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真の海防  作者: 山口多聞
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日露戦争

 1904年、満州と朝鮮の利権を巡って勃発した日露戦争は満州や旅順をはじめとする陸の戦いと、主に日本海で行われた海の戦いが主戦場となった。


 日本軍はロシアのアジア進出の拠点たる遼東半島の旅順攻略を目指した。当時ロシアの租借地であった旅順には帝政ロシア艦隊の半分であり、日本の連合艦隊に拮抗する戦力を持つ太平洋艦隊の主力が駐留しており、日本にとっては脅威以外の何物でもなかった。


 旅順を落すために帝国陸海軍は総力を挙げて攻撃に移った。特に海軍としてはヨーロッパから派遣されるであろうバルチック艦隊到着前に、是が非でも旅順の攻略と艦隊の撃滅が必要だった。


 しかし、海軍が行った旅順攻撃は当初の駆逐艦による夜襲戦こそ成功したが、その後の閉塞作戦や連合艦隊による攻撃は、堅固な陸上要塞に阻まれて不成功に終わり、逆に主力戦艦2隻(「初瀬」、「八島」)をはじめとする貴重な艦艇を多数失う結果に終わった。


 もっともロシア艦隊も港内に封じ込められ、士気と練度の低下という事態に見舞われた。さらにその後行われたウラジオストックへの脱出にも失敗し、旅順のロシア艦隊は大して戦局に寄与できぬまま、旅順陥落を迎えることとなる。


 一方旅順攻略に失敗した海軍に代わって陸軍が占領した大陸側から旅順攻略に移った。しかし、ロシアは海側のみならず陸側にも要塞を構築し、攻略せんとする陸軍の前に立ちはだかった。


 旧来の歩兵突撃を仕掛ける日本軍に対して、ロシア軍は機関銃(機関銃は日本軍の方が多かったという説もある)を多用して対抗した。結果日本側は実に6万もの兵員が死傷するという大損害を被ってしまった。司令官の乃木大将も息子2人をこの戦いで失っている。


 旅順攻略戦は長期戦と化し、日本陸軍は歩兵の突撃以外にも色々と策を講じた。当時もっとも大型と言われた28cm榴弾砲の投入。塹壕を掘り進めて敵陣地の下から進撃を図る等々。また海軍が派遣した重砲隊も山越えによる港湾や、港内の艦艇への攻撃を実施している。


 しかしこれらの方法はいずれも長期的、または後半戦に入ってから行われたもので、結果を求められている乃木大将が手っ取り早く行えるのは歩兵による突撃だけだった。


 相次ぐ歩兵戦力の消耗のために、本土からは多数の兵員が増援として海を渡り、大陸の戦場へと向かった。


 1904年6月14日、近衛第一歩兵連隊や多数の武器、食料を乗せた輸送船「常陸丸」は広島県の宇品港を出港、関門海峡と玄界灘を経由して大陸へと向かった。


「常陸丸」は1896年竣工の6000t級中型貨物船であった。当時2000t程度の貨物船しか建造経験のなかった日本で初めて建造された5000t越えの貨物船で、戦争前はスエズ運河経由で日欧航路に就航していた。


 当時の日本の海運業界は、商戦の保有量こそ世界第6位に躍進していたが、海軍と同様明治になってからたった36年しか経っておらず、建造技術や運用技術が完全な自立を遂げていたわけではなかった。そのため「常陸丸」の場合も船長のキャンベル他高級船員の多くがイギリス人で占められていた。


 熟練したイギリス人船員、そして日本海運業界の発展を担うために彼らから一生懸命に学ぶ日本人船員たちの手で動かされた「常陸丸」は、日露戦争が勃発すると陸軍の輸送船として徴用されていた。


 この時期日本近海は決して商船にとって安全とは言い難かった。旅順の艦隊こそ港に篭っていたが、3隻の巡洋艦を中心とするウラジオストックの艦隊は開戦直後から日本の商船を襲っていた。中には太平洋に出て東京の鼻先で襲撃を受ける船もあった。


 もっとも襲撃の多くは日本海上にて行われた。ロシア艦隊の商船襲撃のパターンは、まず商船に停船を命じ、臨検を行わないまま短時間での退船を促した後砲撃や雷撃で撃沈し、乗員救助をせずに素早く遁走するというものだった。


「常陸丸」以前にも「金州丸」他数隻が撃沈されており、特に「金州丸」の場合は退船時間が短かったために、船長と同乗の海軍士官が敵艦に直談判に行っている間に時間切れとなり、問答無用で撃沈されている。


 座乗の陸軍兵たちは一矢でも報いようと、小銃を敵艦に向けて発射したが、もちろんそんな物が効果を挙げられるはずもなく、「金州丸」は魚雷を受けてあっけなく爆沈、197名の命が失われた。


 そうした犠牲があったものの、この時期はまだ船団護衛という概念はなく、日本海を行きかう商船は護衛無しの丸裸、加えて全くの非武装であった。もっとも、航路防衛という概念自体ないこの時代にこれらを避難するのは少しばかり酷と言えよう。


 こうした犠牲に国民の非難は海軍に集中し、特に日本海で敵艦隊撃滅に燃える第二艦隊司令官の上村中将はその矢面に立たされた。


 第二艦隊はそれこそ血眼になってロシア艦隊を追ったが、まだ航空機もレーダーもない時代であるから、敵艦隊の捕捉は簡単ではなかった。


 そんな時期に起きたのが「常陸丸」事件であった。出港翌日の6月15日、「常陸丸」は敵艦が時折現れる玄界灘を航行中であった。


 この日の玄界灘は靄がたちこめ、視界は良くなかった。そんな時に、まず近くで砲声がするのを乗員たちは確認した。これはロシア艦隊が別の商船に砲撃を浴びせている音であったが、「常陸丸」では連合艦隊の訓練と誤認し、そのまま航行を続けた。


 そこへいきなり前方から軍艦が2隻現れた。そして「汝停船せよ」という信号を「常陸丸」に向けて掲げるや、間髪を入れず砲撃を開始した。しかもこの砲撃は威嚇ではなく、明らかに「常陸丸」を狙った物であった。


 この砲撃は船体中央部に命中し、さらに数発が「常陸丸」に命中したために機関は停止した。最終的に「常陸丸」は30発以上の15cm砲弾が直撃し、さらに300発近い速射砲弾を浴びせられた。もちろんそれによって「常陸丸」の船体は穴だらけになった。


 多数の砲弾の直撃により乗船者の多くが戦死し、また近衛部隊の幹部は自刀して果てた。かろうじて200名あまりが退船するに留まり、戦死者は船長含めて1027名に及んだ。ここまで来るともはや虐殺に近いが、もちろん攻撃したロシア軍艦は乗員救助を行わず遁走した。


 戦死者が1000名を超えたことは日本国内に大きなショックを与えた。さらにその後もウラジオ艦隊の跳梁は続き、計13隻が撃沈されたため国民の非難は上村中将の自宅へ投石するにまで膨らんだ。


 9月に入り、第二艦隊はようやくウラジオ艦隊を捕捉し巡洋艦1隻を撃沈し、2隻を戦争が終わるまでドックから出られないほどに大破させて仇を討った。


 そして陸上では、その後苦戦が続いたもののついに旅順は陸軍によって攻略され、太平洋艦隊は壊滅した。


 だが5月に入り、ロシア海軍はついにヨーロッパからバルチック艦隊を回航して来た。日本連合艦隊はこれを迎え撃ち、一方的な大勝利を得た。しかしながら、この時遁走したネボガトフ中将率いる第3艦隊の脱出阻止に失敗し、徹底さを欠いた。


 第3艦隊はその後ウラジオストクを拠点に終戦までの短期間ながら活動を行い、以前ウラジオ艦隊が行ったのと同様、日本海や太平洋において神出鬼没の襲撃を展開した。その結果さらに複数の商船が撃沈されてしまうこととなった。


 これによって連合艦隊は再び辛酸を舐めさせられることとなった。ただし、幸運なことに間もなく終戦となったため第3艦隊の跳梁は非常に短期間のみで収束し、さらに日本海海戦の勝利のイメージが強かったために国民からの非難はほとんど起きなかった。


 それでも東郷司令長官が完璧な勝利を得られなかったことは、彼の発言力を高めるのを少しばかり阻害することとなる。この事が後の海軍に与えた影響はそれなりに大きかった。


 また海軍自身も、広い洋上において少数の艦艇が神出鬼没の行動を採った場合捕捉することが難しいということを、身を持って知らされた。


 加えて商船を運用する各社は非武装で護衛のない商船が敵艦艇に狙われた場合、非常に脆弱であることを思い知らされることとなった。


 ただし、それによって海軍が本格的に航路防衛を思い至ることはなく、商船側も自分自身で武装すること等出来るはずがなかった。しかしながら、この戦争においては複数の商船が海軍に徴用されて特設艦船として活動した。その中には大砲を備えて仮装巡洋艦になるものもあった。この内「信濃丸」のバルチック艦隊発見の功績は有名である。また木製の砲を付けて武装商船に化けた船もあった。


 そこで、複数の商船会社では船団による航行という概念や海軍艦艇による護衛という発想こそ生まれはしなかったが、有事に際して仮装巡洋艦として武装が出来るよう甲板強度を強化する船や、擬装砲座を付けるために船首を設計する船、また消火器具を数多く備えられるよう余裕を持った設計を行うようになる。


 御意見・御感想お待ちしています。

 今回の歴史改変はごく小さな範囲です。ただし、東郷元帥の発言力低下は、長い目で見ればそれなりに大きくなると思っています。

 次回はWW1に突入です。更新は17日、もしくは21日を予定しています。

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