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真の海防  作者: 山口多聞
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第二次世界大戦 2

 1942年9月、仏印方面での作戦を終わらせた日本海軍はインド洋における本格的な作戦を始動させた。その最初の攻撃目標(攻略目標ではない)はインド方面への独軍の最大拠点であるマダガスカル島海軍基地を撃破することであった。


 この時点で、アジアへの進出を図る独仏伊連合軍は各方面へ部隊を進めて拠点を作っていた。紅海の入り口であるジブチやソコトラ島がその筆頭に挙げられ、いずれもUボートや空軍機の拠点となりつつあった。


 また日本海軍がその最初の攻撃目標としたマダガスカル島は枢軸軍が占領して以降、水上艦隊の拠点となっていた。またナチス・ドイツが進めるユダヤ人迫害政策の流刑地という色合いも強められていた。


 そしてそのマダガスカル島に駐留する艦隊は戦艦4、軽空母2、巡洋艦10、駆逐艦20と3国に所属するため連携にかける点を除けば非常に強力であった。また基地に展開する航空機も足の短い機体が多いものの、3国合わせて300機あまりであった。


 これに対して同島攻撃に向かった日本海軍の第3艦隊は新たに増援を含んでいたものの、巡洋戦艦2、空母6、巡洋艦6、駆逐艦16と艦数だけ見れば劣勢であった。しかしながら、航空機の数で見れば6隻の空母に積まれた総合計機数は390機近くに達しており互角であった。


 また日本海軍は反復した航空攻撃が可能なように、後方に補給艦隊を進出させていた。具体的には本土から随伴してきた護衛空母2、護衛巡洋艦1、護衛駆逐艦2、海防艦8の計13隻の護衛艦に守られた給油艦4、補給艦3であった。


 補給艦隊の護衛艦隊は連合艦隊ではなく、新設の海上護衛艦隊の艦艇で編成されていた。これは同艦隊が速力の遅い艦艇で編成されていたことと、対潜戦闘のノウハウを持つ同艦隊が信頼されている結果だった。


 なお護衛する対象よりも護衛艦が多いのは、ひとえに枢軸軍の高い実力と給油艦の持つ重要性の結果だった。日本海軍では平時に戦時の艦隊随伴給油艦として活動できるタンカーを船会社に持たせて、戦時に徴用することで給油艦の不足を補おうと考えていた。


 ところが、実際に戦争が始まると当初の予想を遥かに超えた遠い地での作戦行動を求められ、給油艦はすぐに不足することとなった。そこで急遽アメリカから中古のタンカーや給油艦を買い取って、新造船が出来るまでの繋ぎとしていた。


 アメリカが敵対国から一転して、共通の敵と戦う半同盟国(同盟国と呼ぶ程関係は良くない)になったのは日本側にとって僥倖であった。同国の生産力は半端ではないからだ。


 例えば、アメリカは後に第二次世界大戦の期間を通して実に2700隻近い戦時標準船であるリバティー船を作っている。この数は日本が第二次世界大戦に参戦した時に保有していた大中小型全ての商船の数以上である。しかも、その性能も非常に高かった。


 これだけではなく、護衛空母や護衛駆逐艦もマスプロしつつ正規空母や戦艦を多数建造している所が、アメリカの底力を如実に示していた。


 対する日本は本土・朝鮮・台湾・さらには満州国や関東州の造船所を合わせてもその半分に達せられれば良かった。しかもその質も同等に出来れば良い方で、実際の所は多くが粗製乱造に近かった。特に戦時標準船はそうであった。


 こうした現実を、日本はアメリカから大量に購入した船舶や航空機、車両から学び取ったのである。

 

 閑話休題。


 さて、そうして発動されたマダガスカル島攻撃作戦であったが始まった途端からアクシデントに見舞われた。まずシンガポールを出港し、スンダ海峡を抜けた所でUボートによって補給艦隊が発見された。そのUボートはすぐさま対潜哨戒機によって発見され撃沈されたが、位置を報告されてしまった。


 ただしこの時点では、枢軸軍側はこの部隊がセイロン島へ向かう輸送船団であると考えていた。そのためマダガスカルの海軍司令部が発した命令では、Uボートによる群狼戦術による襲撃と、付近を航行中の仮装巡洋艦に対する警告であった。


 ところが、その翌日になんと今度は補給艦隊の前方100kmを航行する機動部隊本体がドイツ仮装巡洋艦「トール」と接触する事態が起きた。この時はすぐに上空直援の零戦が機銃掃射で同艦の無線マストを破壊し、さらに巡洋艦2隻が砲雷撃を加えて撃沈したから無線を発せられることはなかった。


 だがこうした事態の連発は、機動部隊司令官の小沢中将に自然と不安を抱かせた。

 

 そして翌日、いよいよマダガスカル島攻撃作戦がスタートした。6隻の空母は夜明け前から零戦22型、艦上爆撃機「彗星」、艦上攻撃機「天山」からなる合計184機の第一波攻撃隊を発艦させた。さらに30分遅れで約120機からなる第二派攻撃隊を発進させた。


 その攻撃目標は、枢軸水上艦隊の拠点であるディエゴ・スワレス軍港とその付近にある飛行場であった。


 攻撃隊は軍港手前150km地点で独レーダーに捕捉された。それに伴い、付近の飛行場からDo520、MC202、Me109E戦闘機が次々と離陸した。その合計は約60機である。


 これら邀撃戦闘機と護衛の零戦隊との間で激しい空中戦が軍港上空で発生した。しかしながら、この勝負は圧倒的な日本側の勝利で終わった。まず数の上で日本側が勝っていた。さらに性能面でも枢軸軍機は零戦に太刀打ち出来なかった。


 零戦22型はエンジンを「栄」から一回り大型で馬力が1,5倍の「金星」に乗せ換えていた。そのため既に型落ちが目立つ枢軸軍機を圧倒することが可能だった。もし枢軸軍側が零戦に勝とうと思うなら、せめてMe109のGタイプかMC205を持ってくる必要があった。


 戦闘機隊の妨害を受けることなく、攻撃隊は停泊している枢軸艦艇群に襲い掛かった。既に何隻かは機関を始動させ緊急に出港に掛かっていたが、たちまちの内に捕捉された。


「全軍突撃せよ!!」


 隊長機である村田少佐機から発進されたト連れの電信を受けて、「彗星」が急降下し、「天山」が雷撃高度へと降下した。


 もちろん独仏伊艦艇は砲門を開いて応戦した。しかしながら、日本機の動きは彼らの想定外だった。


「早い!!」


 枢軸軍艦艇のこれまでの敵であった英海軍の機体は戦闘機を除いていずれも性能が低かった。その速度に対する対空戦闘に慣れきっていた彼らは、最高速度が遥かに速い「彗星」や「天山」の動きについていけなかった。


 そして日本側はそれに構わず容赦ない攻撃を開始した。まずフランス空母「ベアルン」が500kg爆弾4発の直撃を受け吹き飛んだ。続いてイギリス空母「イラストリアス」を拿捕して改名した「マルク・グラーフ」が「天山」の投下した魚雷の直撃を受けて転覆した。


 最優先目標の空母の攻撃が終わると、攻撃隊は戦艦と巡洋艦に攻撃を集中し、4隻の戦艦はいずれも大破着底に追い込まれ、6隻の巡洋艦も大なり小なりの損傷を負った。


 さらに付近にあった飛行場も攻撃を受け、艦載機用と邀撃戦闘機用の飛行場が壊滅した。


 第一波攻撃隊は大戦果を上げると母艦へと引き上げた。損害はたった10機のみであった。対する枢軸軍側は惨憺たる被害だった。艦隊は壊滅し、航空機の被害も楽に100機を上回った。


 そこへ今度は第二派攻撃隊が襲い掛かったのだから、もはや目も当てられない状況となった。第一波攻撃隊で無事であった艦艇も軒並み被害を受け、さらに港湾施設も徹底的に破壊された。


 こうして日本海軍機動部隊によるマダガスカル攻撃作戦は大成功を収め、枢軸艦隊は一時的にせよ壊滅した。


 一方日本海軍側はすぐにはこの戦果を喜べなかった。何故なら補給艦隊がUボートととの熾烈な戦闘に入っていたからだ。



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