機械仕掛けの魔神 上
猛烈な重力の波に飲み込まれ、どちらが上でどちらが下かも解らず、完全に自らの置かれている状況が把握出来ていない。
魔界に召喚された時の感覚にとてもよく似ているなどと考えながら、そのまま身体を委ねる。
そして唐突に思い出した。
俺はバル=ヨハニを連れて虚数界クリフォトへと飛んだのだ。
バル=ヨハニと激突する瞬間、確かに宝珠が光り輝きだした事を思い出し、その時どこかで聞いた事のある声を聞いた記憶が残っている。
あの声は一体誰の物だったのだろ――「とーうっ!」
すこぶる明るい声で脳天にずびし! とチョップをぶち込まれシリアスな思考を強制終了させられる。
「あだぁぁ――!」
まどろみの中から飛び起きて訳もわからず四方に視線を巡らせる。
目の前にはただ闇があり、その中でバル=ヨハニがこちらを睨み、うなっている。
俺自身はきちんと身体も存在するし、今は何らかの椅子に座らされているらしい。
そしてその手元には光る玉が一対。正直全く意味がわからず、首を捻る。
「なんじゃこりゃぁ……」
「あ。……よ、よよよ漸くお目覚めですね! 寝起き悪すぎです、マスターは! これはどう考えてもマスターが悪い! うんうん! ちなみに今のチョップは二発目です!」
謎の声は雰囲気の合わない明るい声でそう告げた。依然として状況も全く解らない。夢の続きだろうか? それともこれは所謂あの世という奴だろうか?
「いや、意味が……って、ん? この声……お前――キューか?」
そう、やや趣は異なるがこの声はマスティマを封印する時に一度だけ聞いたキューの物と酷似している。
バル=ヨハニと衝突する寸前、緑色の光に包まれながら聞いたのと同じ、死んだはずのキューの声だったのだ。
「おお~、一度だけだったのにちゃんと覚えていてくれていたようで嬉しいです!」
落ち着いて周囲を見てみると、目の前のバル=ヨハニは超高精細なディスプレイに映し出された映像らしく、その右下にはドットで描かれた小さなキューと思わしきデフォルメされた猫のキャラクターが嬉しそうにぴょんこぴょんことはねていた。
状況を把握するたびに全然意味が解らなくなるとは斬新な経験だった。なんだこの状況。
「成る程、まだ魔界って事か? なんでだ? 全然わかんねえ」
「フフ、どこから話しましょうか? うーん、でもやっぱり面倒だから最初からにしましょうか!」
確か世界存亡の危機だったはずなのだが、このノリの軽さは一体何なのだと想いながらぶんぶんと縦に首を振って頷いた。
「では、おさらいから! この世界を作り上げた創造神ヤルダバオトはこの世界を失敗作だと判断し、観測者を残してこの世界を離れた――。この話を覚えていますか?」
「ああ、勿論。――はっ! まさか創造神とヤマダナオト(俺の名前)が似てるのは――!」
「あっ、それは全然関係無いですね! 微塵も!」
「だよなー! 知ってた知ってた!」
大変恥ずかしい勘違いだった!
「こほん! 話を戻しますね。この世界に残された観測者は失敗作の世界を外側からずっと観測し続けていました。
観測者の名はメタトロン。
名前に神を敬う意味を持つ『EL』を持たぬ希有な大天使。
……そして天界において唯一の「元人間」。
メタトロンには神の代行者として『老いを知らぬ不老不死の身体』、そして『神の権能』が宿されました。
けれどその心は脆弱な人間と同じもの。
無限の夜を越えて、その心は少しずつ擦り切れていきます。
在る時メタトロンは世界を観測する事に疑問を持ってしまった。
そもそも失敗作である世界の観測に意味など見いだせません。
であるなら自分という存在に一体何の意味があるのだろう、と。
けれど神に与えられた責務を自ら放棄することも出来ない。
彼は心をぼろぼろにしながらもただ神に命じられたまま観測に明け暮れた。
けれど、在る時彼の九番目の眼――そう、エイリアス=ナインが面白い概念を得ます。
それは――この世界は本当は失敗作なんかじゃあ無いのかも知れないという事」
エイリアス=ナイン。
それはマスティマが封印される前にキューに対して叫んだ謎の言葉。
つまりそれは、キューの事を意味する。
「……んん? つまりお前がその観測者だって事か?」
「んー、厳密には違います。私もこの世界と同じ失敗作なんです。
私はメタトロン様が世界を観測する為に作り出したただの端末。
ただ観測した情報をメタトロン様に送るだけの存在でしかなかった。
けれど、私は本来報告の必要がある重大な罪を見逃しました。
それは、シャーリー・モラクスによる生命の複製です。
先代魔王がシャーリー・モラクスの遺体に自らの心臓を移植し蘇生させたのとは違い、時間干渉によって命を複製する事はこの世界では許されません。
けれど私は愛する者を蘇生させようとした彼女に対し、同情してしまった。
共感してしまった。
その行為を美しいとすら思ってしまった。
それを心の内に秘め、誰にも告げないで居ようと思った。
でもそれは浅はかな行いでしかなかった。
たとえ私が報告しなくとも時間干渉による命の複製を見逃すほどメタトロン様の眼達は甘くはなかったのです。
そうして罪を暴かれた私はメタトロン様に失敗作だと判断され、リンクも切られてしまいます」
悲しそうにキューは言った。
「失敗作として捨てられて、何者でも無くなった私は疑問に思いました。
この美しさは本当に失敗作が持ち得る物なのか?
この世界は……楽しくて、面白い。
甘くて、心地よくて、ちょっぴり痛い。
本当にこの世界は失敗作なのだろうか?
それを誰が判断したのだろうか?
たとえ百歩譲って失敗作だとしても、この世界はこんなにも美しい。
色んな人が居て、色んな考え方がある。
確かに争い事もあるけれど、この世界は多様性に満ちあふれている。
変化している。
ならば失敗作と切り捨てるのはいささか早すぎたのでは?
そんな想いを抱き私はこの世界に興味を持ちました」
熱が入りすぎたことを恥じるかのようにキューはコホンと咳払いをして話を継いだ。
「そんな時私のその考えを肯定してくれたのはマスターの何気ない言葉でした。
『たとえ失敗作の世界であろうと自分はこの世界が好きだ』と。
そう、世界の価値を決定づける事が出来るのは、誰にとっても同じ事でした。
それが出来るのは自分しかいなかったのです。
私は確信しました。
ならばやはり私にとってこの世界は失敗作では無い。
確かに神の思い描いた争いの無い、飢えも貧困も無い理想のユートピアでは無い。
争いも諍いも、殺し合いすら起こるこの世界。
けれどそこには同時に他者を想い、愛し、自らを犠牲にするような美しさだってあった。
千変万化するこの世界の変化こそが、その多様性こそが美しさだった。
私はこの世界の続きをもっと見たいと思った。
そうしてこの世界の一員になりたいと思った。
けれど私は既にメタトロン様とのリンクを切られた失敗作で有り、メタトロン様にそれを伝える方法はありません。
そんな中、マスティマが行動を起こします。
魔界の民を喰らいメタトロン様を破壊する為に。
立ち向かったのは二人の魔王――そう、マスター達です。
マスティマは何重にも防壁を張り巡らしヴェルベット・チャーチに秘められた力を警戒して魔界に降り立ちましたが、それはあくまで魔界の力に対しての物。
天界由来の封印を考慮していなかったマスティマに私の不意打ちが綺麗に決まり何とか封印を施すことに成功しました。
その時点で解決策は何もありませんでしたが、それでも私は二人の魔王、そして魔界の民の絆に――失敗作の世界ゆえの多様性と変化に賭けた。
私の仕事はそうして魔界の皆にバトンを託すこと。
けれど力尽きたと同時にバル=ヨハニに貫かれ、破壊された私は構成物質と記憶データを丸ごとメタトロン様に回収、返還されました。
接続が切れていた私が破壊される事で回収されるというのは全くの想定外でしたが、恐らく私たち『眼』とはそういう風に最初から作られていたのでしょう。
そうしてついにメタトロン様は知るのです。
この世界の可能性を、美しさを、この世界が失敗作では無いのかもしれないという事を。
メタトロン様はこの世界を存続させる為に、初めて自らの意思で本物の管理者(神)になることを選択した。
ですが永劫にも近い時を経て既にメタトロン様の身体はこの世界に対する物理的な権能と力をほぼ消失していました。
そんな状況で此度の事態を収束する為に導き出された回答。
――それが、かつてメタトロン様に与えられた代行神の権能、その移譲です。
かつてただの人間でしかなかったメタトロン(ニアラ=ゾティフ)を、自らを神の代行者メタトロンへと変貌させた力。
それこそが創造神ヤルダバオトによって授けられた『無貌の神』。
ここまで言えばもうお気づきでしょう?
私たちが居るこの場所こそがその中枢部。本物の神による世界を守るための力。
そして、これを扱うことが出来るのはかつてのメタトロン様と同じ神の子たる人間のみ!」
双子の天使メタトロンとサンダルフォン。
メタルの歌詞では魔王と共に常連だと言っても良いだろう。
謎多き異形の天使として人間界に伝わっている彼らは確かに一部において元人間である事は知られている。
だがそれは厳密には双子ではなく、二人合わせて代行神だったのだ。
目の前のディスプレイにバル=ヨハニと一緒に映し出されているのはまるでネコブルクのような巨大な黒い異形。
まさか伝説の秘天使サンダルフォンがこんなよくわからん汎用猫型決戦兵器だとは思いもしなかったのだが。
「…………」
呆然としていたが何だかじわじわと笑いがこみ上げてくる。
俺がこの魔界に召喚された理由。
皆ががんばる中、何も出来ずにいた自分を歯がゆく思う事だってたくさんあった。
けれど、俺は今この時の為に存在していたのかも知れない。
俺は吹き出して笑うと両の手でばちんと頬を叩いた。
「……んじゃよ、神に代わってあのワン公に……お仕置きしてやりゃいいって訳だな」
「ええ!」
「……あ、その前にひとつ聞いて良いか。なんで俺がマスターって呼ばれてるんだ。お前の飼い主はヴェルベットだろ」
「あーそれ聞いちゃいます……? 一応私、今はサンダルフォンのオペレーティングシステムの一部として構築されているので自動的にそうなっちゃうんです。もしもお嫌でしたら変更も可能ですよ! 豚野郎でもご主人様でもお好きなのを選んで下さい!」
とても馬鹿らしい理由だった。
「――はは! いやそのままで良い。
こんな訳わかんねえモンに乗る機会なんかもうねえだろうし、雰囲気を満喫させて貰うとするわ。
――ちょーどいい、シリアスにゃちょっと飽き飽きしてたところだったんでな!」
「フフ、そうですね! 物語にはやはりハッピーエンドが似合うのですから!」
キューの声が明るくはじけた。