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真の海防  作者: 山口多聞
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ノモンハンの裏 3

 日ソの軍事衝突はそれこそ唐突に終わることとなった。原因はヨーロッパでついに戦火が勃発したからである。昭和15年3月、ナチス・ドイツがポーランドへ侵攻、それに対して英仏はポーランドに味方してドイツに宣戦布告。さらにソ連がドイツと密約を結んでポーランドへと雪崩れ込んだ。


 もはやアジアでの軍事紛争どころではなくなったソ連は、仕方が無く満蒙国境を満州(日本)側が唱えていた位置で固定することで合意し、休戦協定が結ばれた。


 ノモンハン事件の終結は、その裏で行われていた近海防衛艦隊とソ連潜水艦隊との死闘が終わることも意味し、双方共にかなりの被害を負いながらも、取り敢えず全面戦争に発展することだけは防げた。


 近海防衛艦隊では日中戦争に続いて、貴重な対潜戦闘の戦訓を積むことができたのは本当に幸運なことであった。


 この戦闘から日本海軍では、近海防衛艦隊の規模拡張と海防艦を始めとする艦艇の増強が、より急ピッチで進められることとなった。これまでは本土の日本海側や北千島方面の巡視隊が増強されていたが、相次ぐ潜水艦の脅威を見せられたこと、また巡視隊を置くことは国民からの受けも良いことから計画が拡大された。


 ちなみに国民の受けがよいと言うのは、巡視隊だと小型艦ばかりであることからこれまでは海軍艦艇が姿を見せることさえなかった漁港にも配備されることとなり、さらに救難任務を行うことから連合艦隊などより親しみを持たれたことに起因する。海軍省も、海防艦であれば軍機も少ないことから、1年1回程度体験航海や一般公開を行って、海軍の存在をアピールした。


 結果、それまで報告号や愛国号という名目で航空機や戦車が募金により購入されることがあったが、この時期には村や町、県と言った大きな単位で海防艦建造や巡視隊配備の予算を補填する動きまで出てきた。


 また巡視隊拡大の動きはかなり早いペースで進んだ。それは計画の中心である護衛駆逐艦や海防艦がいずれも1〜2年という短期間で建造可能な小型艦であり、予算もそう大して食わない。何より小規模な港でも建造可能と来ているから、日本だけでなく台湾や朝鮮、遼東半島等の造船所でも建造が推進された。


 これによって連合艦隊が進めていた建造計画を阻害することなく、近海防衛艦隊の拡張を行いえた。またこれらの計画の中には、満州海軍やタイ向けの輸出艦艇の建造計画も含まれていた。


対する連合艦隊はこの時期日中戦争の戦訓を鑑みて、建造計画の大幅な見直しをしていた。それまでの大艦巨砲主義は鳴りを潜めて、大きく刷新されていた。


 まず大艦巨砲型の戦艦は航空機や潜水艦の性能向上から価値が下がっているため新規建造は「大和」級2隻で打ち止めとなり、代わりに高速護衛艦として使える「奥羽」級巡洋戦艦6隻と、「大鳳」級装甲空母2隻、「翔鶴」級高速空母2隻の建造が決まった。


 貧乏国日本としては随分と大きな計画であるが、これには近海防衛艦隊が一役買っていた。実は近海防衛艦隊用にこれまで建造されてきた艦艇では電気溶接の技術が実験目的で多用された。海防艦や駆逐艦と言った小型艦ばかりであったが、その経験は戦艦、空母にも如何なく生かされ、それぞれ建造期間、費用をそれまでの艦艇よりも圧縮することがきた。


 もちろん、こうした新鋭艦艇の配備は旧式艦の退役を促進することとなる。予定では「金剛」級戦艦3隻 と「山城」型の「山城」、と「扶桑」型の「扶桑」が老朽化と陳腐化を理由に退役する予定であった。

 

 空母に関しても軽空母の「鳳翔」が練習空母は格下げとなり、軽空母「龍嬢」は近海防衛艦隊に移管されることとなった。ようやく予てから求めていた空母を、たった1隻ではあるが近海防衛艦隊は手に入れられた。同艦は対潜戦闘における空母の活用を研究する上で、無視できない様々なデータや経験を近海防衛艦隊に提供することとなる。


 戦艦、空母以外にも重巡では「最上」級の改良型であり、対空戦闘能力を引き上げた「伊吹」級4隻の建造が計画されており、軽巡も「阿賀野」級と「大淀」級の建造が開始されて一部は完成間近であった。


 これに伴い近海防衛艦隊では、完全に型落ちとなった「天龍」級護衛軽巡洋艦の退役が決まり、代わりに「球磨」級2隻と「夕張」が改装の上での配備が決まった。予算が増えたとは言え、護衛巡洋艦を新規で造ってくれるほど、日本に余裕はなかった。


 駆逐艦については、高速の「島風」級の建造が計画されていたが、量産性能が乏しいことから建造中止となり、「秋月」型と「夕雲」型の建造が進められることと成った。金秋防衛艦隊の方は、旧式化した二等駆逐艦は海防艦へと代替となり、一等駆逐艦の方は特型の初期型が改装されて配備されたのを除けば、全て1200t級の「松」型護衛駆逐艦に代替されることとなった。


 航空戦力については、新たに開発された96式対潜哨戒機が配備された。これは96式陸攻の改造機で、対潜戦闘用に特化した機体であった。ただし居住性能が劣悪であることから、繋ぎの機体として見られており、2年後には渡辺鉄工所製の「東海」対潜哨戒機が開発されている。


 しかしながら、こうした戦力の大幅な増強にも関わらず近海防衛艦隊は苦しい状況にまたも置かれることとなった。






 第二次世界大戦が始まると、ドイツは瞬く間にポーランドを占領した。中国への軍事援助のため半年間宣戦布告を延期したドイツであったが、その間に新型戦車や新型航空機の配備を促進させており、さらに海軍もUボートや水上艦艇を増強させていた。


 ポーランドも戦車や航空機を幾らか更新していたが、本気であるドイツとは差がつきすぎていた。本気でやったドイツの前に局所的な勝利こそ得られたが、結局国を守ることは出来ず、ポーランドは滅亡した。


 それに対して、フランスとイギリスは有効な策を打てなかった。特にフランスは、軍の更新が半年遅れの宣戦布告となったこの時になってもほとんど進んでいなかった。アメリカ製の援助機体こそ数を揃えられていたが、そんな物あくまでその場しのぎであって根本的な解決にはつながらない。


 結局フランスもお約束どおり、ドイツに蹂躙される運命にあった。多少奮戦できたが、半年遅れのメリットを思いっきり活用したドイツの前に、そのメリットを1割使えたかどうかのフランスに神様は味方などしない。


 そして残るイギリスはと言うと、半年と言う時間を使って本土防空用のスピットファイア戦闘機を幾らか増やすことが出来たが、結局それが限界であった。


 しかもイギリスにとって悪いことに、ドイツ海軍はUボートを半年間でさらに増やしていた。その数合計80隻(外洋活動可能な隻数)。


 そのため開戦初っ端からイギリス商船団は叩かれまくることとなった。戦艦や空母で圧倒するロイヤル・ネイビーも相手が海に潜る潜水艦では動きが限定される。もちろん、前大戦の教訓から色々と対策を打ったのであるが、それはドイツ海軍も同じことであった。

 

 ドイツ海軍は日中戦争での実戦経験を踏まえて新戦術を多用して、英国を苦しめた。特に日中戦争で経験を積んだ群狼戦術は、たちまち効果を発揮した。英国へ向かう輸送船は独航、船団に関わらず攻撃を受け次々と沈められた。また艦隊までもがこの戦術によって大きな被害を受けた。特に空母「アークロイヤル」を戦わずして撃沈されたのは痛手で、本国艦隊の士気はがた落ちした。


 そうした潜水艦の跳梁はドイツ水上艦隊にも有利に働き、数で劣るドイツ艦隊のゲリラ戦を助けることとなる。


 英国は焦った。このままではドイツに敗れてしまうと。そこで彼らは対潜戦闘を経験した日本海軍に救援を申し入れた。そればかりでなく、日英同盟を再度締結しての派兵までを頼んできたのであった。


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