第二次世界大戦 11
開戦以来、独海軍のUボートは英国をはじめとする各国の輸送船や軍艦を多数撃沈してきたが、さすがに第一次大戦の教訓があったおかげで1年もすると英国側の対潜能力も向上した。
一方ドイツも、やはり第一次大戦終盤に進歩した対潜技術でUボートが大打撃を被ったことを忘れておらず、Uボートの能力向上に全力を傾けた。特に新型の魚雷やエレクトリック・ボートの開発が急がれた。
そうした新技術開発を並行して、既存の潜水艦の能力強化も当然だが行われた。シュノーケルの開発や、レーダーの装備、エニグマ暗号装置の改良、電池の改良など、地味だが少しでも性能を上げる努力が行われた。また他国同様ドイツでも大きな欠落があった魚雷の起爆用ピストルの改良も、早い時期に行われた。
また戦術面でも、第一次大戦では結局取り入れられなかった群狼戦術が採用され、連合国輸送船団に打撃を与えている。
こうした艦の改良や新戦術は同盟国にも技術供与され、実施された。ドイツの同盟国となったフランス、また以前から同盟国であるイタリアもドイツほどではないが多数の潜水艦を保有しており、これらは地中海の制海権を奪取するのに役立てられた。
この時代、潜水艦の技術レベルはどこの国も大して変わらなかった。日本のように防音技術が遅れていたようなことこそあったものの、基本的な性能はどこの国も五十歩百歩であった。
そのため、基本的に艦の改良や新戦法の採用はフランスやイタリアでも行えた。それらを得た両海軍潜水艦は、英国地中海艦隊と北アフリカ戦線へ物資を運ぶ輸送船団に大打撃を与えた。特にソ連から石油が手に入り、艦艇の行動制限が緩和されたイタリア潜水艦はUボート同様の大活躍を成し遂げた。
1942年から43年の1年間が、在来型潜水艦が活躍できた最後の年代だった。これ以降は米国が大量に揃えた護衛空母と護衛駆逐艦の前に、在来艦の性能ではとても立ち向かえなくなってしまう。
そのためドイツ海軍は43年後半からエレクトリック・ボートを見切り投入するとともに、新型の音響魚雷やFAT魚雷を投入して対抗していくこととなる。
そして今回のトーチ作戦による迎撃は、在来型潜水艦にとってハイライトとなった。フランス海軍とイタリア海軍、少数だがドイツ海軍も混じった潜水艦隊は、味方空軍機の構成が終わった所で、一斉に攻撃に入った。
各艦は2〜3隻の集団となって、米英連合軍の輸送船団に襲い掛かった。
この戦闘は熾烈な物となった。米英輸送船団は潜水艦の攻撃に備えて多数の駆逐艦、コルベット、フリゲート、対潜トローラーを引き連れていたからである。しかも新兵器のヘッジホッグやスキッドを備えていた。
たちまち海上には多数の水柱が立ち上り、付近の海面は爆雷の爆発音に包まれた。
そんな状況下でも、フランスやイタリアの潜水艦艦長たちは勇敢に魚雷攻撃を敢行した。その結果肝心の兵員輸送船こそ2隻しか沈められなかったが、上陸船団を守っていた護衛空母3隻を搭載機ごと撃沈し、さらに2隻を大破させた。その他に駆逐艦4隻、護衛艦5隻を撃沈している。
もちろん枢軸群の潜水艦側も大きな代償を支払わされた。実に9隻が撃沈され、3隻が帰還後廃棄させられた。またその他の潜水艦も多数が損傷した。
また一部の潜水艦は離脱中だったフレッチャー中将の機動艦隊に襲い掛かった。こちらの戦果は空母「ワスプ」を3発の魚雷を仕留めて撃沈し、さらに戦艦1中破、駆逐艦1撃沈であった。
こちらも米海軍の猛反撃に遭い、潜水艦1隻が失われている。もっとも、空母1隻とその艦載機60機近くを海の底へと送り込んだのであるから、大戦果には変わりない。
この潜水艦による攻撃は薄暮攻撃となり、比較的短時間で終わった。しかしその損害は米英側にとってはとても無視できるものではなかった。特に致命的であったのが輸送船団を守る護衛空母が多数失われたことで、船団の上空援護がほとんどなくなってしまったことである。
ことここに至り、フレッチャー中将は作戦の中止を命令せざるを得なくなった。この命令を出したのは前記の潜水艦による被害もあるが、同時に行われたジブラルタル上陸作戦の苦戦や、フランス艦隊の急速接近もあった。
この時上陸部隊はまだ上陸をはじめておらず、船上で待機中だった。このため、いつでも撤退できる態勢にあった。
上陸予定だった兵士たちは不満であったが、フランスの戦艦が接近している以上ここに止まっている理由はなく、船団は先に離脱していた機動部隊を追う形で全速での遁走を開始した。
この撤退により、兵員輸送船はその護衛艦と共に現場海域を無事離脱できた。これは兵員輸送船の多くが高速客船の改装船であったことで、一部の船は30ノット以上、その他の船でも20ノット近い高速での移動が可能だったからだ。
逆に低速で20ノットも出ない護衛空母や旧式戦艦は不運だった。これらの艦艇は足が遅いことに加えて、救助作業を行い損傷艦を守っていたため最後尾にいた部隊がフランス艦隊に捕まってしまった。
この時フランス艦隊に立ち向かったのは戦艦「ネヴァダ」、「ペンシルヴェニア」、「オクラホマ」の3隻で、いずれも近代化改装を終えていたものの、主砲は36cm砲であり38cm砲艦のフランス艦隊に性能的に劣っていた。さらに数も3対4と劣勢だった。また付き従う艦艇も重巡2、軽巡1、駆逐艦5しかいなかった。
こうなると、もうどうしようもならない。米艦隊はフランス艦隊より勝るレーダーでもって勇敢な戦いをしたが、艦の性能で劣り数でも劣っている状況で勝つことなど出来るはずがなかった。
結果はフランス海軍の巡洋艦1隻、駆逐艦3隻を道連れに1艦残らずの全滅となってしまった。戦隊司令官のライト少将も旗艦「ペンシルヴェニア」と運命を共にして戦死した。
さらに米海軍の悲劇はこれだけに終わらなかった。ライト少将の艦隊が捨て身で逃がそうとした損傷艦もフランス海軍の高速戦隊に追いつかれてしまい、護衛空母2隻と駆逐艦2隻が失われた。
同部隊も勇敢に行動し、特に護衛空母の「ガード」は残存する高角砲と機銃で反撃を行い、さらに数少ない駆逐艦も魚雷を投射して駆逐艦1隻を撃沈している。
だがそうした戦果も、全滅してしまっては何の意味もないことであった。
結局、米英連合軍が画策した北アフリカ上陸作戦は枢軸海空軍の猛烈な反撃の前に大失敗で終わった。なんとかジブラルタルこそ確保したが、それも確保しただけで基地として再建できる目処は立たなかった。
アメリカはドイツを始めとする枢軸国の恐ろしさを改めて認識させられることとなった。ただし、アメリカ海軍にとって幸運だったのは確かに艦艇と航空機を多数失ったが、艦艇の損失自体は旧式艦艇や現在大量建造している艦艇で穴埋め可能な範囲で、また航空機もパイロットを多数養成しているので、3ヶ月程度で航空隊の再建が可能であったことだ。
もっとも、世論を宥めるのには相当な苦労を要することではあったが。
対する枢軸国側は多数の空母や艦艇を動員したアメリカの国力に恐怖した。今回の戦いに勝利し、各国の国民は沸き返ったものの航空機や潜水艦の損害は非常に大きな物であり、枢軸各国に大きな衝撃を与えた。
このためドイツでは今海戦で大きな効果があった誘導兵器の開発を促進させるとともに、新型機の開発がより促進された。また伊仏でも同様に新型機の開発と、新型艦艇の建造が進められた。特に空母の大威力をまたも目の当たりにした両国は、空母と艦載航空隊の整備を急ぐこととなる。
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