決戦 -虚ろなる世界-
あの演説の後、広場の熱狂は未だに俺達の心に熱を残していた。
ダイモンを初めとした荒くれ者達が火付け役となり、多くの悪魔が最前線でその命を張る事を希望した。
その中にはかつてヴェルベットに挑んだ力自慢の悪魔がわんさと並んでいたという。
ヴェルベットへ近づくほどに無差別エナジードレインの効果は比例して上がる。
その為協力してくれる強健な悪魔達は魔王城ネコブルク天守下に、体力の低い子供や傷病者は城の魔力シェルターに守られることになった。
当のヴェルベットはインフェルノヴォラクスを行う為に少しでも効率を上げ、皆の命を吸い尽くさない為、必死で準備を行っていた。
巨大な天守には機械時計の歯車のように大量の魔方陣で埋め尽くされている。
どういった意味があるのかは解らないがエネルギー効率を上げる為の物だという。
「なんとかなりそうか」
なにやら紙片とにらみ合いをしながら天守の魔方陣をひたすらに調整しているヴェルベットに問いかけた。
「ならなくても、押し通す。私を誰だと思っているんだ。天才魔王ヴェルベット・チャーチ様だぞ?」
ふふと一瞬だけ笑ってヴェルベットは言葉を継いだ。
「……対象者の生命活動に最低限度必要な魔力を残し、ドレイン対象から外すというのは上手く行きそうだ。
その他もロスを無くす為に術式を可能な限り組み直している。
……世界の裏側、虚数界クリフォトに接続する為の鍵、数秘術。
それがルシファーの生み出した禁呪の本質。
そいつを使って生命力を虚数界に流し込み破壊の力へと変換する、あいつのいった通り魔界を喰らい神をも殺す力だ。
けれど、もう今は魔界殺し(インフェルノヴォラクス)なんて縁起でも無い禁呪じゃない。
これは魔界を救う為の新しい力なんだから。
これ以上誰の命も奪わないし、奪わせない」
初代魔王ルシファーの暴力へ、ヴェルベットの優しさを組み合わせた新しい禁呪。
だがそれが評価されるのは相手を焼き尽くす事が出来た上での話。
もし魔界の民を殺さずに撃ち放つことが出来たとしても相手が生き残ってしまえば本末転倒だ。
魔界に存在する全ての魔力を織り上げて放つがゆえに絶対に二発目は撃てないからだ。
だからこそヴェルベットは魔力効率を上げる為にこの魔方陣に付きっ切りになっているのだろう。
「ヴェルベット様、こちらの準備は整いました」
階下からシャーリーが姿を現した。
左腕は失っているが、その覇気は全く失われていない。
そしてあの演説の後からシャーリーはヴェルベットのことを姫様と呼ばなくなっていた。
それは多分本人も気付いていないだろうがヘルデウスではなく、ヴェルベット・チャーチを主として認めたと言う事なんじゃないだろうか。
「有り難う、シャーリー。こちらも大丈夫だ。結界の状況は?」
「はい、見た目自体は変わりありませんが観測班によると徐々に霊力密度は下がっている模様です。恐らくは、限界はすぐに迫っているかと思われます」
「解った。これから最後の仕上げに取りかかる。皆に伝えてくれ。必ず、マスティマを討つと」
「ええ、皆も喜びます」
シャーリーはにこりと笑うとすぐさま階下に戻っていった。
広い天守には俺とヴェルベットが二人だけ残されている。
巨大なネコブルク、失われた貌に相当する天守からは広大な魔界の大地、そして遠くにキューの張った結界がぼんやりと見えていた。
「まぁ肩肘張らずにな。大丈夫、お前なら絶対に出来る。だってお前は……天才魔王なんだろ? 俺には魔力も無いし、ここにいても正直何の役にも立ちゃしないけどさ、最後までお前の側に居るって約束するよ」
リラックスさせようと世間話のように口にした。
ヴェルベットは俺の言葉が不服だったのか一瞬の沈黙を挟む。
「……もしも観測者にも理解者が居たのであれば、こんなことにはなって居なかったんだろうな。
――お前は何の役にも立たないと言ったが、そんなことは無い。
私がここまで来れたのはお前が側に居てくれたからだ。
影ながらお前が私を導いてくれたからだ。
だから、そんなことは、二度と口にするな」
ヴェルベットは普段どおりを意識して返してくれた。
けれど直後真面目な顔をして、俺に正対し、言葉を継いだ。
「――なぁ、ヤマダ。もうここで良い。ここからは私一人でやれる」
そう言ってその首に下げられていたペンダントを外し、チェーンを掴んで俺の手に握らせた。
「魔界に残された最後の秘宝、空裂きの宝珠だ。
これがあれば元の世界に帰れると思う。
接触する必要はあるが任意の対象も連れて行ける。
お前の猫なら私の部屋に居るはずだ。あいつと一緒に帰れ。
お前がしてくれたことを考えたら、これを受け取る権利が十分にある。
お前までこの世界の博打に付き合う必要は無い」
初代魔王ルシファーが残した究極の魔国宝、その最後の一つ。
時空を飛び越える魔界の秘宝。銀色のチェーンの先端にうずらの卵程度の大きさの青い石が固定されていた。少しだけ思案して、一旦受け取る。
「さんきゅ。じゃあありがたく使わせてもらう。だが、帰るのはお前がアイツをぶっ倒してからだ。
どの道あいつをなんとか出来なくちゃ世界全部が危機に晒されるんだろ。だったらどこに居ても同じ事だしな。それまではお前が持っててくれ」
言いながらしゃがんでヴェルベットの首にその宝珠をかけなおした。
今、目の前の小さな少女は、一人で魔界の皆の命を背負い、戦っている。
俺が居る事が、彼女にとって少しでも助けになるのであれば、俺は最後まで彼女を支えたいと思った。
俺の言葉は意外だったのだろうか、ヴェルベットは赤くなって震え、うつむいた。
付き合いもそこそこになってきているからわかる、これは泣きたいけど我慢している顔だ。
ふっと笑みを浮かべて震えるヴェルベットを俺はそっと抱きしめた。
ヴェルベットも俺にしがみ付き返した。
「私は、ずっと疑問に思っていたんだ」
「ん? 何をだ?」
ヴェルベットは俺の肩に顔をうずめたままくぐもった声で返した。
「ルシファーは神に反逆する為に、魔界を繁栄させ、喰らう事にした。
長い時間神を恨み続けて。
でも、おかしいだろ。
今、現に魔界は残っているじゃないか。
一体それは何でなんだろうって。ずっと解らなかった。
でも、今なら分かるかも知れない。
ルシファーは……ルシファーも、きっと――きっと誰かを愛した。
大切な存在が出来て、きっと復讐よりそっちを選んだ。
それが魔界の皆だったのか、個人だったのかは解らないけど。
でも、きっと、だからこそルシファーは最後まで魔界を食べなかったんだ」
「随分と、ロマンチックな事を言うようになった」
「むぐ……!」
ヴェルベットは背中に回した手を伸ばして俺の尻を思い切りつねる。
「いってえ! 何すんだよ!」
「お前がヤマダだからだ! ああ、もう!」
ぷんすかと怒っている。理由には気付いていたが今は知らぬふりをした。
「でもな、俺もそう思う。
ルシファーの因子を受け継いだお前が存在しているってことはそういうことだ。
ルシファーの愛が受け継がれ、ヴェルベットが存在している。
これは考え方によっちゃ魔界の危機に合わせてお前にルシファーの力が現出――そう、力を貸してくれてるって事かもしれないぞ」
ヴェルベットのふわりとしたピンクゴールドの頭をぐしぐしと撫でた。
口先をとがらせていたヴェルベットだったが俺の言葉を聞いて肩の力を抜きふっと笑った。
その笑顔に俺も笑みを返す。
「勝とう。あいつをぶっ飛ばして、ルシファーの愛したこの世界を守り抜こう。
そのためにここまで来たんだ。俺だって結末を見る権利はある。最後まで付き合わせてもらう」
「……有難う。私、お前を呼んで良かった。お前と会えてよかった。
お前を……うん。最後まで、一緒に居て欲しい」
返事は返さず、差し出されたその小さな手を握りしめた。
小さなノイズの後、突然前線で結界の観測をしていたリベルシアからの連絡用ベルが鳴った。
「魔王様、結界の霊力構造に異変! 内部の熱源が徐々に活動状態に移行しています!
恐らくあと少しであの結界は破れます! ――どうか、ご武運を! あと好きです!」
キューの結界は目視では何の変化も無い、ただの鈍色の直方体のままだった。
だが、もう時間は残されていないらしく決戦までにもうわずかな時間しか無い。
連絡用ベルを口元に持って行く。
「解った。お前達もエナジードレインに備えてくれ。誰も死なせない。絶対に成功させよう。
リベルシア、頼んだぞ!」
「うわああ、一番大事な部分無視されてる! でも好き! こちらはお任せ下さい!」
やや興奮気味に返された後、通信は切れた。
そばで聞いていたヴェルベットはやや不服そうに、笑う。
「あいつ、完全にお前を魔王呼ばわりだな。……まぁ、いいか。魔界史上初、二人の魔王っていうのも悪くない」
笑いながら視線をこちらに向けた。俺は無言で頷き返す。
「んじゃやるか」
「ああ……手を握っていてくれ」
「……仰せのままに」
茶化しながらも、天守に幾重にも施された魔方陣の中心へと進んでいく。
今から魔界の民の命全てをより合わせ、神殺しの獣を焼き尽くす。
そうしてこの魔界を必ず救うのだ。一際巨大な魔方陣の中心で歩を止めるとヴェルベットは深く目を瞑り、繋いだ手を身体の前へと突き出した。
「――数秘術起動」
静かな詠唱が始まると同時に室内の魔方陣が淡い光を放ち、その文字は形状を変化させていく。
数秘術、それはかつてルシファーのみが至った秘術。
世界の裏側、虚数界へ接続し存在しない虚数を認識する為の鍵。
皆の生命力を破壊の力へと織り上げていく為に。
今、その門は開かれた。
「――ケテル・コクマー・ビナー・ケセド・ゲブラー・ティファレト・ネツァク・ホド・イェソド・マルクト。
セフィロトの深淵に眠りし禁断の叡智ダアト。
今こそ浮上し、レッドドラゴン(大いなる紅き竜)の名の下に、その力を示せ!」
ヴェルベットの詠唱に呼応するかのように部屋の中は光で満たされ、ごうんごうんと大気が揺れていく。
空に輝いていた黒い月の光も徐々に失われていき、魔界は黄昏に包まれていく。
同様に魔界の民全ての魔力が、ヴェルベットの元に集まっている。
ヴェルベットの周囲に漂う濃密なきらきらとしたうねりは徐々にその小さな身体に吸い込まれるように流れだした。
それに合わせてヴェルベットの瞳と髪は灼熱の輝きを宿していく。
「――無限の光は混沌たるクリフォトにてセフィラを巡り、その真なる姿を此処に晒さん。
虚ろよりいでし根源たる闇よ。
――その無限の腕で、神をも穿て!」
ヴェルベットが最期の言葉を紡ぐと同時に、最高潮に達していた部屋の中の輝きが一気に失われ、俺とヴェルベットの繋いだ手へと虹色の黒い光が収束していく。
だが、その瞬間だった。
突如としてバル=ヨハニが封印されている結界が砕け散り、そこから姿を現したのは八体のジズと、マスティマ。そして――。
――バル=ヨハニの尾で胴体を貫かれ、高々と掲げられた血に塗れたキューの身体だった。
繋いだ手を通じてヴェルベットに動揺が走ったのを感じた。
光に僅かなゆがみが見られたが、それでもヴェルベットは立て直す。
もう二度と仲間を失わない為に。
涙を流しながら、怒りに燃えてマスティマを穿つ為に。
「――【無尽無限闇】!」
涙と共に放たれた黒い奔流は極太の黒い虹となり、撃ち出される。
先端は幾重にも分岐し、マスティマ達へと降り注いでいった。