死者300名を出した。加えて、「白鷹」に搭載されていた艦載機は1機残らず海に沈んでしまった。


 対するUボートの被害は、たったの2隻。その他に、1隻が爆雷攻撃で損傷していた。これを撃破として数えても、被害はたったの3隻。人員の損害は100名に行くか行かないか程度である。


 何より、当たり前のことだが3隻の商船が積んでいた数千tに及ぶ物資はすべて海の底へと沈んでしまった。たかが3隻、されどこの3隻の積荷は決して軽視できる問題ではない。


 船団を守れなかったばかりか、護衛空母「白鷹」を失った北里大佐は罷免も覚悟したが、幸いにも今回は敵が新型魚雷を使ったことなので不可抗力とされた。


 ただし、近海防衛艦隊を始めとするアラビア海方面で活動する部隊のショックは大きかった。この時点で、この方面の部隊には音響追尾魚雷に有効な「フィクサー」が1基もなかったからである。


 ちなみに「フィクサー」の原理は極々単純で、船尾から海中に音を流す装置を引っ張るだけのものである。


 後の時代には、1艦1艦のスクリュー音をインプットする所までに音響魚雷(ホーミング魚雷)は改良されるが、初期のものは単に音を追っかけるだけの物だった。


 そのため、別に音を出せば容易に回避できる代物だった。ドイツ海軍が必死こいて開発した(当初は発射した潜水艦のスクリュー音に向かってくるので大変だった)割には、その対策はシンプルだった。


 しかしながら、その装置がなければやはり危険なことに変わりはなく、近海防衛艦隊はそれまで音響魚雷に打つ手なしという、苦しい立場に追い込まれた。


 ちなみに、この方面に「フィクサー」が投入されたのは昭和19年1月で、この2ヵ月後のことであった。その2ヶ月の間に、実に駆逐艦1、大小海防艦3、商船7隻(日本籍のみ)4万2000t総トンを失うと言う大損害を追ってしまった。さらに撃破された艦艇もほぼ同数発生した。


 それに対して、この期間に失われたUボート(伊仏艦含む)はたったの6隻。


 日露戦争以来の教訓の下、シーレーンを守ることに専従してきた近海防衛艦隊の完敗であった。

 

 その後フィクサーが配備されたことと、長距離哨戒可能な基地航空機や飛行艇が配備されたおかげで、一時的にこの方面でのUボート被害は減った。


 しかしながら、今度はドイツ空軍の新型兵器である誘導弾がマダガスカル方面にも配備され、そちらによる被害も出始めた。


 近海防衛艦隊は新たに駆逐艦に各種海防艦、護衛空母「黒鷹」、「赤鷹」を送り込み、さらにそれらに翼の折りたたみ機構を改良した「烈風」を載せた。


 こうしてドイツ側が新兵器を繰り出せば、日本側も対策を施すと言うイタチゴッコが続けられた。


 この状況を打破するためには、少なくともアラビア海の制海権を取り戻す必要があった。そのためには、敵潜水艦と空軍の活動拠点となっているマダガスカルを攻略する必要があった。


 しかし、この時期マダガスカルには枢軸軍各軍の将兵8万に加えて、空軍機も600機近くが配備されており、とても日本の力では攻略不可能であった。


 年が明けて昭和19年2月を迎えると、戦況は再び混沌とし出した。ドイツ海軍が新型Uボートであるエレクトリック・ボートを投入したため、下火になったかと思ったUボート被害が激増しはじめたのである。


 この時までにUボートの穴を埋めるべく大西洋で暴れまわったドイツ水上艦隊は、英海軍の必死の防戦によって巡洋戦艦「シャルンホルスト」を喪失するなどの犠牲を出していたが、見事その任務を果たしたのであった。


 ドイツ海軍は水上艦隊をドイツ本土へと戻すと、新たに竣工した改「ビスマルク」級の「モルトケ」級(40cm砲搭載艦)を配備し、戦力拡充に努めた。


 これらの戦力を大元から破壊する戦略爆撃も、ドイツ空軍が優秀なTa152、Fw190D、Me262、He217を急速配備したため、思うように戦果を上げられず、それどころかB24やB17の性能不足が露呈する格好となり、米軍はB29の配備を急いだ。


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