第二次世界大戦 7
インド洋における2度目の大海戦は、日本海軍の偵察潜水艦が、枢軸インド洋艦隊がジブチ軍港を出港し、一路東進したという情報を発信したことから始まった。
この情報を受けたセイロン島の日本海軍インド洋派遣部隊総司令部では、この艦隊の目的は航空機による補給線への攻撃、もしくは揚陸港の破壊と判断して、ただちに第7艦隊を出撃させている。
空母「飛龍」を旗艦として、正規空母2、軽空母4からなる第7艦隊は、前回枢軸艦隊を壊滅させた第3艦隊より空母の数こそ勝るものの、搭載機では若干少なかった。これは軽空母の搭載機が48機〜30機と少なかったからだ。これら軽空母は「飛鷹」級と「瑞鳳」級で、前者は客船改造、後者は給油艦改造の改造空母だった。だから性能的には正規空母より見劣りする。
それでも、搭載機は最新鋭の「零戦改」、「彗星」、「天山」であり、艦艇も艦載の高射指揮装置や電探も一部が新型となり、対空戦力が強化されていた。だから総合的な戦力(機動艦隊としての能力)では第3艦隊を上回っていた。
「零戦改」は改良に限界が来ていた零戦に、それまでの1000馬力の「栄」に代えて1500馬力の「金星」エンジンを搭載したタイプで、航続力と旋回性能が落ちたものの最高速度と攻撃力、急降下性能、防御力を大幅にアップさせた機体だった。
「天山」はようやく完成した97式艦攻の後継機で、100kmも優速な上に1t爆弾や1t魚雷が搭載可能で、97艦攻をあらゆる面で上回る性能を誇っていた。一部の機体には、機上電探も搭載され高い索敵能力も持ち合わせていた。
これらの機体はいずれも高速、重防御(あくまで日本的視点で)、高い攻撃力を持つ新世代機であった。その分機体重量やサイズもアップしている。
日本海軍では幸いにも、英国からカタパルトの技術を購入できたため、これらの機体を軽空母でも運用することが出来た。
対する枢軸インド洋艦隊は最新鋭の空母に加えて、竣工したばかりの「エトナ」級防空巡洋艦を加えている。「エトナ」級はタイよりイタリアに発注されていた「タクシン」級軽巡をイタリア海軍が接収し、改造した艦である。対空砲や対空機銃をそれまでのイタリア巡洋艦より強化している。
イタリア海軍の艦艇はフランス海軍を仮想敵としており、さらに地中海での運用を前提としたため高速ではあるが、航続力が短く航洋性能も低かった。なにより防御力が弱いという致命的な弱点があった。
そうした運用方針を抜きにしても、イタリア軍は国がファシスト政権下に移行した以降も軍の近代化が大幅に遅れていた。特に空軍と陸軍は、旧来の考え方に縛られた上層部と貧弱な工業力のために、開戦直前までとても戦えるような状況ではなかった。
ドイツがポーランドとの戦争を始め、ムッソリーニがドイツと共に戦うことを考慮し始め、軍の内部を調べさせた時になって、ようやくその事実が発覚した。もちろん、彼は軍の幹部連中を呼びつけて怒りを露にした。
「君たちは一体何をやっていたのだ!?」
時に1940年4月のことであった。ムッソリーニが尻を叩いたことで、ようやく軍の大幅な近代化が行われ始めた。ムッソリーニしてみれば、エチオピアとの戦争で起きたことを思い出したのであろう。
この数年前、イタリアはアフリカでも数少ない独立国であるエチオピアに侵攻、占領した。しかしながらイタリア軍は旧式兵器しか持たない前近代的なエチオピア軍に苦戦し、最終的に禁断の毒ガスまで使っている。
これは兵士の質が悪く、総司令官の作戦指揮によるミスも大きかったが、やはり敵を圧倒できる兵器がない(この時期イタリア製の兵器、特に戦車の性能は日本製以下だった)と言うもの大きかったであろう。
もっともいくら統領が怒ったところで、イタリアの場合はドイツと違ってその上に王様がいるため、どうしてもカリスマに欠ける。だから命令を出しても進捗スピードが遅い。
イタリアにとって幸いだったのは、第二次世界大戦の開戦が当初ドイツの考えていたものより半年遅れとなったことで、これによりイタリア軍もドイツ軍と同じく、規模としては遥かに小さかったが近代化を推し進められた。特にドイツのベンツ社から輸入した液冷エンジンを基にライセンス生産したアルファロメオエンジン搭載のMC202戦闘機の生産が可能となったのは僥倖だった。
そして第二次大戦が始まるとイタリアはしばらく戦争に介入しなかったが、ドイツがフランスを屈服させる寸前に、勝ち馬に乗る形で枢軸側として参戦した。そしてその時は、ようやく数が揃い始めた新兵器を集中投入した。おかげで相変わらず兵の士気は低かったが、なんとかボロ負けというような事態にならず、新兵器の能力も充分と判断できた。
その後、ドイツと共に条約を結んだソ連から石油や鉄鉱石が送り込まれているお陰で、イタリア軍はそれなりに活発な行動を行い、枢軸国の主要国としての印象を諸外国に与えていた。
集団行動が不得意だの、ヘタリアだの言われているイタリア人であるが、ちゃんと補給さえあればやるとことぐらいはやるのだ。
そんなイタリア軍の中で、海軍は戦前から比較的強力であった。特に戦艦の数と性能はフランスやイギリス地中海艦隊に見劣りしなかった。しかしながら、先ほど書いた問題に加えて、空母は保有していなかった。一応ワシントン条約の際も、空母の保有枠はあったのであるが、当時のイタリアではそんな物不要とされていた。
しかし第二次世界大戦が始まると、イギリス海軍の航空母艦が地中海で猛威を振るった。特にイタリア海軍の誇る戦艦や巡洋艦、さらには補給物資を運ぶ輸送船を次々とその機動性を生かして攻撃した。
幸いだったのは、その攻撃力の一部をフランス海軍が吸引してくれたので、イタリア海軍には致命的な打撃が出なかったことだ。
それでも、大西洋と地中海の戦いを通して空母の威力は枢軸海軍の知る所となり、ドイツでは「グラーフ・ツェッペリン」と商船改造の補助空母の建造が急がれた。またフランスでは唯一の空母である「ベアルン」に続いて、建造途中状態であった「ジョフレ」の完成が急がれた。
一方イタリア海軍はというと、元々空母の建造どころか設計経験すらなく、一からの新造を行っている余裕はなかった。そこでドイツを真似て商船改造空母で行くことにした。
幸いにもイタリアは戦前ヨーロッパとアメリカ間に就航させていた大型客船が、使い道が無い状態で、内陸部の港に係留されていた。これらはサイズも大きく、速力も速かった。
空母に改装するのに打ってつけの船だった。
さっそくイタリア海軍はそれらを徴用して空母へと改装した。その設計などにはドイツから提供された技術が生かされた。
結果生まれたのが「アキラ」と「スパルビエロ」で、どちらとも最高速力は30ノットを誇り、航空機も50機近くが搭載可能であった。商船構造であるため防御力に難点が残る以外は、満足いく性能と言える。
その搭載機は艦載用として採用されたRe2001艦戦に、ドイツから輸入した艦載用「スツーカ」急降下爆撃機、そしてフランス製のラテコエール299艦攻だった。
艦戦こそ最新鋭だが、艦爆と艦攻は旧式機の改良型であるため、性能的には日本機に及ばないが、それでも無いよりマシだ。
ちなみにフランス空母は艦戦と艦攻のみを搭載し、艦戦はドイツから輸入したFw190の艦載タイプであった。
これら合わせて140機が枢軸インド洋艦隊の総合計戦力だった。日本艦隊より少ないとは言え、対地攻撃や輸送船団襲撃だけなら充分すぎる数であった。
御意見・御感想お待ちしています。