山田、魔王のフリをする 上
「あ、見えてきた。あれが私の城、魔王城ネコブルクだ」
「だっせえ名前!」
「なにをー!」
ヴェルベットから即座に脛に蹴りを入れられ悶絶する。
ブルクとはドイツ語で城という意味だ。
日本語とドイツ語の奇妙な融合に違和感を覚えたが、よくよく考えてみると天界と魔界を元に人間界が作られているのであればそもそもの言語や単語の源流はこちらにあるのかも知れない。
魔王城はその名の通り、猫の香箱座りにも見える形状をしている。
より近しい物を上げるならばスフィンクスだろうか。
顔に相当する部分には穴が空いており何も存在しないが明らかにそういった物を模して作られているように見えた。
「なんで猫型なんだよ……お前の趣味か」
「別に私の趣味じゃないぞ。最初からあんなんだったんだ。あ、城の周囲が城下町になってるからここら辺から魔界の民ともすれ違うかも知れない。一応気をつけてな」
「気をつける? え、なんか見つかると不味い事でもあるのか?」
ヴェルベットの温和さや、食事についての話を聞いて悪魔という物に対して名前ほどの脅威を感じていなかったのだが、それは間違いなのだろうか。
「うーん、どうかな。ヤマダは見た目がなんか悪魔っぽくはないからなぁ。別に人間だとばれてもいきなり食べられたりすることは無いとは思う。――多分」
こっそり多分と付け加えられた!
「いや多分て! そこ一番大事なとこだぞ! しっかりしてくれ!」
「私あんまり他の悪魔のこと知らないからなぁ。基本は部屋に居るし友達とかいないし」
「……ちょっとだけ優しくしてやろう」
そういって頭を撫でてやる。
「馬鹿にするな! 魔王はそういうものなの! 孤独な戦士なの!」
ぎゃーとわめき声を上げるヴェルベットだったが頭を撫でる手を払いのけたりはしない。言うほど嫌いでも無いらしい。
「まぁ、一応城に着くまでは見つからないようしようかな」
「裏道でもあんのか」
「ううん、透明化の魔法をかける。魔力も多分ぎりぎり一回分ならなんとかなる」
「透明化……魔法ってすげーな」
「うーん、でも願えば何でもやってくれるというわけでもないぞ。理屈が正しくないと上手くいかないからな。透明化の魔法だって最近開発したばかりのとっておきなんだぞ」
「ふうん」
「軽いなー!」
「んじゃそれどんな原理なんだ」
さほど興味は無かったが義理で聞いてやる事にした。
「お、興味があるのか? どうしよっかなー!」
う、うっとうしい……!
「仕方ない、ヤマダがどーしても知りたいというなら教えてやろう……まず、身体の周囲に魔術的な薄い膜を張って、光の反射を調整することで見えなくするんじゃ。つまり、反対側の景色をそっくりそのまま真似て映し出す事で実像に溶け込むわけじゃな。私を媒介として地面以外に触れた物を透明化させるんじゃが、結構演算が難しいから一度離れてしまうと再度かけ直さないと駄目なんじゃ。一応注意して」
驚く事に原理的には最近人間界でも開発中の光学迷彩に近しいものだった。
「へえ、思ったより本格的なんだな」
「ふふん、もっと褒めろ」
「スゴーイ」
「感情がこもってないなー!」
そこまで一気に喋るとヴェルベットはすっと手を出した。
「…………」
「…………」
気にせず歩き出す。
「手!」
がーと叫ぶヴェルベット。
「お前話聞いてた!? 解るでしょ!? ばかなの!? 手出せって事! いちいち言わないと解らないのか人間は! ほんとヤマダだなお前は!」
「いや、そうだろうなと思ったけど何か面白そうだから無視してみた」
「意味分かんない!」
そうしてぶーたれたヴェルベットと手を繋ぐと何やらむにゃむにゃ呟きだした。
特に何の変化も感じられないがそれで完了と言う事らしい。
「あー駄目だ。これ以上お腹が減ったら倒れるぞ……」
「魔法もなかなか大変なんだな」
「これまだまだ作ったばかりで効率悪いからな。繰り返すが手は離すなよ」
「解った。そういや喋り声とかはどうなる?」
「勿論視覚にしか作用していないから声は聞こえるしなるべく喋らない方が良い。見えないからある程度は気のせいだと思ってくれるだろうけど」
「なるほどな、了解」
そのまま変わらない風景を眺めながら黙々と歩いていると城下町に到達した。道中幾人かの悪魔とすれ違ったが全然気付く様子も無かった。きちんと透明化されているらしい。
ぽつぽつと並んでいる住居は樹脂のようなもので出来ているらしく有機的な形状をしていた。
様々な色があり、近くに見えた立派な住居はレンガ色をしており、小さな窓もいくつか付いている。
屋根らしい物は存在しないが天井部分には煙突が顔を覗かせている。人間界でいうならばドームハウスが近しいだろうか。
そういった不思議な住居が密に並んだ居住区と思わしき場所のやや先には少しだけ開けた場所が見えた。
どうやら多くの人が集まり、品物の受け渡しをしているように見える。市場だろうか。
遠巻きに見てみるとワゴンのような物に大量の野菜や木の実が載せられており、思った通りそれらの取引がされている。
火を通して焼いた物など、屋台のように簡単な料理も売られているらしい。透明化していなければ食べてみたかったのだが。
「なぁ、ヴェルベット。あの美味そうなのなんだ」
星形をした変な果物を串に刺して焼いてるそれは焦げ目が良い具合に色づいて美味そうに見える。だが、次の瞬間ドスの利いた叫び声が空を裂いた。
「てめえ何してくれてんだコラァ! おお!?」
視線を送るとそこでは――アモンほどでは無いものの――凶悪そうな悪魔が地面に転がった小柄な悪魔にそうすごんでいた。
「……ちっ、ダイモンか」
ヴェルベットを見やると苦い顔をしてそう呟いた。
「なんだそいつ」
「あの叫んでいる悪魔だ。荒くれ者のダイモン。昔はちょっとしたワルだったらしくてな。たまにああして問題を引き起こす。根は悪い奴ではないんだが、どうにも頭が固くて喧嘩っ早い」
「……倒れている相手は?」
先ほどから目にしていた悪魔達はほとんどが人の形と近しい形状をしていたがダイモンの目の前で地べたに這いつくばっていたのはぬめぬめとした緑がかった粘液にその身を覆われ、埴輪のように筒型の身体から短い手足をはやした形状をしていた。
蹴られたか殴られたかしたのだろう。
周囲にはその身を覆っていたと思われる粘液が飛び散っている。
「あれは……呪いの民、マゴット。かつて魔王を毒殺した一族の末裔――と言われて居るが本当かどうかは今となっては解らない。現状、魔界において唯一迫害されていて本来城下町に近づく事は禁じられているんじゃが」
そう説明され重苦しい気持ちを感じた。魔界にもやはりそういった問題は存在するのだ。
「す、すみません……魔力が足りて居らずふらついてしまいました」
弱々しく答えたマゴットは立ち上がろうとする。
だがダイモンは彼をもう一度突き倒し、再度地面に倒れ込ませた。その様子を見て不意に走り出そうとしたがヴェルベットに強く手を握られた。
「おい、今の状況解ってるのか。やめておけ、分が悪い」
「……ただ黙って指をくわえて見ているってのか。相手は子供だろうが」
やや頭に血が上っていたことは自覚していたが思うままに口にした。
「……ッ! 解っては居る。だがそれでも今は抑えろ。この件はお前が思っている以上に根が深い事なんじゃ。大体魔法も使えぬお前があそこに行って何が出来る!?」
状況が解らないこの魔界で、確かにあのマゴットを救う方法は解らない。
けれど、たとえそうだとしても俺はあの暴力を見過ごすことは出来ない。なぜならそれを、俺自身が格好良くないと思うからだ。
俺にとっての格好良い事。
それはやはりあの日俺を助けてくれた鯖島先輩の姿に他ならない。
自分が格好良いと思った事を一心に貫く事。
誰に理解されなくても良い。流行って無くても良い。モテなくても、まぁ良い。それこそが俺に先輩が教えてくれた、俺にとっての格好良い事。
ならばやはり俺が俺の為に今すべき事は変わらない。
「確かにそうだよな、お前の言うとおりだ。――だが、出来るか出来ないかは問題じゃねえ。やるか、やらないかだ。そして、大抵はやりさえすればなんとかなるもんなんだよ」
思考する。今の状況と与えられた知識で何とかこの場をやりきる為の方法を。
恒久的で無くても良い。まず今のこの状況だけでもどうにか切り抜けることが出来れば。
「すまんが猫を頼む、寝てるから持っていてくれ」
肩にかけていた鞄をヴェルベットに渡すと同時に中からライブ用のゴムマスクをひっつかみ、それを被るとライダースジャケットの下に来ていたパーカのフードを被った。
「おま、何を言って――」
「ああ、それと俺が合図したらバナナをくれ」
「はぁ!? 何言っとるんじゃお前!?」
訳がわからないといった顔をしているヴェルベットの手を引いて場所を少しだけ移動し、ウインクを送る。
「頼んだぜ、相棒」
ヴェルベットの返事を待たず手を振りほどいた。
その瞬間俺の視界からヴェルベットが消える。俺自身は何かが変わったようには感じないが、今光学迷彩は消えたのだろう。
呼吸を整えて、冷静に思考する。
準備は冷静に、けれど行動は熱狂的に。
ライブ前の緊張感と似たそれを久しぶりに味わった気がした。
人前で妙ちきりんな格好をして演奏していただけあってそれなりに肝は据わっている自信がある。
どのみちヴェルベットの光学迷彩を解除された俺にとってはこの場をどうにかする為には、やりきるしか道は無い。
もしもばれたとしても殺されることは無いはずだとヴェルベットは言っていた。
まぁ、多分とも言っていたが……。震える身体を押さえつけて、気合いを入れて息を吸い込んだ。
「■■■■■■■■■■!!」
血管がブチ切れそうな程力一杯デス声で叫ぶ。
ダイモンとマゴットのいざこざに気を取られていた群衆はびくりと身を震わせてこちらを見た。屋外ライブ時に音響機器がぶっ壊れてマイク無しでライブを続行した事もある。この程度の範囲に響き渡らせる位なら問題は無い。
「な、なんだあいつ」
「変な格好してるけど……それよりなんだあの声……!?」
デス声。デスメタルで多用される特殊な喉の使い方をすることで発する所謂だみ声だった。
そう、そもそも俺はヴェルベットに魔王の代理としてこの世界に召喚されたのだ。自画自賛するわけでは無いがそれなりに魔王っぽさはあるはずだ。
「――貴様ら、何をしている」
腕を組み、ゆっくりと、大股で、余裕を持った演技を忘れずに騒ぎの震源地――ダイモンとマゴットの元へ――近づいていく。
「なんだァてめえは!?」
ダイモンは怒りの矛先をこちらに向けてそう叫びながらこちらに近づいてきた。