第二次世界大戦 10
北アフリカ上陸作戦、すなわち「トーチ」作戦は、まず米機動部隊による空襲から始まった。米英軍が要する空母艦載機の総数は560機。さらに護衛空母の艦載機が150機近くあった。これはアルジェリアとチュニジアに展開する枢軸軍機の総数を併せた以上の数だった。
対する枢軸軍側も当然だが迎撃行動に出た。Do520、MS406と言ったフランス軍戦闘機や、進駐していたドイツ空軍やイタリア空軍の戦闘機も迎撃に発進している。
米軍側戦闘機は、その国力に物を言わせて短期間に更新を終えたF6F「ヘルキャット」戦闘機であった。性能的に見れば、Me109やFw190に少し劣るかほぼ同等、イタリアやフランス空軍機に混じる旧式機相手なら充分に圧倒できる性能だった。
しかしながら、ドイツは言うに及ばず、フランス・イタリア軍パイロットもアメリカ軍パイロットにはない強みを持っていた。それはかつて北アフリカから中東にかけてロイヤル・エアフォースとの間で繰り広げた過酷な戦いにおいて蓄積した実戦経験である。
対する米軍は確かに古参パイロットも混じっていたが、実戦経験のあるパイロットはほとんどいなかった。第一アメリカ海軍自体、この作戦が第二次世界大戦における初めての本格的で大規模な戦闘であった。
米軍がその数に物を言わせて行った空襲はそれなりの効果を上げた。しかしながら、米軍側も枢軸軍機や対空砲火も熾烈で、実に出撃機の3分の1が失われるか損傷するという大損害を受けてしまった。
この大損害に、米機動艦隊司令長官を任されたフレッチャー中将は迷った。航空攻撃を継続するべきか、それとも一時的に中止するべきか。もっとも、中止という選択肢は採り難かった。何せ今回の作戦はアメリカ国民も期待しているし、イギリスへの政治的パフォーマンスの意味も大きかったからだ。結局フレッチャーは第二次派攻撃隊を出撃させている。
一方、対する枢軸連合空軍も反撃に出た。空襲の間避退していた爆撃機を呼び戻し、爆装させて出撃させたのである。ただし、機首としては旧式機が多く、護衛戦闘機も不足していたが。それでも数は少ないが最新鋭のドルニエやユンカース爆撃機は、やはり最新鋭の「フリッツX」を抱いていたのでその効果を期待されていた。またフランス空軍機も新鋭のポテやブロッシュ爆撃機、ラテコエール雷撃機を中心に出撃している。
そしてこの枢軸空軍による攻撃は、米英軍の度肝を抜く事態となった。米英軍にとって、それまでの航空攻撃というのは急降下爆撃か雷撃と言った、艦艇に接近しての肉薄攻撃であった。フランス軍はこの方法で攻撃を行ったが、米英軍の熾烈な対空砲火で多数の損失を被った。
ところが、ドイツ軍が用いた「フリッツX」は比較的離れた場所から投下され、誘導される兵器である。そのため艦艇に搭載された対空火器の効果が限定される。幸いにもこの時は直援戦闘機を多数上げていたので、投下前に多くの機体を撃墜破出来た。
それでも完全に防ぎきることなどできず、4発が発射され3発が艦艇に命中した。この内2発が空母「ヨークタウン」に命中し、格納庫に飛び込んだ1発によって同艦は大爆発を起こし、1時間後に沈没した。アメリカ軍初の艦艇喪失である。加えて軽巡洋艦「アトランタ」が前部対空砲塔全滅により大破という損害を被った。
またフランス軍による通常攻撃もそれなりの戦果を記録し、戦艦「ワシントン」を中破させ戦線離脱に追い込み、その他に重巡「サンフランシスコ」と駆逐艦2隻を撃沈した。
この攻撃による被害は全体的に見れば微々たるものであったが、対空砲火が用を為さず、さらに「ヨークタウン」沈没という予想外の被害を見たフレッチャー中将は、第二次攻撃隊を収容した所で、護衛空母を除く空母を一時的に後退させる命令を下した。
上陸を前にしてのこの行動はもちろん海兵隊や英軍から反発を受けた。しかしながら、艦載機と空母の被害も既に大きく成りつつあり、さらに一時的に安全圏へ避退するだけで航空支援は継続するとして、フレッチャーは上陸支援艦隊を率いる司令官らを説き伏せた。
そして彼は空母とその護衛艦を一時的に枢軸空軍爆撃機の行動圏外へと離脱させた。しかしこれが後に悲劇を招いた。
丁度その頃、フランス海軍の艦隊は米艦隊との決戦を目指して西進していた。最新鋭戦艦「ガスコーニュ」を旗艦にツーロンを出港した部隊で、戦艦4、軽空母2、重巡5、軽巡3、駆逐艦25隻から成る有力な打撃艦隊であった。司令官は本国艦隊司令長官のデスタン中将だ。
米英連合艦隊に比べると、空母が少ないというハンデこそあったが、砲撃力だけ見れば充分に対抗できる実力を有していた。
フランスはドイツに降伏した直後、北はドイツ占領地域、南はヴィシー・フランス政府管理地域に分割されていたが、その後枢軸国側に立って参戦することで、ドイツ軍とイタリア軍の駐留という代償を払ったものの、占領地域の返還がなされて軍備の再建も許可された。特に海軍力と空軍力は、ドイツの後押しもあって急速に進められた。
空母は今の所中型の「ジョフレ」(現在アラビア海へ派遣中)と商船改造の3隻、さらに建造中の「ペインヴェ」のみであるが、戦艦は38cm砲を8門持つ「リシュリュー」級が竣工したもの3隻、建造中のもの1隻がある。また重巡・軽巡・駆逐艦・潜水艦も新鋭艦の建造が急ピッチで進められていた。
こうしたこともあってか、フランス海軍の士気は旺盛だった。
フランス人からしてみればナチスのことは気に入らないが、もともとイギリス人だって気に入らない相手であり、一時的に手を組んだに過ぎない。そして現在ヨーロッパの覇権をドイツが取りつつあるので、今度はドイツと組んでいるだけである。
ドイツ他の枢軸軍がこうして勢いを未だ持っていられるのも、ソ連と同盟関係を維持しているのと、中東や北アフリカにある資源を握ったからに他ならない。
この輸送ルートを守る上で、連合軍に再び地中海へ上陸されることは大変厄介なことであった。またフランスからしてみれば、既に海外植民地の一部を失っている現状で、これ以上奪い取られることは国民感情的にも、枢軸国内における地位を守る上でもマズイ。
そのためデスタン中将率いるフランス本国艦隊は、なんとしても連合軍の上陸を阻止、もしくは上陸させてもその維持が不可能なほどの損害を与える必要があった。
もっとも、幾ら戦艦を何隻持っていたところで、制空権を取らなければ海戦に勝てないことは、これまでの戦いが証明していた。デスタン中将も良く心得ていた。
そこで彼は、空軍部隊が敵空母部隊もしくは艦載飛行隊に大打撃を与えて機動部隊の動きを封じるその瞬間を待っていた。また出撃しているUボートや伊仏潜水艦による攻撃の効果にも期待していた。それらによって、米英機動艦隊の動きを封じれば、少数の直援機しか持たないフランス海軍もアルジェリア沖に突進できる。
そしてついに米軍による北アフリカへの空襲開始の方が入る。彼は艦隊を一時的にシチリア方面に待避させて敵偵察機をごまかし、突入の機会を窺った。
この日の空襲で、アルジェリアとチュニジアにある飛行場の幾つかは損害を被ったが、敵攻撃隊にも被害を与えたことも確認された。また上陸予定地点に対する空襲は散発的で、あるという報告ももたらされた。
米英軍の予定では、本来なら午前中の空襲で制空権を奪取し、午後から上陸地点へ空襲と艦砲射撃を加える予定であった。ところが、枢軸空軍の思いもよらぬ奮戦は、そのスケジュールを完全に狂わせていた。そしてそれはフランス海軍に味方した。
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昨日架空戦記作家の中里融司先生がお亡くなりになったそうです。自分も先生の作品を何本も読み、昨年のIFCONでは元気な姿をお見かけしただけにショックです。御冥福をお祈りします。