表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真の海防  作者: 山口多聞
17/59

ノモンハンの裏 2

 昭和14年12月、まさに文字通り冬の日本海とオホーツク海で近海防衛艦隊とソ連太平洋艦隊潜水艦部隊との死闘は幕を開いた。


 ドイツやイタリアからの技術供与で建造されたソ連潜水艦は、ウラジオストックやナホトカより出撃すると、日本海を航行する日本海軍の艦艇に攻撃を開始した。


 この戦闘で最初の犠牲となったのが、掃海艇7号であった。同艇は北千島の占守島近海でソ連海軍が仕掛けた可能性のある機雷除去を行っていた。近海防衛艦隊に所属している同艦であったが、この時掃海作業のため停止しており、さらに島近かったため聴音器も降ろしていなかった。そこへソ連潜水艦の襲撃を受けた。


 ソ連海軍の潜水艦は魚雷を一挙に同時発射せず、1本1本を別々に発射するという少しばかり珍妙にして効率の悪い戦い方を採用していた。そのためこの時も掃海艇7号に命中した魚雷は1本だけであった。しかし1000tもない小型艇にはそれで充分であり、同艇はなんとか島の岸に座礁して沈没を防いだが、結局損傷が酷く全損となってしまった。


 ソ連海軍は第一ラウンドで先制点を加えたわけだ。しかしながら、沈められた側の日本海軍はただやられるに甘んじるわけも無く、すぐにその報復を開始した。


 まず択捉島と幌莚島配備の巡視隊に所属する海防艦4隻と護衛駆逐艦2隻が現場海域に急行した。さらに天候的には恵まれていないにも関わらず、占守島の片岡飛行場から94式艦爆2機と96式艦攻2機がそれぞれ対潜爆弾を吊るして出撃している。


 航空隊は現場が目と鼻の先ということもあり、掃海艇より救難信号が発せられた30分後には現場海域の捜索に入っていた。


 そして15分後に1機がそれらしい黒い影を捉えた。まだ磁気探知機もソノ・ブイもないから便りになるのは搭乗員の視力だけで、宛になるとは言い切れなかったが、それでも彼らはわずかな可能性にかけて対潜爆弾を投下した。


 これについては有効な打撃を与えられたかはわからなかった。しかしながら、彼らが攻撃した海中には確かにソ連潜水艦がいた。そしてその潜水艦の艦長には実戦経験がなく、訓練も不足していた。


 そのためソ連潜水艦はエンジンを全開にしてその海域からの離脱を図った。しかしながら、それは逆に言えば機関が発する音を通常より大きくしていると言えた。そうなると、敵に発見されやすくなるし、自艦の聴音器が音を聞き取りにくくなる。


 そんな所へ、幌筵から出港した2隻の海防艦がやってきたのだから最悪のタイミングといえた。潜水艦が幾らがんばって走っても、水中では15ノットも出ない。しかもシュノーケルもなく、電池の能力が低いこの時代は2時間潜っていられるかだった。


「目標と思しき敵潜水艦の推進器音探知!!」


 追跡していた海防艦の内の1隻「日間賀」の艦長時雨沢恵二大尉はただちに攻撃へと移った。


「対潜戦闘用意!!爆雷投射準備!!」


 彼が率いる海防艦は旧式化した二等駆逐艦の代替用に建造された「占守」型に引き続いて建造された「澎湖」型であった。排水量980t、速力25ノット、武装は10cm単装高角砲3門、25mm連装機銃5基、爆雷80個という強力な護衛艦であった。10cm砲は後に「秋月」型に搭載される98式高角砲の試作型であった。


 近海防衛艦隊では戦時の船団護衛以外でも、平時には国境警備や海難救助をその任務としている。そのためこれまで沿岸警備隊に類する組織がなかった日本において、近海防衛艦隊の任務は非常に地味ではあるが重要なものとなった。


 ちなみにこの数年後、大きく成長した近海防衛艦隊の所属を巡って海軍省、逓信省、内務省が激しい議論を交わすこととなり、結果近海防衛艦隊は海軍省下の海上保安庁へと再編されることとなる。


 閑話休題。


「日間賀」は僚艦である「篠」とともに全速で遁走を図るソ連潜水艦に対して容赦ない爆雷攻撃を開始した。以前にも紹介したが、爆雷は見た目の派手さ割に敵に被害を与えることが難しい兵器である。そのため時雨沢と「篠」艦長の鷹見一大尉はとにかく多数の爆雷を付近一帯に叩き込んだ。


 これに対してソ連潜水艦はなんとか脱出を図ったが、連続する爆雷の炸裂は乗員の肝を冷やし、さらに悪いことに電池が急速に消耗していたため速度を落とさざるを得なくなった。そこで艦長は一端停止してやり過ごそうとした。


 しかしながらその動きは逆に徒となった。聴音器はそれで騙せても、探信儀は騙せないからだ。当然のごとく2隻の探信儀にソ連潜水艦は捕捉され、さらなる爆雷攻撃を受けることとなった。


 そして遂に1発が機関室に火災を発生させ、さらに電池の何個かを架台から落してしまい、浸水によって有毒ガスを発生させた。もうこうなると潜行の継続等不可能である。やむなくソ連潜水艦は浮上を余儀なくされた。


 浮上したソ連潜水艦に対して、2隻は主砲による砲撃を準備していたが、浮上して直ぐ乗員が脱出する姿を見てそれは不要だと直ぐに悟った。


「救助用意!!」


 潜水艦の乗員たちが海に飛び込む姿を確認した時雨沢は直ぐにカッターを下ろして救助を開始した。冬のオホーツク海では早くしないと死んでしまうからだ。もちろん、救助するほうも高い波浪の中であるから危険であるが、そんなことに構ってはいられない。


 2隻は搭載のカッターを降ろすだけではなく、舷側には縄梯子を垂らし、さらに竹ざお等を使って泳いでいるソ連兵を救助した。


 その間にソ連潜水艦は一度爆発を起こすと船体を2つに割り、ブクブクと泡を出してオホーツク海へと沈んでいった。どうやら火災が魚雷か弾薬に引火してしまったようだった。


 こうして2隻の海防艦は、見事撃沈された掃海艇の仇を討ったのであった。2隻は合計30名あまりのソ連兵士を救助すると、幌筵へと引き返した。


 この千島東方における戦闘は、日本海軍近海防衛艦隊とソ連海軍太平洋艦隊潜水艦部隊との短期間だが、激しい死闘の序章に過ぎなかった。


 近海防衛艦隊は性能的にはパッとしないが、神出鬼没の攻撃を繰り返すソ連潜水艦隊に大いに手を焼くこととなった。民間船舶や本土が攻撃を受けるようなことこそなかったが、連合艦隊所属の巡洋艦「摩耶」が大湊近海で被雷するなど、最終的に撃沈された艦艇は連合艦隊、近海防衛艦隊合わせて駆逐艦5、海防艦2、その他の小艦艇4に登った。


 海防艦より駆逐艦の損害が大きかったのは、駆逐艦の多くが対潜装備で劣る旧式艦であったからだ。また撃破された艦艇も10隻以上に登った。


 それに対してソ連海軍もかなりの損害を負っていた。水上艦の損失こそ、日本海軍の潜水艦がウラジオ沖で撃沈した駆逐艦とフリゲートがそれぞれ1隻ずつであったが、潜水艦はなんと30隻あまりを撃沈され、5隻が帰還後破棄という大損害を負っていた。

 

 もはやここまで来ると本当の戦争に近いが、結局のところこの戦いも昭和15年3月にドイツ軍のポーランド侵攻に合わせてノモンハン事件が一応の決着を見た時に終了した。もちろん、あくまで国境周辺での武力衝突に過ぎない形で双方は処理している。


 この戦闘で、日本海軍は中国海軍に引き続いて対潜水艦戦闘の貴重な経験を学ぶことが出来た。一方ソ連海軍も大火傷を負ったが、自軍の潜水艦戦備の遅れや、改めて日本海軍の実力の高さを認識したのであった。



 御意見・御感想お待ちしています。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ