第二次世界大戦 1
1942年4月、唐突に第二次世界大戦に参入した日本であったが、この時点においては対独参戦したのみであったので、直接国境を接するソ連とは緊張しつつも平穏であった。
そのため、戦争状態に入ったものの日本本土とその周辺は、実際の所至って穏やかであった。
しかし、独伊を始めとする枢軸軍の魔の手は直ぐそこにまで迫っていた。ドイツ軍は英東洋艦隊を撃破すると、そのままセイロン島を攻略する動きを見せた。これは非常にマズイ事態であった。
万が一セイロン島をドイツ側が占領すると、そこを基地としてUボートを始めとするドイツ海軍が一気に南シナ海方面へ攻勢を掛けてくる可能性があるからだ。そうなると、日本の物資輸送は完全とは言わないまでも脅威にさらされるし、また現在は孤立している仏印への連絡ルートを開かれてしまうかもしれない。
仏印はフランスの対英宣戦布告のために孤立こそしていたが、いまだフランスの占領下にあった。これは英国が軍を進めるだけの余裕がなかったからだ。英軍では中東や中央アジア方面への防衛作戦のためにアジア方面の軍から戦力を引き抜かれ、さらにインド兵がドイツの宣伝に感化されて離反する例が相次いでいた。
だからもし、英国が敵のみの状態であり、独伊仏の3国が本気を出せば、インドより先にセイロン島とシンガポール・マレー半島を電撃的に落せたかもしれない。
しかしながら、生憎と独伊仏は陸軍国家であるから、マダガスカルを攻略して、英東洋艦隊を撃破したところで体力切れとなった。いくらソ連に攻めなかったとはいえ、もともと船の数に限りがあるのだから当然と言えば当然の帰結であった。
そのため独仏伊では急ピッチで海軍力の強化に望んでいた。特に水上艦隊においては、英地中海艦隊より拿捕した艦艇を修理し、新造艦も間もなくイタリアの「アキラ」級航空母艦の1番艦「アキラ」が竣工間近であったし、ドイツでも改「グラーフ・ツェッぺリン」級の「リリエンタール」の建造が着々と進んでいた。
もちろん潜水艦も在来型Uボートや潜水艦の建造を行うと共に、新たにワルター機関を使用した新型潜水艦の建造も進められていた。
ただし、こうした艦艇が竣工し艦隊へ配備されるまでにはまだ時間があった。そのタイミングでの日米両海軍国の参戦は、まさに英国にとって何よりも得がたい物であった。
ドイツとの戦端が開くと、とりあえず日本はタイと協力して目と鼻の先にある仏印インドシナ攻略にかかった。かつて独仏連合海軍との衝突がおきた因縁の地である。
一方2ヶ月遅れで対独宣戦布告したアメリカは、タヒチやニューカレドニアと言った太平洋上に浮かぶフランス領の島々を次々と攻略している。
両箇所とも既に補給を立たれた地点であったが、それでも守備隊は頑強に抵抗している。仏印ではわずかな数の陸空軍が、短期間ではあるが日本軍とタイ軍相手に熾烈な戦闘を繰り広げている。
またニューカレドニアには、少数ではあるが潜水艦と特設巡洋艦が停泊しており、それらが米艦隊相手に反撃を試み、全滅しながらも見事戦艦「アリゾナ」を撃沈している。
ちなみに仏印に関しては、中国軍も本来なら攻めても良かったのであるが、共産党対峙に忙しい同軍は出撃の時期を逸してしまい、蒋介石は地団太を踏んで悔しがるしかなかった。
さて、仏印を短期間を攻略した日本軍であったが、実際の所仏印を取った所で得るものはたいしてない。しかしながら、自由フランス政府にアジアへ派遣する兵力はない。取り敢えず戦争終了まで日本が暫定統治することとなった。ただし、同国では以前よりホーチミンなど独立を志向する人間がおり、彼らは当然日本側にも独立を要求した。
かつて日露戦争直後は仏印からの留学生受け入れを断るなど失望の色を見せた日本であったが、実際植民地からの独立と言うのはこの頃急激に熱を持った問題であり無視は出来なかった。現に英国領のエジプトはナチス・ドイツの後押しを受けて独立している。
そこで日本は自由フランス政府に対して、今後の処遇を問うたが、もちろん既得権益を失いたくないフランスの返答はノーであった。
そのため、この問題に関して日本政府は板挟みとなる。ただし、日本の世論としてはドイツの手先であるフランスからの独立を手助けするべきという声がその後高まり、日仏関係に溝を生むこととなる。
それはさておき、とにかく仏印を攻略した日本海軍は、中東を制圧しその後さらに東へと志向するドイツ軍を止めるべく、英国政府の了解を得て艦隊の一部をシンガポールに前進させ、さらに本土の陸軍部隊では遣印軍の編成を急いだ。
1942年8月にシンガポールへ派遣されたのは、角田中将指揮する航空母艦「赤城」、「天城」と重巡洋艦4隻を主軸とする新編成の第3艦隊であった。第3艦隊は10月初旬にはセイロン島への前進を予定していた。
一方もう1つの部隊がシンガポールへと前進していた。近海防衛艦隊より派遣された新編成の護衛艦隊である。また対潜航空隊1個飛行隊が、マレー半島の英軍より貸与された飛行場へと前進している。
近海防衛艦隊は、戦時には船団護衛や通商路保護任務を行う。今回の派遣も、第3艦隊への補給物資を積む輸送船の護衛や、インド・ビルマ方面から荷を運ぶ日本輸送船の護衛、さらにはベンガル湾における英国輸送船の護衛だった。この時期英東洋艦隊は瀕死の状態にあり、インド沿岸の対潜戦闘も不可能な状況だった。
近海防衛艦隊は本来本土や植民地周辺の沿岸警備任務を行っている。そのため、勢力圏外への派遣は難しいように思える。しかしながら、実際の所はそうではない。
日本の植民地にはミクロネシアを始めとする南洋諸島が存在する。これら島々はそれぞれそれなりの人口を擁し、多くの漁船や貨物船が航行している。そのため平時からそれらの防衛を考える必要もあるから、勢い数も多くなる。例えば、台湾〜マリアナ間の航路の台湾側を担当する台東基地に所属している艦艇は、護衛駆逐艦4隻、海防艦16隻、駆潜艇12隻と非常に強力だった。
そしてまた、この戦争は長期戦になる可能性が高いと見た日本海軍では、早速海防艦のマスプロに入っている。
ちなみに、近海防衛艦隊より派遣された部隊は新たに編成された海上護衛艦隊の指揮下に置かれている。その編成は護衛巡洋艦1隻、護衛空母2隻、護衛駆逐艦4隻、海防艦18隻、港湾防衛用の駆潜艇4隻であった。
護衛空母は軽空母「龍嬢」の運用結果を元に開発された艦艇で、商船規格の艦艇であった。平時においても、沿岸警備や救助作業に航空機は素晴らしい威力を発揮する。しかしながら、さすがに20機も30機も航空機を運用する必要などない。せいぜい10機から15機もあれば良い。戦時に船団護衛をするにしても、それくらいで充分と思われた。
そこで造られたのが、商船規格の艦体に簡単な格納庫と飛行甲板を張っただけの護衛空母「白鳥」級である。全長は160mで、排水量は8000tだ。搭載機は16機で、いずれも対潜哨戒用に格落ちした機体だ。しかしながら、英国からカタパルトも供与されているので、最新鋭機も扱える。
航空母艦として新造されたのは3隻のみだが、商船を徴用して急遽8隻の改造が開始されている。これらは準「白鳥」級となる予定だった。この級の特徴はアメリカの護衛空母と同じく、改装工事さえすれば簡単に商船へ戻せることだった。
護衛巡洋艦は連合艦隊より移籍されたこれまでのような5500t級ではなく、練習巡洋艦「鹿島」級を基に開発された「大阪」級、護衛駆逐艦は以前から建造がされている「松」級である
創設されて6年、本格的な海外遠征である。しかも敵は通商破壊の第一人者たるドイツだ。ソ連や中国との戦いが序盤戦であるとすれば、今度こそが本当の戦いの始まりであった。
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