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真の海防  作者: 山口多聞
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第二次世界大戦 3

 角田中将率いる機動部隊の後方に位置する補給艦隊は、Uボートの襲撃を受けていた。Uボートは補給艦隊に対して日中戦争で学んだ群狼戦術を行おうとした。


 しかし日中戦争とノモンハン事件前後のソ連海軍との戦いで対潜戦闘をみっちりと行って来た日本海軍がそれを許すはずが無かった。


 随伴する護衛空母からは入れ替わり立ち代りで艦上対潜哨戒機である「北海」が飛び立ち、新兵器の磁気探知機を駆使してUボートの頭上に爆雷を叩き込んだ。


「北海」は木製99式艦上爆撃機「明星」の改良機のことだ。元々日中戦争とノモンハン事件以降にパイロット数を増やす必要に迫られ、当然練習機も増やさなければならなくなったわけだが、練習機にアルミを使うのはもったいないということで、一部の機体の木製による試作が行われた。


 口で言うのは容易いが、実際第一次大戦レベルの機体ならともかく遥かに高速で飛び、機体に負荷がかかるこの時代の機体を木製にするは並大抵のことではない。当初は戦闘練習機や双発練習機も木製が検討されたが、日本の場合この手の研究は充分ではなく、純粋な練習機である「白菊」は順調であったが、それ以外は一時期暗礁に乗り上げた。


 99艦爆を木製化した「明星」も、完成こそしたが過重に加えて強度不足が発生した。


 これだけであったらそのままお蔵入りであったが、これを助けたのが同盟国となった英国で、同国から供与された木製航空機の製造技術(英国では木製戦闘機「モスキート」が開発されている)によって、木製99艦爆の改良が行われた。


 その結果重量は軽減され、新型接着剤によって強度も増した。おかげで操縦性能と運動性能は向上し、速力など一部の点ではオリジナルの99艦爆よりも高くなった。


 しかしながら、最終的に重い爆弾(250kg以上)を抱えての急降下は危険と判断され、降下角度に制限が加えられた。それでも演習用爆弾(30〜60kg)なら急降下可能なので、そのまま練習用艦爆とされた。


 そしてこの機体は複座でペイロードにも余裕があるということで、近海防衛艦隊では護衛空母用の艦載対潜哨戒機として採用することに決定した。


 なお同じく木製の練習機「白菊」も「西海」という名で基地用近距離対潜哨戒機(沿岸哨戒機)として採用されている。


 そしてこれら機体に装備が始まっていたのが、日本独自の対潜電子兵器であるMAD(磁気探知機)であった。同兵器は水中にいる敵潜水艦の磁気を探知して警報を鳴らす装備で、レーダーでは遅れている日本が米英を驚かせた珍しい電子兵器となった。


 この時点では配備が始まったばかりで数も少なく、初期故障に悩まされていたがそれでも作動さえすれば効果的面であった。


 結果3隻グループで攻撃を仕掛けたUボートも、1隻が「北海」搭載の磁気探知機に発見され爆雷攻撃を受けた。この攻撃は、撃沈こそならなかったが艦隊への攻撃を頓挫せざるを得なかった。


 また他に1隻が潜望鏡深度に達した所を発見され、やはり攻撃を中止した。しかし残る1隻はベテラン艦長の采配を持って対潜哨戒機の網を潜り抜け、艦艇の探知を巧みに避けて射点にまで達した。


 同艦からはタンカー目掛けて4本の魚雷が発射された。この魚雷の内1本がタンカー「あらびあ丸」の船首に命中した。


「あらびあ丸」はこれによって船首を大破し、最大船速発揮不可能となった。幸運と言えたのはすでに数回の給油で艦内の重油が減っており、引火を避けられたことと船首を深く沈めたが沈没には至らなかったことである。


 もちろんこの報復はただちに随伴の護衛艦艇と、爆雷を残していた対潜哨戒機によって行われ、そのUボートは凄まじいまでの爆雷攻撃を受けた。


 それでも同艦は無事に同海域を離脱し、見事やられっ放しだった枢軸海軍の面目を取り戻している。


 もっとも、最終的に独海軍がこの時上げた戦果はなかった。その後も数回Uボートが接触して攻撃を試みたが、ただでさえUボートの配備数が少ないインド洋において、補給艦隊に行ったような群狼戦術を行うのは至難の業で、いずれも1隻ずつが散発的な攻撃を行うに止まり、戦果は巡洋艦「四万十」に魚雷1本が命中して小破したのみであった。


 その後角田中将率いる機動艦隊はマダガスカル島への反復攻撃を実施した。特に航空基地に対しては猛烈な攻撃を加えた。またソコトラ島やジブチに対する空襲も実施された。


 同艦隊が複数回の攻撃を行えたのは、後方に補給艦隊を従えて弾薬と燃料の補給を受けられたことと、帰路についてはセイロン島のトリンコマリーでの寄港が英国との間で取り決められていたからだ。


 同艦隊はそれこそインド洋に発生するサイクロンのごとく暴れ周り、最終的に撃沈破した艦船は40隻近くに上り、さらに撃破した航空機も実に400機近くに達した。


 対する日本艦隊の被害は航空機40機と、艦船が空母「翔鶴」大破、「加賀」小破、巡洋艦1、駆逐艦1、タンカー1損傷であり、艦船の撃沈が無かった点を考えれば一先ずの勝利であった。


「翔鶴」の大破はトリンコマリー入港直前にドイツ軍が撒いた機雷に触れたもので、そのショックで燃料が漏れ出して引火してしまい、艦後部がほぼ全焼した。おかげで同艦はこの後3ヶ月近くドック入りを余儀なくされた。「加賀」の場合は敵機の空襲による至近弾による破片が原因だった。


 これに伴い「翔鶴」は一端日本本土へと回航され、代わりに「蒼龍」が日本から派遣されている。また近海防衛艦隊も一部の部隊を増派するとともに、シンガポールからセイロン島へと前進させている。


 こうした犠牲を払ったものの、マダガスカルを始めとする枢軸海軍のインド洋方面進出の拠点はいずれも大打撃を受け、最低でも2ヶ月は使い物にならないと判断された。また艦隊を始めとする艦船、さらには航空機の損害も回復までに時間が掛かると判断された。


 ただしこれについては、些か過小評価であった。何故ならインドと中東への野望むき出しの枢軸各国はこれらの損害の復旧を全力で行い、1ヵ月後には全開ではないがマダガスカルの基地機能は復旧している。


 艦隊も英国地中艦隊より拿捕した艦艇や、独仏伊海軍より新たに引き抜いた艦艇を再編成して派遣している。当然航空機も日本の長距離飛行可能な機体に対抗してドロップタンクを搭載可能にした新型機を重点的に配備している。


 またこの海戦は高速機動艦隊の有用性を世界にまざまざと見せつけ、この2ヵ月後には米海軍が北アフリカへの上陸作戦の陽同作戦で大成功を収めている。ただし、本命の上陸作戦が散々に結果に終わったことで、評価は今一となるが。敵方の枢軸海軍も、独仏伊で急遽商船改造の空母数隻の建造が促進されている。これらの国では大型の豪華客船が係留されていたので、直ちにそれらを流用できた。


 そしてそれまで米英海軍から疑念の目で見られていた日本海軍の対潜技術は、独Uボートを圧倒とはいかないまでも、互角に戦えるだけの力を持っていることを両国に証明する戦いともなった。


 この海戦の結果を受けて磁気探知機の量産と航空搭載の促進が決定され、艦載機のみならず基地航空隊にも急速に普及した。そして同装置は米英海軍にも売却(対価として米海軍はレーダーを、英海軍はヘッジホックを日本海軍に供与)され、両海軍の対潜攻撃技術を大幅に引き上げている。

 

 一方のドイツ海軍も、日本海軍にUボートをたて続けに撃沈されたことが余程ショックだったらしく、新型のワルター機関搭載Uボートの建造を促進させている。


 連合国海軍と枢軸海軍による海の攻防は、より熾烈さを増しつつあった。


 


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